第7話:白玉の酒杯(下)
「問題? なんだそれは――玉杯は本物なんだろう?」
「白玉としては、本物です」
日にすかした玉杯を木箱に戻してもらい、夕霖はそそくさと内帑の中へと戻っていった。
これから話すことは、万が一にも護衛の兵士の耳に入ればまずいことだ。
夕霖がここに連れてこられた理由は、内密に宝物たちの真贋鑑定を行うこと。
贋作を買いあさったとなれば、皇帝陛下の名に傷をつけることになってしまうからだ。
「……言い方に含みがあるな。白玉としては、というと――盃としてはどうだ」
「非常に精緻に作られております。特にこの、蓮華の細工……これは近年確立された技法で、手練の職人でなければこの風合いは出せません」
本当は、酒を注いでみるのが一番いい。
そうすればぼんやりと蓮の花が浮かび上がり、香りまで漂ってくるような錯覚を覚えるだろう。
「そうですねぇ……ウチの店で取り扱うなら、軽く二百貫」
「……なかなかの値段だな」
現在、夕霖の給金は月に四貫五百文。
元々一貫五百文だった給金を三倍にしてもらって、ようやくその額になった。
二百貫というと、今の給金でも四年分近い。三倍に引き上げてもらう前なら、十年以上働かなければ届かない額である。
これでも夕霖はかなりいい給金をもらっており、庶民が気軽に手にできる額ではない。
「はい。ですが、帝の宝物となれば、値をつけられぬものもたくさんあると思います」
「……まぁ、そうだな」
「特に、先の皇后様にゆかりのあるものなど、本来は二百貫ごときで済むはずもありません」
「では、お前は……この玉杯が、五代前の皇后ゆかりのものではないと見立てるのか?」
そう、店で売れるのだ。
この作りなら、多分長兄がさらに箔をつける。
だが、嘘をついてはいけない――口八丁手八丁で痘痕をえくぼに変えることはあっても、まるっきり嘘を並べ立てるのは客を失うやり方だ。
「さっきも申し上げた通り、蓮華の細工は近年確立された方法です」
玉を精緻に削り出す工具と研磨の技術が、ここ二、三十年ほどで劇的に進歩した。
そして、細工を行う職人の腕がついてくる。となると、これが五代も前の皇后の時代にあったかどうか――そこが怪しくなってきた。
「それと、ここです。足の細工を見てみてください」
「……錆びているな」
「はい。多分、鍍金を施した銅の金具かと。これも五十年ほど前に流行っていた手法で、価値はありますがそこまで昔のものではありません」
金色の装飾はところどころが剥げ、下から赤みを帯びた地金と、青緑色の錆が覗いている。
「兄の受け売りなのですが、金は錆びることがありません。恐らく、加工しやすい青銅で金具を作り、表面に鍍金を施したのでしょう」
「では――これは贋作だと?」
「いいえ。玉は本物で、非常に良い品だと思います。ただ、来歴が偽りというだけで……」
品物そのものの出来が同じでも、誰が所有し、どのような由来を持つかで値は変わる。
皇帝陛下がお使いになったぼろ布と、平民が金を貯めて買った上等な衣――市場で高値がつくのがどちらかなど、火を見るより明らかだ。
「なので、厳密には贋作ではありません。ただ、陛下のお耳に入れておいてください」
外に漏れ聞こえないようにことさら声を落とすと、茈瑛は頷いた。
「その……お前の一族は、皆そう博識なのか」
不意にそう尋ねられて、夕霖はゆっくりと首を横に振った。
これらは商売に必要な知識であり、博識だとは言わない。
流行を調べれば、玉の飾り彫りも金具の装飾もすぐにわかることである。
「下町の問屋に行けば、すぐにでも教えてくれますよ」
「……そう、なのか」
「えぇ。私もお得意様に顔を出して、色々教えてもらいました」
夕霖はやせっぽちだが、笑顔が可愛いと母によく言われてきた。
愛嬌は商人の武器である。幼い夕霖が店先に立ち、舌ったらずに接客をすると面白い具合に物が売れた。
お得意様の元に連れて行ってもらい、キラキラした簪やおいしそうな飴玉に目を輝かせると、相手はその由来や秘密をあれこれ教えてくれたものである。
「なので、私が特別博識だとか、そういうことではないんです。知ろうと思えば、屋台のおっちゃんや店番のおばちゃんに聞けばよくわかりますよ」
国の行く末を左右する官吏たちが学ぶ学問ほどではないが、市井の平民たちだって馬鹿じゃない。
むしろ、机上の学問でどうにもならないようなことも、下々の民は手を取り合ってなんとかしてきたのだ。
「……その、屋台のおっちゃんが知っているようなことを陛下は知らなかったのか」
「上手く言いくるめられたんでしょうね。ほら、皇帝陛下ともなれば嘘をつくような人間も周りにいないでしょうし」
そんなことをしたら、あっという間に首が飛んでしまう。
きっと陛下の側で、それは嘘偽りだと断じてくれる人間がいなかったに違いない。
(高貴な生まれでも、それはそれで不幸だなぁ)
自分だったら、兄に嘘をつかれて贋作を掴まされたら箒で殴っているに違いない。
そんなことを考えていると、茈瑛がボソッと口を動かした。
「……そうでもないぞ」
「え?」
「いや――お前が思っているより、王宮は嘘つきだらけだということだ」
疲れたように肩を竦め、茈瑛は内帑の扉を開けた。
どうやら、今日の仕事は終わりのようだ。
「それにしてもお前、随分疲れた顔をしているな。厨房から点心をくすねてくる予定だが、食うか」
「そんなのくすねてきていいんですか……」
「余ったものを分けてもらうだけだ。それくらいなら大丈夫だろう」
薄暗い倉庫から外に出た茈瑛の後ろを、夕霖は足早についていく。
ふっくら蒸したての点心をご相伴にあずかり、その日はほんの少しだけゆっくり眠ることができた。




