世界を変えてくれたあなた
屋敷に帰るとキエリの姿に驚かれたが、それよりも皆からめためたに叱られた。
そして、すぐに雨でぬれたからだを温めるために湯浴み場に連れていかれた。
キエリは、湯船につかってからだの芯まで温まるのを感じていた。
「ふぅ‥‥温かい‥‥」
お湯から手をだして、じっくりと見て、顔の傷があった部分に触れた。
「本当にすごいな。からだじゅうにあった傷もすっかり消えちゃった」
前まではキエリは顔以外にもからだに傷があり、人間のからだにあるはずのものはなかった。
そのせいでメイドに怯えられてしまっていた。
「‥‥‥」
あのメイドの憎しみをはらんだ目つきを思い出と、温かいはずの湯船の中で寒気を感じた。
「でよう‥‥」
キエリは湯浴み場から出て、部屋に戻った。
王子から別の部屋に移ってほしいと言われ、二階の空いている部屋に移った。
部屋から窓の外を眺める。
「二階だと遠くまで見えるな‥‥」
なんだかまだ現実味がなくてぼーっとしていると、ふと窓の異様な部分に気が付いた。
(あれ? この窓鍵がかかってる? 何か理由があるのかな?)
すると、扉がノックされ、王子の声が聞こえてきた。
「キエリ、入っていいか?」
「はい」
王子が部屋に入ってくるとき、廊下がちらりと見え、扉の外側に人が立っているように見えた。
(?)
偶然かと思ったが、立っている人はキエリの部屋に背を向けて、まるで警備のように立っていたように感じた。
「キエリ、寝ていなくて大丈夫か? 随分濡れてしまっただろう」
王子が心配そうにキエリを見つめる。
キエリが人間になってからというもの、王子を見ると顔が熱くなるのを感じた。
しかし、これをどう言語化していいかわからず、どうしようもできずにいた。
「わたしは大丈夫です。王子様のほうが何時間もわたしを探しに出たせいでからだが冷えてしまったのではないですか?」
「はやくお休みになったほうが‥‥」
「その前にキエリの顔が見たくなった‥‥」
王子は、気恥ずかしそうに頬を染めて俯いて何か考え込んだ。
俯いていると長いまつげがよく見えるなぁ、なんてキエリは思った。
「キエリ‥‥抱きしめてもいいだろうか? まだ、お前がここにいることが信じられなくて」
王子を不安にさせてしまったことに心臓がぎゅっと苦しくなり、抱きしめることで安らぐのならいくらでもと思った。
「はい、もちろんです。心配させてしまって申し訳ありませんでした‥‥」
キエリが手を広げると王子はすがるようにキエリを抱きしめた。
王子は人間の姿に戻ってもキエリよりはからだが大きくて、キエリのからだはすっぽりと収まってしまう。
「お前がいつも冷たかったのは人形だったからか‥‥今は温かい」
「隠していて申し訳ありませんでした‥‥全部、きちんとお話しします。わたしがどうしてここに来たのか、全部‥‥」
「隠し事よりも‥‥俺の前からいなくなってしまった方が辛かった‥‥」
「ごめんなさい‥‥」
人間になっても王子のからだは温かく感じて、キエリは心地よさと申し訳なさが同時に胸の中に生まれた。
次の日、キエリは友人たちに時間を作ってもらって、全てを話すことにした。
クイナ、エレドナ、コンゴウ、グイス、そして王子に集まってもらった。
「えっと‥‥集まってもらってありがとうございます。昨日は散々迷惑をおかけして‥‥」
「あぁ、あぁ! そうだぞ、キエリお前勝手にいなくなって! 次は一言くらい直接言え!」
グイスは怒っているというより、心配したんだぞと言いたげだった。
「ごめん、グイス‥‥あの時は、もう人形に戻ってしまう期限が近づいていて‥‥まさか、こうしてまた皆とお話しできるように、人間になれるだなんて思っていなかったから」
「それに、一緒にいたらすごくお別れがつらくなると思って‥‥」
自分の正体は人形だと皆には帰ってきたときに伝えた。
どう反応されるかと思っていたが、皆はすんなりと信じてくれて、拒絶の態度をとる人はいなかった。
エレドナは「人形で食べることに慣れていないから、食べるのを避けてたのね!」と、手をぽんと叩いて納得していた。
「いづれは元の人形の姿に戻ってしまうから、最初に数週間という期間を言っていたのか?」
王子がキエリと出会った時の会話を思い出した。
「そうです。わたしのからだは不完全だったのでそれくらいしか保てなかったです。でも、本当はもう少し大丈夫だったはずなのですが予定が狂ってしまって‥‥」
「うーん‥‥わたしのこと、どこからお話しすればいいか‥‥」
キエリは悩みながら少しずつ自分のことについて話し始めた。
キエリは、ある工房で一人の男性の手によって作られた。
しかし、生み出されたばかりの頃は意識がぼんやりとしていて、はっきりとは思い出せない。
そのあと男性のもとからは離れ、いろいろなところを転々とし、おもちゃ屋で売られることになった。
そして、ある貴族の一家に買われ、一家の娘の所有物となった。
「娘さんは、たくさん一緒に遊んでくれました。他にもいっぱい人形やぬいぐるみの子がいて‥‥よく入れ替わっていましたが‥‥」
「理解はしていました‥‥‥人間にはいずれ飽きがきてしまう。わたしももちろん例外ではなく、袋に詰められて道端に捨てられました」
「入れられた袋の口が少し開いていて、野良犬に見つかってしまって、それで咥えられて運び出されたと思ったら、別の野良犬が現われてわたしを引っ張り合ってしまって‥‥」
「その時に両腕を引きちぎられてしまいました」
話しを聞いていたエレドナは耐えられなくなって、顔が真っ青になっている。
キエリは「人形なので痛みはなかったですよ」と安心させようとしたが、あまり効果はなかった。
「そのあとは本当に散々な目にあいました。人に蹴られたり、馬車に泥水をひっかけられたり‥‥」
「でも、そんなわたしを救ってくれたのが‥‥王子様、あなただったのです」
「俺が‥‥?」
道端に落ちている人形は絶望していた。
人々が人形をちらりと見ては、まるで何も見てはいなかったかのように振舞って、通り過ぎていく。
人形にどうしようもない孤独と悲しみが積もっていく。
(あぁ‥‥どうしてわたしにはまだ意識があるのかな‥‥はやく消えてなくなってしまいたいのに‥‥)
すると、突然人形の頭上から影が差した。
影の正体は幼い可愛らしい黒髪の男の子であった。
男の子はじっと琥珀色の瞳で人形を見つめている。
(この子もわたしに酷いことをしようというの? もう嫌‥‥)
人形はさらなる不幸を想像した。
しかし、男の子は優しく人形を抱いた。
男の子の後ろから護衛の騎士が急いでやって来た。
「殿下! そのようなものを触ってはいけません!」
「でも、この子お怪我してるよ‥‥手当てしてあげないと」
騎士は困ったように頭をかいた。
「ですが‥‥ほら、人形の持ち主が探しているかもしれませんよ。勝手に持って行ったら持ち主が困りますよ!」
「困る‥‥?」
「はい!」
騎士が言ったことは明らかに子供を諦めさせるための嘘なのだが、男の子は迷いに迷った挙句「わかった」と言って持って帰るのは諦めた。
「だったら‥‥んーと‥‥」
男の子は、辺りを見渡し、何かを見つけて走って行った。
家と家の間の隙間に捨てられた小さな棚があった。
「ここなら雨にも濡れないし、外からも見えるから、大丈夫だよ」
人形は男の子の優しさに困惑していた。
(わたしなんて放っておけばいいのに、どうして、あなたは優しくしてくれるの?)
「お家に帰れるといいね。ばいばい」
人形の言葉は男の子に届くことはなく、男の子は寂しそうに手を振って、馬車へと駆けて行ってしまった。
(待って!!‥‥お礼も言ってない)
(‥‥でんか? あの子は誰?)
(ありがとう‥‥)
棚に置かれたおかげで、人形の視界は一変した。
道行く人の表情がよく見え、時には道で大芸道なんかも見ることができた。
(まるで世界が変わったみたい)
(あの子がわたしの世界を変えてくれた‥‥)
人形の声なき声は感謝で震えていた。
話を聞いた王子は、驚愕して目を見開いていた。
うーんと考え込むが、思い出せないらしい。
「俺が‥‥キエリを?」
「はい‥‥ずっと前のはずなので、覚えていらっしゃらないかもしれませんが‥‥」
キエリは、王子に向き直って深く頭を下げた。
「あの時、王子様に救われました。本当にありがとうございました」
「キエリを助けられていたならよかった‥‥それに、俺だってキエリに助けられたよ」
王子は優しく微笑んでキエリの手を握った。
キエリも穏やかに微笑み返した。
「それじゃあ、キエリは恩返しのために屋敷まで来たんだね」
クイナがすごいなぁ、と感心したように呟いた。
「うん、あの後、風の噂で王子様が苦しんでいるって聞いて‥‥もう、からだが朽ちてしまいそうなとき、たまたまゼノに出会ったの」




