第5話:新職場での初仕事
「失礼いたします……」
翌日の朝から、夕霖の内帑勤めが始まった。
粗末な朝餉を流し込み、内帑の前にやってきた夕霖はそのまま中へ通された。どうやら、護衛の兵士たちも茈瑛から夕霖のことを聞いているらしい。
(それにしても――新しい倉庫の割に、物が多いなぁ)
内帑の大きさそのものは、御庫の棟一つ分より小さい。
だが、そこに数多の宝物が押し込まれている。これと言った分別もされていないので、御庫よりもごった返しているように見えた。
「ただ、買ったものを突っ込んでるだけみたい……」
「そうだな。陛下には物の良し悪しがわからん」
「ひっ!」
突如背後から聞こえた声に、夕霖は思わず飛び上がった。
慌てて声のした方を見ると、茈瑛が不機嫌そうな表情を浮かべて立っている。
「失礼な女だな……」
「すみません、他に人がいるとは思わず……」
「一応、俺も監督役ということでここにいる。お前ひとりで判断できないことは、俺に聞いてくれ」
そう言うと、茈瑛はどっかりと椅子に腰かけた。
偉そうというか、実際偉いので文句も言えない。伝手とはいえ、生まれも育ちも夕霖からすれば雲の上に立つような人だ。
「わ、わかりました……茈瑛様は、書画などには詳しいので?」
「詳しくない」
「えっ」
「だが、俺はちょっとばかし使えるぞ。大抵の場所には出入りができるし、必要なものもそろえられる」
(それは――まぁ、確かに使える……)
権力を振り回す人間は、夕霖もあまり好きではない。
だが、この場合は適材適所だ。今後、もしかすると夕霖一人では手に負えないことがあるかもしれない。
(そこで使えるのが、茈瑛様かぁ)
まるで万能鍵のようだと考えながら、夕霖はこくこくと頷いた。
「かしこまりました。では、まず目録を確認しても? なにがあるのか、一通り確認させていただきたいです」
「そんなものはない。あるのは買い付けた時の記録くらいだな」
「……なるほど」
雑に買って雑に放り込んだから、目録すら作っていなかったらしい。
確かにこれは、茈瑛もうんざりするだろう。
最初から買ったものをしっかりまとめてくれればよかったのに、まず何があるかを調べ上げてから分類する必要が出てきた。
(給金三倍じゃ足りなかったかも)
胸の中でぶすくれたが、今から値を吊り上げるわけにもいかない。
「わかりました……では、手前の棚からコツコツやっていくことにします」
「助かる。力仕事が必要なら言ってくれ。外から兵士を連れてくる」
「はい、ありがとうございます」
茈瑛が自分で重い荷物を持たないのは、彼が高位の文官だからだろう。力仕事をするような身分ではないのだ。
お坊ちゃんめ、と内心でため息をつきながら、夕霖は筆と、何枚かの薄い木札を用意してもらった。
正式な目録には紙を使うが、分類前の覚え書きまで紙へ記していてはもったいない。
まずは木札へ書きつけ、内容が固まってから目録へ清書するつもりだった。
「紙くらいいくらでも持ってこさせるのに」
「もったいないですよ。どうせ書き損じるのですから、削って使える木札がいいです」
そんなやりとりをした後、夕霖は手近な棚から一つずつ宝物を確かめていった。
「玻璃の盃……箱にも入れずこんな雑に……」
まずは見事な玻璃の盃だ。
透明度が高く、酒など入れて月を映せばどんなにか映えるだろう。
しかし、うっすら埃をかぶったその杯は、木箱に仕舞われるわけでもなくぞんざいに置かれていた。
「茈瑛様、木箱をいくつか……柔らかい布を詰めたものをいただきたいです。これでは器に埃がかかって、表面に傷がつきます。なにかの衝撃があれば、すぐ割れてしまうかも」
「ん? あぁ――いくつあればいいんだ?」
「あればあるだけ……大きさが違うものを用意していただけたら、もっと助かります」
盃の隣には、どこの国のものかもわからない象牙の印璽があった。
更にその奥には書画が数枚、雑に並んでいる。これでは虫が湧いても文句は言えない。
「ひどいな……買い集めるのに必死で、保管まで手が回っていないみたい……」
ただ、分別なく買い散らし、集めるだけ集めた。
皇帝陛下の人となりを考えるだけでも不遜だが、玻璃の盃ひとつで民が何年も飢えずに暮らせることだろう。
(高貴なお方の考えなんて、よくわかんないけど……)
はぁ、とため息をつきながら、夕霖は手に持った木札にさらさらと筆を走らせていった。
そんな具合で、丸一日かけて棚を一つ分見終えると、酷く疲れてしまう。
壊してはならないと気を張りながら、ぞんざいに扱われた宝物たちに胸を痛める。
そんなことを毎回やっていたら、退職金をもらうより先に気がやられてしまいそうだ。
「贋作はあったか?」
「まだ、そこまで見られてはおりません。ただ――怪しい品はいくつか」
夕刻になり、夕霖がその日一日の仕事を終えたところで、茈瑛がそう声をかけてきた。
仕事を始めると必要になってくるものがたくさん出てきて、そういう時に彼は役に立つ。
ものを収納する木箱だけではなく、書画を湿気や虫から守る棚も作ってほしいとか、できれば倉庫自体の風通しをもう少しよくしてほしいとか、そういうお願いも聞いてくれた。
「全て陛下の耳に入れておく。恐らく通ると思うが……」
「ありがとうございます。それなら、今よりよい状態で保存できるかと」
皇帝にそこまで進言できる、茈家の権力の強さに眩暈がした。
というか、先の給金三倍のお願いも普通に通ってしまったが、あれは茈瑛一人でどうこうできる問題じゃないだろう。
(陛下は茈家の傀儡……いやいや、まさか)
そのあたりに触れたら、生きて実家に帰れない気がする。
夕霖は気を取り直し、墨の乾いた木札を見下ろした。
「とりあえず、通し番号をつけてみました。そうすると、少しは管理がしやすいかと思って」
「……なるほど」
「それと、修繕が必要なものはこちらに。これも……陛下にお話ししていただけますか」
木札とは別に、品物の名を書いた紙を茈瑛に手渡す。
修繕を急ぐ品だけは、茈瑛が陛下へ見せやすいよう、別の紙へ清書しておいた。
「由来までは詳しく調べておりませんが、割れた酒杯や鏡など、急を要するものだけを挙げております」
「あぁ、助かる。全て陛下にお話ししておこう」
茈瑛は紙を丁寧に折りたたみ、自分の懐にしまい込んだ。
そこで、ようやく夕霖はふぅ、と息をつくことができた。
内帑での初仕事、これにて無事に終了である。




