愛情と執着
「わぁ! すごい、大きい! きれい! 白い鳥も飛んでますね、あれってうみねこ?ですか?」
「あぁ、そうだ」
馬車で海までフェリクスと来たキエリは、広大な海を前にして水色の瞳を輝かせてはしゃいでいた。
「ここからは砂にはまって馬車じゃいけないから歩いて行こうか」
「はい! わぁ、砂がこんなに広がって、白い! あっ、あれって貝殻ですか? 早く行きましょう!」
「ふふ、急がなくても海も砂浜も逃げないよ」
「あ‥‥ご、ごめんなさい。つい、嬉しくなってしまって」
キエリは、はしゃぎすぎたかなと恥ずかしさで顔が赤く染まった。
そんなキエリをフェリクスは愛おしそうに見つめ、馬車から先におりてキエリに手を差し出した。
キエリはお礼を言って差し出された手に自分の手を添える。
(あぁ‥‥フェリクス様の手、好きだな‥‥大きくてちょっとごつごつしてて、あったかい)
馬車を降りると手を離さないとかな、なんてキエリは寂しく思っていたがフェリクスは手をつないだままでいてくれた。
キエリは気持ちが伝わったのかと嬉しくなって、少し歩きにくいかもと思ったがフェリクスにからだを寄せた。
顔を上げれば優しく微笑むフェリクスの顔が見える。
キエリはこんなに幸せでいいのかと心配になるくらい胸が温かさで満たされていく。
馬車に御者と護衛の騎士たちはいてもらって、二人で海へと向かって行った。
キエリとフェリクスは砂浜を寄り添って歩く。
キエリがときどききれいな貝殻を見つけては皆へのお土産に持って帰ると言って持ってきていた布袋に詰めていく。
キエリは、もう海に入ってみたくてうずうずしていて、海の目の前まで来ると早速、靴を脱いでワンピースの裾をたくし上げる。
白くて、ほどよく引き締まっている足が見えるとフェリクスは初め視線をそらしたがやっぱりもったいないからとキエリに視線を戻した。
「ひゃー、冷たい! うふふ、海って冷たいです。それに波が‥‥おわっ」
波で足をとられそうになったが何とか踏ん張ってずぶぬれになるのは回避した。
「大丈夫か?」
フェリクスも靴を脱いでズボンをたくし上げてキエリの元まで歩いてきてくれた。
「大丈夫ですよ。海ってこうやってずっと波が起こってるんですね。不思議です」
キエリが遠く水平線の先を見つめる。
水平線には小さく見える船がいくつも浮かんでいた。
「海の向こうってどうなっているんでしょうね?」
「‥‥興味があるのか?」
フェリクスの表情がどうしてか暗く沈んで眉間に皺を寄せた。
キエリはどうしてフェリクスがそんな表情になったのかがわからなかったが、素直に返事をした。
「興味はあります。でも、行くとしたらフェリクス様と一緒がいいです」
優しくにこりと微笑みかける。
フェリクスから暗い表情が消え、ほっとしたように微笑んだと思えば、不意にキエリに唇を重ねた。
(‥‥!)
キエリは少し驚いたがゆっくり目を閉じると波の音もウミネコの声も遠のいて、フェリクスだけを感じることができて、今までにないくらい心が愛情で隙間なく埋められていく。
ゆっくりとフェリクスが離れていき目を開けると、フェリクスもなんだか気恥ずかしそうに頬を染めていたが熱い視線はしっかりとキエリを捉えていた。
「キエリが愛らしくてキスしたくなってしまった‥‥」
キエリも頬が赤く染まって砂糖菓子のように甘いフェリクスからの愛情に惚けてしまう。
「わたし‥‥フェリクス様にキスされるの好きです。もっとしてほしいです‥‥」
フェリクスは驚いたように瞬きしたので、キエリは変なこと言ってしまったと気づいてハッとした。
「ごっ、ごめんなさい! 今のは取り消します!」
「ふふ、無理だ。もう聞いてしまったから。そうか、キエリは俺にキスされるのが好きか」
フェリクスがいたずらっぽく微笑むのでキエリは耳まで真っ赤になって、恥ずかしさのあまりその場から逃走しようとフェリクスとは反対方向に大股になりながらざぶざぶと歩いて行った。
「もうっ、知りませんから!」
「あはは、キエリちょっといじけてる?」
「いじけてません! わっ!」
「危ない!」
キエリは大股で不安定に歩いているところに波がきて体勢が崩れてしまったが、フェリクスが急いでキエリを支えてついでとばかりに腕で囲いこんだ。
「ありがとうございます。もう、大丈夫ですよ」
「‥‥‥」
キエリは、返事がなく抱きしめ続けるフェリクスがどうかしたのかと拘束されたからだをなんとかまわしてフェリクスの顔を覗きこもうとしたが、フェリクスに急に持ち上げられ抱え込まれて表情が見えなくなってしまった。
「フェリクス様?」
「ごめん‥‥キエリがもしも遠くに行ってしまったら、俺の手の届かないところに行ってしまったらなんて考えてしまった」
「わたしはちゃんとここにいますよ」
キエリは優しく微笑んでフェリクスの頭を愛情深く撫でる。
「あぁ‥‥そうだ、そうだな‥‥」
「もうそろそろ、帰ろうか」
「そうですね。とっても楽しかったです。この思い出も大事にしますね‥‥あの、そろそろ下ろしてもらえると」
「キエリは重くないから大丈夫」
「あのっ、そう意味ではなくて!」
結局、フェリクスはキエリを抱きかかえたままざぶざぶと海をかき分けて砂浜を越えて馬車まできてしまった。
キエリは馬車の御者や護衛騎士たちに微笑ましく見られてしまったのが恥ずかしかったが、フェリクスが下ろしてくれることがなかったのでとにかく顔を隠してその場をやり過ごした。
馬車に乗ったキエリは、はしゃいだせいなのか急に眠気が襲ってきて瞼が重く閉じてしまいそうになった。
(はしゃぎすぎちゃったのかな? うぅ‥‥せっかくフェリクス様といるのにまた眠たくなるなんて‥‥せめてお城の部屋に戻るまで‥‥)
しかし、キエリの葛藤はフェリクスにすぐに気付かれた。
「キエリ、眠かったら横になりな」
「‥‥大丈夫です。せっかくフェリクス様といられるのに勿体ないですから」
フェリクスは、キエリに愛おし気に微笑んで向かい合って座っていたのを隣に座り直し、キエリの頭を優しく撫でてフェリクスの肩に頭をもたげさせた。
「起きます‥‥おきますから‥‥」
「あぁ‥‥」
起きると言いつつもキエリの瞼がゆったりと閉じられた。
キエリは深く眠ってしまったようでフェリクスがキエリを膝に抱え込んでも起きる様子がなかった。
フェリクスは、すやすやと眠るキエリを愛おしそうに抱きしめた。
(キエリ、最近疲れているのだろうか、この間も深く眠っていたな‥‥)
「‥‥っつ!」
フェリクスに突然鈍く響くような痛みが頭に走った。
(最近頭痛が酷いな‥‥仕事のしすぎだな‥‥)
腕の中でキエリがもぞもぞと動いてキエリの手がきゅっとフェリクスの服の端を掴んだ。
(かわいいキエリ‥‥時々不安になるよ。お前があの日のように急にいなくなってしまうんじゃないかって)
(それに、お前は愛らしくて美しいし、悪い虫がつかないか心配だ。今度の披露会で貴族の男どもに本当は見せたくない)
フェリクスがキエリの頭を撫でて、キエリの銀色の髪を指で梳く。
(本当はグイスにだってクイナにだって‥‥‥お前が他の男と言葉をかわしていると思うと‥‥)
(お前を閉じ込めてでも俺だけのものにしたくなる)
フェリクスの琥珀色の瞳が深く闇に沈んでいく。
そんな瞳に見つめられているとは知らずに、キエリは愛する人の胸の中で眠っていた。
フェリクスは思考が暗くなっていることにハッと気が付いて、顔を上げて窓の外に視線を移した。
(いけない‥‥キエリはちゃんと俺のもとにいるし、キエリはそんなの‥‥望まないだろうな)
(でも、もしもキエリに拒絶されたら耐えられないだろうと考えてしまって、あれを用意してしまっている‥‥‥)
(‥‥俺は狂っているな)
フェリクスは自身の心の醜い部分とキエリへの愛情が混じり合って自分の心が締め付けられるような感覚がした。




