第8話:疲れの正体
「夕霖、あなた大丈夫なの……?」
宿舎で簡素な食事を食べている時、声をかけてきたのは明佳だった。
彼女は突然茈瑛に呼び出された夕霖のことを気に掛けてくれている。
夕霖も毎日内帑で仕事をしているわけではなく、茈瑛が内帑へ来れない時は普通に御庫で掃除などをしている。
「大丈夫、とは……」
「茈家の若君に攫われて、下働きをさせられているって聞いたわ。奴婢のようにこき使われているって」
「……そ、そこまでこき使われてはいないので、大丈夫です」
確かに、内帑での仕事はなかなか大変だ。
基本的に茈瑛は夕霖の働きを見ているだけで、なにかを手伝うということはしない。
たまに重たいものがある時は、護衛の兵士を呼び出して荷物持ちをさせてくれるが――彼本人が動くことはほとんどなかった。
(まぁ、あの方の仕事は力仕事じゃないし……)
茈瑛の仕事は万能鍵である。
夕霖の立場じゃひっくり返ってもできないようなことを、茈瑛は翌日にはやり遂げてくる。
おかげで、内帑は短期間で見違えるほど綺麗になった。
衣装や書画を陰干しするための棚ができたし、保存用の木箱も十分足りている。虫除けの香も、御庫で使われている最高級のものを用意してくれた。
「本当に? なんだか最近、少し疲れているみたいだけど」
「そ、それは……」
疲れているのは本当だ。
ただ、内帑での仕事が、眠る時間もないほど忙しいわけではない。むしろ実家にいた頃より、生活は規則正しくなっているくらいだった。
市井にある実家と、後宮の中にある宿舎では生活の習慣が違うというのも原因の一つではあった。
「環境が変わって、少し疲れてはいるんですが――そのうち慣れてくると思います。実家より早寝早起きができているので、むしろ健康的なくらいで」
商人の朝は早い。朝市へ出向く日や、遠方から荷が届く日は夜明け前から働くこともある。
その一方で、夜には得意客の宴へ顔を出し、帰りが遅くなることも少なくなかった。
もちろん閑散期はゆっくり休むことはできるものの、王都一の大店ともなればそれもごく短い期間だ。
「睡眠自体はよく取れていますし……」
「でも、疲れが取れていないんでしょう? ……目の下に隈ができていますよ」
明佳はそう言うと、夕霖の目元をそっと指先で拭ってくれた。
……確かに、寝ても寝ても疲れが取れない。
仕事の内容自体はそこまで忙しくないのに、気怠さが抜けないのは問題だった。
「きっと気疲れね。薬房で薬湯でももらってきたら?」
「気疲れなんて、そんな――私は商家の娘ですし、人付き合いで苦労したことはあまりないのですが……」
「お店のお客様とはまた違うでしょう。……ここでは気を病んでしまう人も多いし」
明佳はそう言って、仕事の前に後宮の薬房に行くことを勧めてくれた。
(確かに、お客様と茈瑛様じゃ何かが違うなぁ……生まれが高貴だと、人の精気まで引っこ抜けるものなのか)
店先に立ってたくさんの人々に品物を売りつけてきた夕霖だ。人付き合いのうまさには自信がある。
だが、そんな夕霖であっても茈瑛相手にはちょっとばかし気を遣う。
給金三倍の交渉をしてくれた恩人ではあるものの、心のどこかで『この人は高貴なお方なのだ』と一線を引こうとする意識が働いているのかもしれない。
(薬房……薬房かぁ)
あそこ、薬臭くて苦手なんだよな。
そんな当たり前のことを考えながら、夕霖は簡素な食事をとり終えた。
● ● ●
「すいませーん、薬湯をいただきたいんですが……」
「はいはい、どうしましたか」
明佳の気遣いを無碍にするのは悪い気がしたので、結局夕霖は食事の後で薬房へと向かった。
奥に声をかけると、ふくよかな年配の女性が顔を出す。
「あの、眠れているんですけど疲れが取れなくて……」
「あら、気の疲れね。食事はとれてる?」
「はい。十分に頂いています」
いくつかの質問に答えると、医女は薬湯を作りに奥へ引っ込んでいった。
しばらく待つと、茶碗に注がれた薬湯を持ってきてくれる。
気疲れや夏のだるさを訴える女官は多いらしく、薬房にはあらかじめ煎じた薬湯が用意されていたらしい。
「舌が乾いていたわ。最近は暑いから、水をよく飲みなさい。それから、塩気のある汁物もね」
「はい」
頷きつつ薬湯を受け取ったが、この甘いとも苦いともいえない臭いが得意ではなかった。
とはいえ、この後は普通に内帑での仕事がある。
ギュッと眉を寄せ、息を止めて薬湯を一気飲みした夕霖は、深く息を吐いてからぶるりと体を震わせた。
「おいしくない……」
「飴湯じゃなくてよ」
年配の医女はそう言ってくすくす笑い、またなにかあったら顔を出すようにと言ってくれた。
後宮で働く以上、ここにはこれからもお世話になるはずだ。ぺこりと頭を下げ、まだ苦さが残る口の中をもごもごさせる。
(飴湯かぁ、いいなぁ。飴……舐めたいなぁ……)
夏は冷やした飴湯がおいしい。
それなりに贅沢な品ではあるが、毎年夏になると、父がお得意様へ配るために仕入れていた。夕霖もそのおこぼれにあずかり、兄たちと分け合って飲んだものだ。
(ま、ここじゃ流石に無理か……)
家族と会えない切なさを感じながら、いつも通り内帑を守る衛兵たちに頭を下げる。
すると、彼らは何も言わずに鍵を開けてくれた。
「ふはぁ……」
外は暑いが、内帑の中は幾分涼しい。
茈瑛に頼んで風通しを良くしてもらったおかげで、蒸し暑さは感じなかった。
「茈瑛様は……まだ来てないのか」
ふぅ、と息をついた夕霖は、そこで自分がホッとしていることに気が付いた。
緊張している。別に彼が怖いとか、居丈高な態度をとられたとかではない。偉そうな人ではあるが、喋り方や仕草から誠実さは垣間見える。
(大兄様と年が近いし、怖いとかもないんだけどな……)
もう少し気楽に話ができたらいいんだが、身分の差が大きすぎる。流石に兄のように話すのは無理だ。
どうしたもんかな、と考えていると、そこでゆっくり扉が開いた。
茈瑛がやってきたらしい。




