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陰府これに隨ふ  作者: 雀ヶ森 惠
1.Cast a cold eye On life, on death.Horseman, pass by!
29/60

『破壊の破壊』

 D.D.T onlineにログインするには早すぎた。

 何か時間を潰せることは? 漫画や雑誌を読む気にはなれない。

『人間椅子』ではDVDの貸し出しもあったが別段興味を引くようなものもなかった。

 どこのレンタル屋にも置いてあるようなものばかりだ、ハリウッド大作、新旧邦画、アニメ――目新しいタイトルはない。

 だが時間の有り余っている私は、多少マシな作品を求めて数少ないヨーロッパ映画の棚を見た。

 ラース・フォン・トリアー監督の作品が何本かあったが(彼の映画は私の趣味に適っていた)生憎、全て鑑賞済みだ。

 一本だけ、返却されたばかりのDVDがその棚に無造作に突っ込まれていた。


『破壊の破壊』


 全く知らない映画であった。

 クレジットを見ると1996年、ユーゴスラビア作品、とだけある。

 正確にはボスニア・ヘルツェゴビナで撮影されたらしいのであるが、監督も主演も生憎横文字で書いてあり無学な私には解らなかった。

 何になるというのだ? それを知ったところで――

 そのパッケージには酷くコントラストが強く加工された画面の中から、主演女優らしき女がシーツを被って恨みがましい目を此方へと向けていた。

 これはまさしく「呪詛」であるな、と私は直感した(これは大いなる秘密なのだが、芸術の真の正体とは呪詛であるのだ諸君)

 だからこの映画を観ない道理があっただろうか? 否なかった。


 ともかく私は受付で『破壊の破壊』を借りて鑑賞することにした。

 席に戻るとPCにそれをセットする。

 ヘッドホンを耳に装着して再生ボタンを押すとクレジット(おそらくボスニア語)の後にすぐ画面が切り替わった。


 ぷつりと、画面が変わるあの白いシーツを被った女がひどくきついコントラストに編集された画面の中で独白を始めるのだ。女が喋ると同時に字幕が流れ出した。


「私は少女であるところの私に囚われているのです」


 読みにくい字幕の中そう言って、もう若くも年を取ってもいない女は被っているシーツを引き寄せた。

 モノクロームの画面でも判る朱を塗った唇から漏れるのは、一種の苦悩に満ちた懺悔であった。


「故に私は少女のフリを続けなくてはりません」


 女はがたがたと震えだした。そうしてやっとのことで二の句を継いだ。


「私は去勢されました、女にされたんです――両親によって」


 勿論彼女は去勢された男のわけではなかったし、両親に去勢されたというのもこの場合、世界にはどうしても必要な『ほんとうかもしれないうそ』の一つとして存在しているようだった。

 ところが、とにかく女はおびえきって疲弊しており、シーツの影から覗く落ちくぼんだ眼は光を失いフィルムの中からだというのに死霊よろしく、邪なものを投げかけているのであった。


 画面が転換した。

 彼女はまるで嘘を吐いていたかのように着飾って化粧をしては別人のように、むせ返る様な女としての記号を投げかけていた。その姿で、空爆を受けた名もなき町を徘徊した。

 カメラは空爆後の惨状を余すところなく映し出していた、即ち壊れた商店、カフェ、民家、闇を燃え燻る燐。女はサンダル履きでその町を愉快そうに歩き回りカメラもそれを追った。

 だが彼女がモスクへ入ると論調は一変した。厳かともいえる態度で彼女はモスクで祈りを捧げたのだ。一体何を?


「ワタシヲオトコニモドシテクダサイ、ドウシテモダンセイデナケレバナラナイノデス」


 だが唐突に彼女は消えカメラの前には主に子どもたち、大人もいたが、が集まり始めた。監督が飴を撒きはじめたのだ。

 シャワーのようにそれを撒くと我先にと子供たちは愉快そうに飴を拾い始めた。

 中には偶にビスケットの包みすら入っていた。

 それは大変な騒ぎだったが、カメラは次第に左にぶれて奥にいるある人物を追い始めた。

 カメラが寄るとその人物はまた別の服で着飾った彼女で飴やビスケットの応酬を冷静かに眺めていた。

 彼女は歩き出した。

 先ほどとは違う見知らぬ町だ。

 徐々に星々が昇り夜になって行く。

 そして彼女は安宿に入ると電話を受けた。

 程なくして屈強な国連軍服を着た兵士が現れた。

 彼女はその兵士と寝た。

 行為が終わると彼女はベッドでこう言うのだ。


「あらゆる物語が存在するというとき真の意味で物語なんて存在しない」


 ベッドの中で彼女は熱に浮かされたように呟いた。


 すると、兵士はこう返すのだ。


「お前がかつて所有していたものも、今所有していると思っているものも何一つ所有してはいない」


 事が終わると枕元に札が残されていた。

 彼女はそれを破り、しどけない下着姿のままシーツを被ると、カメラを睨にらみ再びあの台詞を繰り返した。


「私は少女であるところの私に囚われているのです」


 だが行為の後のせいか非常なリアリティをもってそれは聞こえるのだった。


「故に私は少女のフリを続けなくてはりません」


 実際には娼婦のフリなのかもしれなかったが、ともかく望まないごっこ遊びを強制されている。


「私は去勢されました、女にされたんです――両親によって……!」


 再び星々は巡り朝が来た。無人の安宿が映されており彼女はもう居なかった。


()()()()()()()()()()()()


 その字幕を最後に『破壊の破壊』は終幕した。



 奇妙な映画である。

 内容はたかだか30分弱、だが頭に加えられるこの衝撃は何だ? そうまるで殴られたような……

 何故『破壊の破壊』なのか? 原題は (طهوت الطهوت)であった。読めないが。

 私がイスラム世界の作品で知っているものと言えばガザ―リー (アルガゼル)の著作程度で、それはイブン・シーナーの態度を再考するような、神は要因であり世界は結果であるといった程度だ。

 まるでバークリのようだな、とその時は思った。

 しかし原題がアラビア語である以上、この作品はイスラム教的な意味合いもある筈だ、破壊の破壊。そう私は検索窓に入力した。

……なるほど『破壊の破壊』とはこの追放された哲学者イブン・ルシュド (アヴェロエスとしても知られる男だ)の、先述のガザ―リーに対する反駁的注解としての著作のことか……これはガザーリーが批判したイブン・シーナーに対する批判でもあった。ガザーリー批判はイブン・シーナーの教説にのみ当てはまり、アリストテレス哲学には当てはまらない立場をイブン・ルシュドは採る。故に彼は (場合によっては)ガザーリーのイブン・シーナーの誤りの指摘にすら同意しているのである。


 この『破壊の破壊』は1180年ごろ書きあげられたが、結局アンダルシアにおいても保守的な宗教勢力によって哲学を異端視する流れは変わらずに、イブン・ルシュドは追放され後に赦免されたが、宮廷に戻る途上に客死する。

 ただ原題がこのイブン・ルシュドから採られた理由はこちらだろう、彼はかねがね存在していた「宇宙は特定の瞬間に創造されたのか、それとも常に存在していたのか」という論争について、宇宙の形態だけが時間内に創造されたことを暗示するが、その存在そのものについては永遠であるとの思想を持っていたようだ。


「存在は永遠に繋がる……」


 私は誰もいない『人間椅子』のフロアで口にして直ぐに悔恨した。

 いったい何を言った? この私は? それではまるでKが未だに存在 (生きている、という意味ではない)していなければおかしいではないか!


 落ち着け、そうだ……あやのからメールが入る筈だったのだ。

 彼女 (彼か?)からのメールはブラウザメールにも転送するようにしてたから、ここからでも読むことができた。

 あれから半日経過している、そろそろあやのがメールを送付してきてもいい頃合いだろうと、私はブラウザメールを開いた。



新着メール

from     件名           日付

あやの☆   ヤバいよ!   201X/12/1X Mon 13:55



 そこには危機を知らせるあやのからの連絡が届いているのであった。いったい、何があった?


 この冬は終わらない。

ちょっと馴染みがなさそうなので脚注をば……

イブン・シーナー: (980年 - 1037年) アヴィケンナとも、イスラム世界が生み出した最高の知識人と評価され、同時に当時の世界の大学者である。アリストテレス哲学と新プラトン主義を結合させたことでヨーロッパの医学、哲学に多大な影響を及ぼした。

ガザ―リー: (1058年 - 1111年) 別名アルガゼル。ペルシアのイスラム神秘主義思想家、神学者。

イブン・ルシュド: ( 1126年 - 1198年) アヴェロエスとしても知られる。イスラム統治時代のスペインの哲学者。アリストテレスの注釈者としても有名。

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