孤独に死す、ゆえに孤独
それから日が昇っても、朝食も摂らずに私は呆然としていた。
D.D.T onlineにログインすることはおろか絵を描くすべも奪われた、というわけだこの私は。
アイカ……何処へ消えた?
心当たりは全くなかったし(暫くの間私の関心にさえ上っていない彼女の行方など思い当たる筈もない)fifth dimensionsの主人になら警察はとっくに当たっていることだろう。
俗っぽいところは大いにあったが、事件に自ら巻き込まれるほど軽率とも思えない、では何故……消えた?
私は監視されているとあの刑事たちははっきりと言った、ならば付いてくるがいいさ頭の中までは覗けない。
発作的に私はコートを掴んで羽織るとアパートから出た。そのまま最寄り駅へと向かう。
なるほど誰かに尾行されているのは間違いないのだが、流石だ、全くわからない。
9時30分発京王八王子行き列車に私は乗り込んだ、上りに乗ると思ったら大間違いだ。分倍河原で降車して南武線のホームへ降りた。
5分ほど吹きっさらしのホームで列車を待ち、9時46分発立川行に乗車した。
西府、谷保、矢川、西国立……列車が進むうちに耳元にあの「百頭女」が忍び寄る。
「犯罪か奇跡か ―― ひとりの完璧な男」それは私? 否、違う。
嗚呼、出てくるな! お前は……誰だ? 惑乱、私の妹、「百頭女」!
立川駅はいつ来てもひどくごった返していて、軽く私は先ほどとは違う酩酊を覚えた。まだ付けられてるのだろうが構わない。
グランデュオの入り口に来て、私はアイカのことをふと思い出した。それはブランドもわからない香水を強請られたことであるが。
あまりに空腹だったことを思い出して、私は此処のスターバックスコーヒーで、しばし時間を潰すことにした。
そこで手持ちのショルダーバッグの中から、スケッチブックとシャープペンシルを取り出すと(外出先で急に絵を思いついても良い様に一応持ち歩いていた)私は仕方なく女教皇を描き始めた。
「哀れだね"銀鶏"おまへはKと何も変わらないさ、ただ――」
夢の中であるとはいえ私の創造物たる彼女は(いや本当にそうだろうか? 彼女こそが百頭女なのかもしれない)私を愚弄し、夢に周公を見せると言ってのけたのだ……
そうしている間にも筆は進み今度は横顔ではない、女教皇が出来上がってきた。
邪悪そのもの記号を放つ、むせかえる様な女。しかし知識、智慧、霊力を一身に背負う象徴としての彼女が。
それは青いベールの中から短めの赤い髪を振り乱し、知的かつ挑発的に私に掴みかかる獣。
そこまで描いてわたしは現実に引き戻されるのだ。
「とても絵がお上手ですね、漫画家なんですか?」
「違いますよ、単なる趣味です」
厭だ。私はばつが悪い、だから外で描くのではなかった。
金を貰って描いている、なんて口が裂けても言えるわけがない、絵が描ければ漫画家? 一般人の認識などそんなものだろう。
隣席の女に声を掛けられて、早々に私は席を立った。時計は11時半を指していた。
駅の南口に出た理由は単純でその方が食い物屋の好みが私の好みに合うからであった、と、いってもジャンクフードと居酒屋ばかりが並んでいたが。
場外馬券場 (私は全くギャンブルには縁がなかった)の先はありふれたビジネスビルや住宅街で無意味に歩いてきてしまったことに気づく。なんだか頭痛がする……不意に「鳥の王」という言葉が頭を過った、百頭女が囁いたせいだろうか? しかしその名は「ロプロプ」ではなく「シムルグ」あの伝説的な、アヴェスタにも登場しサエーナ鳥の異名を持つシムルグだ。
頭を抱えながら折り返して北口へと歩く。
モノレールの軌道を横目にしながら、鳥が、鳥の王が私の頭を掻き毟った。
北口に到着してしまうと家電量販店が目についた、押収されたパソコンの替わりでも買おうか? 仕事の役には立たなくとも、せいぜいあの――D.D.T onlineに足を踏み入れる事のできる程度の言わば、軍馬のような――と、それも押収されたのではたまらない、いつあのパソコンが返ってくるか目処も立たないうちは、無駄な出費は避けるべきだろう……
私は昼食を結局脇道の奥にある、こじんまりとした定食屋で餃子定食を食べることにした。店内には他にそれらしい客がいない事から、仮にあの磯という刑事が言うように監視役が居たとしてもこの寒空の下、菓子パンでも食べているのだろうと内心苦笑した。そう、客がいない割に注文から料理が提供されるまでの時間が不自然に長いのだ。何か意図があるのか、それは表に居る(かもしれない)警察と関係があるのか。或いはたんに怠け者の店員なのか? 餃子自体は香ばしく、舌触りもふわりと柔らかい。腹を満たす程度には丁度良い量だ。
最後に古書店に立ち寄ったが、(私は事実古本が好きだった)しかしそこは私の想定する単語とは意味合いが相当異なるようで、本よりも目立つのが子供向けの玩具、マニア向けのグッズ類、家電製品やゲームソフトの向こうにかろうじてライトノベルをはじめとした文庫本の棚が姿をのぞかせる。
本屋が本以外の商品をこうも積極的に取り扱わなければ経営が成り立たないという現実に、内心嘆息した。
ふと目線を上げると近くの雑居ビルに奇妙な看板があった。
『ネットカフェ 人間椅子』
ネット喫茶に人間椅子というネーミングはかなりぶっ飛んでいるな。――なになに料金プランは一日パックで2100円、シャワールーム、個室完備……安いな。
帰宅してもすることもないので私はこの『人間椅子』に入店した。
エレベーターが止まるとそこはビルの6階全てを使った、黒を基調とした落ち着いた内装の所謂ネット喫茶とは一線を画す場所……BGMすらジャズがかかっている。
受付カウンターで12時間分の料金を先払いすると、個室シートにコーヒーを持って私は腰かけた。……どうせここも監視されているのだろう?
女教皇と鳥の王シムルグ。
果たしてその行く先は――
この冬は終わらない。




