第3話:茈家の若君
御庫で働き始めて数日、夕霖の毎日は思っていた以上に穏やかなものだった。
仕事内容は、主に掃除と帳簿つけ。
広い御庫の一部を綺麗に掃除し、時々床に落ちているものがあれば布でくるんで避けておく。
時々判別がつきそうなものは、先輩の女史に許可を取ったうえで但し書きをつけておくことになった。
「こちらの金の耳飾りなのですが……純金にしては些か軽いかと思われます」
「そうねぇ……鍍金かしら。そこも但し書きに書いておきましょう」
先輩女史――明佳というたおやかな女性は、父が朝廷に仕える官吏であるという。
その伝手で働き始めたらしいが、真面目で面倒見がよく、夕霖にもよくしてくれた。
王宮での作法を詳しく知らない夕霖にも、あれこれと仕事を教えてくれる。
(姉上様がいたらこんな感じなんだろうな)
――と、男所帯で育った夕霖はそんなことを考えた。
「そうだ、夕霖……午後から時間はある?」
「はい、大丈夫です。この棟の掃除をするくらいで――」
不意に、明佳がそんなことを切り出した。
話を聞くと、夕霖に会いたいという客がいるのだという。
(私に客……?)
家族ではないだろうし、後宮に知り合いはいない。
実家で買い物をした官吏がなにか文句をつけにくる可能性も考えたが、それなら夕霖ではなく店に直接言いに行った方が早いだろう。
「心当たりがないのですが……」
「そうよね? でも、断るにはちょっとねぇ――相手が悪いというか」
不安そうな表情を浮かべる夕霖の肩に、明佳がそっと手を置いた。
「相手?」
「えぇ、茈家の若君なんですって。門下省で働く官吏で、私たちじゃ口答えなんてできないわ」
――茈家。
そう口の中で呟いた夕霖は、胃の上の方がキリッと痛くなるような感覚を覚えた。
確か、亡き皇太后のご出身がその茈家だった気がする。
つまり今の帝の、母方の血筋――その血筋ゆえ、宮中では絶大な権勢を誇る家柄だ。
「ますます心当たりがありません。……私、なにかとんでもないことをやらかしたんでしょうか……」
「なにもしてないわよぉ! ただ――どうしても栢夕霖に会いたい、っていってるらしくて」
心当たりのない呼び出しほど恐ろしいものもない。
昼になったら、御庫の最も奥にある棟に向かえと言われて、夕霖はとぼとぼと指定された場所へ向かうことになった。
(しかし、一番奥の棟か……あそこ、埃っぽくて臭いんだよなぁ)
一番ジメジメとしていて薄暗い棟は、昼間でも化物が出てきそうなくらいの風格があった。
幽霊は一文も持っていないので怖くはない。ただ、不気味な感覚はぬぐえない――居心地の悪さを感じながらしばらく待っていると、やがて若い男がこちらへやってくるのが見えた。
背は高いがやせっぽちではなく、顔立ちは精悍な若者だ。
年頃は多分、長兄に近い。三十手前あたりだろうか。どこか目元に幼さが残るのは、育ちの良さが見えているからかもしれない。
「お前が栢家の娘か?」
「は、はい。栢夕霖と申します……」
「茈瑛という。門下省の符宝郎だ」
門下省は主に、皇帝の命令――勅旨を審議する国の中枢機関である。
符宝郎はその中でも帝のおそばに仕え、印璽などを管理する要職であった。
(こんなに若いのに……あぁ、でもそうか――)
茈家は、亡き皇太后を輩出した名門中の名門である。
その一族ならば、若くして皇帝のそばへ取り立てられていても不思議ではない。
(つまり、伝手)
夕霖はひどく失礼な結論に至った。
「お前、宝物の目利きができるそうだな」
「……どこでそのお話を?」
「ちょっと耳に入ったんだ。青羅国の古い織物を見分けたんだって?」
「……実家で似たようなものを見たことがあったんです。それに、見分けたというほど厳密な審美眼を持っているわけでは――」
変に期待をされて、後から話が違うと処罰されても困る。
できるだけへりくだり、ぺこぺこと頭を下げながら事実だけを口にすると、茈瑛は腕を組んでじろじろと夕霖の方を見た。
「いや、それでいい。十分だ」
そして、茈瑛は無遠慮に夕霖の腕を掴んだ。
「えっ、ちょ――茈瑛様っ!」
「ついて来い。お前に頼みたい仕事がある」
ぶっきらぼうにそう告げると、茈瑛は抵抗する夕霖を引きずるように、さらに奥まった場所へ進んでいった。




