第30話 :ひとつの恋の話(四)
「……やっぱり、難しいですかね? その、色々決めて、許可とかとるのって……」
そっと頭を上げた夕霖は、伺うように茈瑛を見上げた。
彼は目を丸くし、なにかを言いたげに口を開いてから再び引き結ぶ。
そしてようやく茈瑛が言葉を発した時、彼の口元は柔らかくほころんでいた。
「――問題ない。むしろ、それくらいなら――」
「いいんですか?」
「あぁ。俺はもっと……こう、色々請求されると思っていたんだが」
確かに、夕霖が望めば屋敷の一つや二つくらいは請求できたかもしれない。
だが、それを求める気はなかった。
夕霖には帰る実家があるし、分不相応なものは身を滅ぼすということを知っているからだ。
「必要ありません。お仕事もお給金もいただいているので……両親には、どうか整った墓廟を」
「――承知した。何瑛寿の名のもとに、迅家の墓廟を再興することを約束しよう」
そう言って微笑んだ茈瑛は、そっと柳太師に目配せをした。
彼がやりたいことを察したのか、頭を下げた柳太師は再び部屋から外に出て行ってしまう。
「あ……太師様――」
「すぐに工部に手を回す。根回しも必要だが、それは……まぁ、茈家の方でなんとかしてもらおう」
「……茈瑛様って、結構権力振りかざす人ですよね」
振りかざすのを許されている立場の人なのだから問題はないのだが、そこに迷いがない。
生まれながらの貴人はやっぱり違うな、などと考えていると、茈瑛はきゅっと眉を寄せた。
「使えるものはなんでも使う主義なんだ。……まぁ、今の茈家の状態が健全でないことはわかる。そこは俺が抑えねばならないところだ」
「そうなんですか?」
「祖父が健在だからな……先帝の治世、最後の方は母上と祖父上、それと柳太師で回していたようなものだ。俺もなかなか口出しはできん」
それでも、彼の祖父は茈家だけで国を回そうなどという気はさらさらないらしい。
血筋に優れた茈家だけでは手が回らない分野もある――三大貴族の残り二つである黛・丹両家がそれぞれ得意分野がある家柄であるのを考えると、茈家の立場は中庸。
いわば「優れた血筋こそが最大の力」という一族だ。
「だが、墓廟を建てるくらいの権限はあるぞ。柳太師も根回しには協力してくれるだろうからな」
「……ありがとうございます。きっと両親――えーと、産みの両親も喜ぶと思います」
夕霖にとって、両親は栢家の二人だ。
なんと呼べばいいのかな、と首をひねった後、夕霖はぽりぽりと頭を掻いた。
「……やっぱり、紅遠様と雪月様って呼んでもいいですか? あの、生きている方の両親にも申し訳なくて」
「それは、お前の好きにすればいい。その、俺は雪月殿と直接言葉を交わしたことはないが」
茈瑛の言葉は突き放すようなものではなく、自由にあれと背中を押してくれるものだった。
「紅遠殿とは、生前に何度か喋ったことがある。懐の深い人で、お前の呼び方にこだわるほど狭量な人でもない」
「……そうですか」
顔も知らない父ではあったが、そうして茈瑛から話を聞くと、どことなく懐かしいような気持ちになる。
母と自分のために鏡箱を作ってくれた父の姿が、ほんの少し瞼の裏に思い浮かんだ。
「あと……あの、実家に一緒にお越しいただいた件なんですが……あの、父と兄は仕事でアレをやっているので、どうか罰せずにいただけると――」
「いや、面白かったよ。うん、できればまた顔を出したいくらいには」
「勘弁してください……」
いたずらっぽく笑う茈瑛に、夕霖も小さく笑みをこぼした。
あの時は茈瑛のことをただの坊ちゃんだと思っていたが、皇帝陛下を実家に連れていったと思ったら今更ながらに胃が痛くなる。
色々押し付けて買わせてしまったので、罰せられたり店を没収されないのはとてつもない温情だ。
「あ――そうだ、それと……ちょっと気になったことがありまして」
「どうした?」
「……内帑でのお勤めは、これで終わりでしょうか」
内帑に集められたものの多くが迅家ゆかりのものであり、夕霖が迅家の出身であるとわかった以上は品物を集める理由もない。
となれば、夕霖はお役御免である。
(お給金が三分の一に戻ってしまう……!)
そこは夕霖にとっての死活問題だ。
人間は得をすることよりも損をすることに弱い生き物だ。
元々三倍に上げてもらったとはいえ、今ここで御庫の女史に戻れば給金は三分の一。
ここで商売の元手を稼いでいきたかった夕霖としては、ちょっとばかし具合が悪い。
「なんだ、内帑で働きたいのか」
「はい。だってお給金……あ、いや」
「……理由はそれか」
呆れかえった茈瑛だったが、しばらくクスクスと笑った彼はすっと顔を上げ、いつものように尊大な笑みを浮かべて夕霖を見つめた。
「なにを言ってる、まだ鑑定は終わっていないだろう」
「え?」
「給金と退職金を三倍まで出しているんだ。まだまだ働いてもらうから覚悟しろよ」
「っ……茈瑛様! ありがとうございますっ!」
ぱっと表情を輝かせた夕霖は、これまでにないほど大きな声を出して茈瑛に礼を述べたのだった。




