特別な好き
グイスをグイスの部屋の寝台に置いてくる間、キエリはフェリクスの部屋で待っていてと言われ、ソファに大人しく座っていた。
キエリは、どうしようもなく鼓動がなっていて静かな部屋の中に響いてしまわないかと心配になる。
後ろから扉が開く音がした。
「待たせたね、キエリ」
扉が閉じられ、ガチャリと鍵がかけられる。
「ここなら、邪魔が入らないはずだから」
足音が近づいてきて、キエリの前にフェリクスが立つ。
「キエリ?」
キエリはからだがぎこちなく緊張できしんでいて、表情も固い。
「す、すみません‥‥なんだか、緊張してるみたいで‥‥」
グイスに元気づけられて、城に帰ってくる前までは自分の気持ちが少しは伝えられたというのに、なんとも情けないことに伝えたいことを考えると頭がいっぱいになりすぎる。
「大丈夫か?」
フェリクスが跪いてキエリの両手を握る。
優しく温かい手で触れられると心がほぐれていく。
「大丈夫です。いろいろ伝えたいことを考えていたら、なんだか頭がいっぱいになってしまって」
「いいよ、ゆっくり聞くから、キエリの伝えたいことを教えてほしい」
「それに、正直俺も今ものすごく緊張しているんだ」
「王子様もですか?」
(話したいことがあるって言っていたけど、よほどのことなんだ‥‥)
キエリは、フェリクスに包まれた両手を固く結んで心を決めた。
「あ、の‥‥王子様」
「うん」
「先ほども言ったのですが‥‥わたし、王子様と一緒にいない時間は寂しく感じます」
「‥‥うん」
キエリは寂しいなどと言ってしまうと迷惑になるかなだなんて思って不安そうにフェリクスを見やったが、先ほども手をつないでくれたし今もどうしてか甘い笑顔をみせる。
熱い視線に耐えきれずに再び俯いて、言葉を続ける。
「でも、これ以上迷惑をかけたいわけではないんです‥‥けど、この気持ちをどうにかする方法が見つからなくて」
「迷惑? いつキエリが迷惑をかけたんだ?」
フェリクスが本当に思い当たる節がないのか不思議そうに首をひねる。
「どうしてか、わたしが王子様と恋人なのではという噂が広まっているみたいで‥‥きっとわたしがずっと王子様にくっついていたせいですよね‥‥」
「きっと王子様には、空っぽな何も持っていないわたしよりもずっとふさわしい人がいるはずなのに‥‥」
キエリの握られている両手に力が込められたがキエリの感情は濁流のように押し寄せていて、言葉が止められなかった。
「それでも、わたしの我が儘で皆さんと‥‥王子様と一緒にいたくて‥‥でもそれは王子様のご厚意があるからで」
「ここでお仕事ができればと思ったのですが、ここではわたしのできるお仕事なんてなくて」
「だから、その、お勉強をすることで紛らわせくれたんですよね? そっちに集中すれば、お仕事のことを考えなくてすむから」
キエリは、今にも不安で泣きたくなってきたのを唇を強く噛みしめてぐっとこらえる。
キエリの言葉を聞いたとき、フェリクスは頭を強く殴られたような衝撃が走った。
国民に受け入れられるように噂を流しておいたのはフェリクスであり、家庭教師をつけたのも将来王妃となるときに必要不可欠になるために始めさせ、落ち着いてからフェリクスの仕事を手伝ってもらおうと考えていた。
噂は悪い虫よけになるし、仕事が一緒にできれば一緒にいられる時間も増える。
周りを固めて、キエリの逃げ道を塞いでからキエリ振り向いてもらおうと、計画していたのが裏目に出た。
彼女のことを手に入れたいという欲望がこんな結果を生み出した。
何よりも大切なはずの彼女をこんな風に悩ませて、追い詰めてしまった。
フェリクスは、かなり狼狽してしまって、氷水を急にかけられたようにからだが固まってしまった。
「わたし‥‥もう、役に立たないですけど‥‥それでも一緒にいたいです。みなさんと王子様と一緒にいたいです」
ついに、キエリの不安が限界を超えて、堰が崩れたように大きな瞳から涙の粒がとめどなく流れ出した。
「おねがいです。すてないでください‥‥う‥‥うぅ、ぐす、なんでも、しますから」
フェリクスがやっと動き出した時にはキエリの両肩を掴んで必死に許しを請うようにすがる。
「違う! 違うんだキエリ!」
「ちがう?」
キエリの宝石のような水色の瞳が不安で揺れて、涙で悲しいほどきれいに濡れている。
フェリクスは、落ち着こうとゆっくりと深呼吸した。
今は言葉を選ばないと何でもするといった彼女は付き合えと言ったらそのまま付き合ってしまいそうなくらい不安定に思えた。
しっかりと彼女と真正面から向き合うべきだった。
(考えるんだ‥‥彼女が安心するように。どうして不安になっているのか‥‥)
「キエリ、まずお前を捨てるなんてことはあり得ない。むしろお前がどこに逃げようとも必ず見つけ出して連れて帰る」
「ほんとうですか?」
「もちろんだ。むしろ放してと言ってもキエリを手放すつもりはない。キエリはそれでもいいのか?」
キエリの瞳が希望で輝き、こくこくと深く頷いた。
通常ならこんな執着をみせられればひかれても仕方がないのに、キエリはこの言葉に希望を見出している。
(キエリがこんなにも捨てられることに不安になっているのは、昔捨てられたからだ)
(その不安がずっと心の底にとぐろを巻いていて、キエリに絡みついているんだ)
(それに、俺がしたことが重なって不安にさせてしまった‥‥)
フェリクスが優しい眼差しでキエリを見つめ、キエリの頬をフェリクスの大きな手のひらが包む。
「キエリ、よく聞いて」
「俺はキエリのことが好きだ」
キエリが驚いて肩がぴくりと跳ねて、目がより大きく見開かれた。
「けど、俺の好きはキエリが皆に言う『好き』とは違うよ」
「特別な好きだ」
フェリクスの視線は今までにないくらい熱く甘く、キエリは見つめられると蕩けてしまいそうに感じたが視線を外せなかった。
「お前の花のように愛らしい笑顔が好きだ。一生懸命頑張る姿も好きだ。これと決めたらまっすぐなお前も好きだ。陽に当てられて輝くお前の銀色の髪も美しくて好きだ。宝石のように輝く水色の瞳も‥‥」
「あっ、あの! 王子様すみません止まってください!」
「まだ全然言い足りない」
「わかったので、特別に好きなのは理解できましたからっ」
キエリは耳まで赤くなって、恥ずかしさか他の感情なのか、からだ中に熱い血液が廻るのを感じた。
「キエリ、俺もひとつキエリについて理解したことがあるんだ。お前は実に鈍感だ。そこもまた可愛らしいが‥‥だから、何倍にもして伝えないと伝わらないだろう?」
キエリの肩に添えられたフェリクスの手がするりと下におり、キエリの手のひらにたどり着く。
キエリの手は何が起こるのかわからずに少し震えたがフェリクスの手が逃がすはずもなく、キエリの細い指はフェリクスの骨太な指と絡まった。
「キエリ‥‥」
艶気のある低い声で名前が呼ばれる。
それだけで頭の芯が甘くしびれていく、ぼんやりとした頭でキエリはフェリクスに対する感情の答えがぼんやりと浮かんでいた。
「好きだよキエリ‥‥これからもずっと一緒にいたい。離れたくない‥‥好きだ」
「本当はお前を一時も放したくない。俺はずっとお前のことが欲しくてたまらないのに、自分には価値がないようになんて話すな‥‥」
頬に添えられていたフェリクスの手の指が愛おしそうにキエリの頬をなぞる。
「かわいい‥‥‥キスしたい、いいか?」
キエリは黙ってこくりと頷く。
フェリクスの整った顔がゆっくりと近づいたと思えばキエリの頬に優しい口づけをした。
フェリクスに口づけされたところはじんじんとうずくような熱を残した。
「好きだ‥‥好き」
耳元で甘く囁かれると頭が真っ白になっていく。
そして、今までの不安など消え去ってしまって、純粋な感情だけがキエリの心に残った。
「フェリ、クス様‥‥」
「抱きしめて‥‥」
フェリクスはキエリの隣に座って、キエリの腰に手をまわし、もう片方の手で頭を包み優しくからだ全てを包み込んだ。
(どうしてわたしは気づかなかったんだろう。フェリクス様だけに感じる特別な気持ち‥‥この人といると満たされていく‥‥)
「好きです‥‥大好きです」
キエリはしがみつくようにフェリクスの背に手をまわす。
「ずっと、ずっと大好きです。これからも、何があっても」
「あぁ‥‥」
「気づくのがこんなに遅いだなんて、本当にわたしって鈍感なんですね‥‥」
「いいんだ。でも、よかったキエリに今までたくさん嫌な思いをさせてしまったから、俺のことを好きになってくれなかったらどうしようと思ってた」
「ふふっ、わたしも王子様に嫌われたらって考えてました。それに、もっとふさわしい人だってきっといるのにって‥‥お互い少しずれてましたね」
フェリクスが顔を上げて、キエリの瞳をじっと見つめる。
キエリは顔が近いことに慣れずに少し目線が下に移る。
「もう、名前では呼ばないのか?」
「へ? あ‥‥‥んー‥‥‥フェリクス、様」
「うん!」
フェリクスは名前が呼ばれて嬉しいようで可愛い子犬のような無邪気な笑顔で笑いキエリをぎゅっと抱きしめた。
その笑顔は彼の幼い時の顔を思い出させた。
彼はいつもかっこいい雰囲気をまとっているがこういった可愛い面もあるのかと気付き、しかも自分だけがそれを知っているのではないかと思うとキエリは少し特別なのかもと思えた。
フェリクスが膝にのせてキエリを抱きしめながら、今まで一緒にいなかった時間の出来事をお互いに話して、二人の時間を埋め合わせていた。
しかし、抱きしめられていたキエリはフェリクスの体温の心地よさと安心感で全身の力が抜けて眠気が襲ってくる。
「なんだか、今までの緊張が全部抜け落ちてしまってほっとしたら、眠たくなってきました‥‥」
キエリの瞼が重くなり始め、こくりこくりと振り子のように頭が行き来する。
フェリクスが優しくキエリの背中をぽんぽんと叩いて音頭をとる。
「それをされるともっと眠気がきてしまいます‥‥」
「いいよ、寝ても。今日は疲れただろう?」
「せめて、部屋に戻ってから‥‥」
といつつもキエリの瞳はすでに閉じられていた。
フェリクスはキエリのからだを横抱きにして持ち上げ、寝台にそっと寝かせた。
眠るのに邪魔になる靴や上着などははぎ取って寝台の隣の机にたたんで置いておいた。
毛布をキエリにかけるとキエリが毛布に丸くくるまり始めた。
(ふふっ、どうしてキエリは眠るとき猫みたいに丸まっていくんだ。かわいい)
「おやすみ、俺のかわいいキエリ‥‥」
フェリクスは、キエリのおでこに軽いキスを落として部屋から出ていった。




