あなたは変われる
キエリが屋敷に来てから数日経った。
今日は、クイナの手伝いで屋敷の周りの黒バラに水やりをしていた。
キエリのからだに、ひもをつけたじょうろをかけてもらっている。
じょうろには水が湧き出る魔道具が取り付けてあって、わざわざ汲みに行く必要がなく便利だ。
(わたしがここにきて来て何日か経ったけど、わたしちゃんとあの子のために頑張れてるかな‥‥)
(あれから一緒にお食事して‥‥いや、食べさせてもらっているし、一緒にいられる時間もお話し出来る時間も増えて嬉しいけど‥‥)
「わたしばっかり幸せになってる‥‥」
キエリは、地に足がつかないような不安に駆られて、水やりの手が止まってしまった。
「今日はクイナの手伝いか?」
声をかけてきたのは、まさかの王子だった。
外套はまとっているがそれで姿を隠すことはしておらず、日のもとに照らされ、獣の黒い毛なみも爪も牙も隠れずにくっきりと見える。
屋敷の外に出ているところは見たことがなかったので、キエリは驚いて長いまつげをしぱしぱとさせて、腕で目を拭った。
「王子様ですか?」
「こんな化け物は俺くらいしかいないだろう」
キエリは、口を尖らせ眉間に皺を寄せて、キッと王子を睨む。
「何度も言いますが、王子様は化け物などではありません」
「この事実を否定するのはお前くらいだぞ」
「だって、本当のことではないですか‥‥」
キエリは、悲しそうに王子を見つめたが、小さくを息を吐いて気持ちを切り替えた。
「王子様はどうしてここに? お散歩ですか?」
王子は、忌々し気に空を見つめてはため息をつく。
「違う。コンゴウとエレドナに部屋を追い出された。掃除すると言ってきかない‥‥‥全く、今まであれほど怯えていたというのに、どうしたというのだ」
「コンゴウさんとエレドナさんが? そうですか、そうですか!」
コンゴウとエレドナがしっかりと王子と話し行動したことと、それに王子が応えたのが嬉しくてたまらなかった。
キエリは、かみしめるようにこくこくと頷き、にっこりと嬉しそうに笑った。
「何をそんな笑っている?」
「コンゴウさんとエレドナさんが王子様との距離を近づけようとしていることがとっても嬉しいのです」
「コンゴウたちが‥‥‥」
王子は琥珀色の瞳を見開き、そして、ゆっくりと目を伏せた。
「無理な話だ。あの者たちは俺のことを幼いころから知っている。知っているが、この姿になってからずっと怯えている‥‥」
「お気づきではないですか? もう、違いますよ‥‥ご心配なさらないで、きっと大丈夫ですから」
キエリは、優しく語り掛けて、穏やかに微笑んだ。
王子は、伏せていた顔を上げ、キエリの顔を見つめる。
痛々しい傷など感じさせないくらい明るい彼女が眩しく感じて、目を細める。
「何故、そうも無責任なことが言える‥‥もう、この呪いも解けることはない。何も変わらない」
「いいえ、もう変わり始めていますよ。周りの人も、王子様だって」
「俺が?」
「はい、こうやってお散歩できるようになったじゃないですか!」
「‥‥‥‥」
王子は、鼻筋部分に皺が寄り、ぐっと何かをこらえるように歯ぎしりしたが、キエリは王子が何かを言おうとしているのかとじっと待った。
しばらく待っていると、王子は力が抜けたように顔の険しさが抜けていった。
「そう、か‥‥変わっているのか。確かに、そうかもしれない」
「はい」
「お前の‥‥お陰か」
ぽつりと王子の口からこぼれた言葉をキエリはしっかりと聞いていた。
この一言がもらえたことはキエリになくなりかけていた自信をじんわりと取り戻させた。
(よかった‥‥わたしも、少しでも助けになってたのかな‥‥ちゃんと王子様の幸せに近づいているのかな‥‥)
キエリは、そう考えているとなんだか鼻の奥がツンと痛くなり。
微笑んでいたはずなのに、水色の瞳から静かに涙が流れた。
これは泣いているのかと気付いたキエリは、王子様にそれを見えないようにしようと咄嗟に俯いたが駆け足で近づく足音が聞こえた。
「おい、何故泣いている」
頭上から聞こえる王子の声は慌てていた。
「大丈夫です。しばらくしたらおさまりますから」
「‥‥俺が嫌なことを言ったのか?」
どんどん王子の声が不安になっていくので、キエリは首を横に振り、顔を上げて王子の顔を見上げた。
不安そうにキエリを見つめる琥珀色の瞳と視線が重なった。
(やっぱり、この瞳だけはあの時とかわっていない‥‥)
「大丈夫ですよ。目にゴミが入っただけです」
「見せろ」
王子の顔がぐっと近くなり、壊れ物に触るようにキエリの頬にそっと触れ、キエリの瞳を覗き込む。
キエリは、王子に触れられると、どうしようもない恥ずかしさと冷たいからだの胸の奥から湧き出してくる感情が怖くなって、ちょっとした嘘をついたことを後悔した。
「あ、あの、涙で流れたようなので大丈夫です」
「そうか‥‥」
王子は、ほっとしたように呟くと、涙で濡れたキエリの顔を拭い、手を離した。
キエリは、まだ王子が触れたところに王子の体温が残っている気がした。
「お前、またからだが冷たいぞ‥‥また無理しているのではないだろうな?」
「してませんっ、他の人よりも体温が低いだけですよ」
王子は疑わしいと言った目でキエリのことを睨む。
よほど前に倒れた時のことがこたえたらしい。
「本当です! あれから、ちゃんと食べさせていただいてますし、しっかりと寝ています!」
「王子様はどうですか? しっかりと眠れていますか?」
「あぁ‥‥」
「ふふ、それはよかったです」
質問を返された王子は、正直に答えることができた。
呪いをかけられてからというもの、満足に眠れたことがなかったが、不思議とキエリが来てからは穏やかに眠れることが多くなった。
それだけではない。
あの幻聴も何故だかほとんど聞こえてこない。
そのおかげか、本当に久しぶりに穏やかな気持ちでいられる時間が多くなった。
もしかして、呪いが弱まっているか、解けかけているのかと考えたがからだには変化はない。
(本当に俺も変わっていっているのだな‥‥だが、なぜ?)
頭の中の問いに答える者はなく、王子はじっとキエリを見つめた。
キエリは、じっと見られることにはどうにも慣れないが視線を外すことはない。
(この者は一体何なのだろう? どうしてこうも、俺の心に入り込もうとする?)
王子は、何故このキエリがここまでするのかと疑問でならなかった。
しかし、食事を一緒にするようになり会話が増え、キエリにどうしてそこまでするのかと尋ねても話を逸らすばかりで、キエリは答えようとしなかった。
過去にキエリと何処かで出会ったという記憶もなく、考えても答えは出ないままだった。
「まだ、水やりは終わらないのか?」
「はい、あとはずっと向こうまでやればおしまいです」
「そうか‥‥」
王子は、それだけ聞くとどこかに行ってしまった。
キエリは、もうお話しはおしまいなのかと少し寂しく思えたが、水やりを再開した。
しかし、しばらくすると王子が戻ってきて、その手にはじょうろが握られていた。
そして、王子もバラに水やりを始めた。
「二人でやれば早く終わるだろう」
「ふふっ、そうですね‥‥」
「あ‥‥」
キエリがふと何かに気付いて声をもらし、バラの近くにしゃがみこんだ。
「どうした?」
王子がキエリの隣に来て、キエリが見ている場所を覗き込む。
「これ、見てください‥‥黒バラのはずなのに一輪だけ淡いピンクのバラの蕾が」
キエリがさした場所に本当にひっそりと、小さなバラの蕾が隠れていた。
王子はその蕾をじっと睨みつけた。
(あ‥‥お花好きじゃないって言ってたのに、つい言ってしまった)
キエリは、言ったことに後悔したが王子は何も言わず水やりに戻った。
キエリは、王子の変化がまた見れて嬉しさで笑みがこぼれた。




