第23話:五つ葉の銀杏(一)
(――最近、少し暑さが引いてきたかな)
今日は秋分、夕霖の誕生日だ。
いや、正確には拾われた日なのだが、両親はそれを誕生日だと言ってきかない。
橋の下に捨てられていようが川から流れてこようが、誕生日はそれより少し前のはずだが――いつも秋分に祝われているので、夕霖の中でもそれが誕生日ということで落ち着いてしまった。
「中に入れていただいてよろしいでしょうか」
いつものように内帑を守っている兵士に声をかけ、扉を開けてもらう。
このところ、茈瑛はあまりここに顔を見せない。
となると、夕霖は御庫の方で仕事をすることになるのだが、今回は茈瑛から「中の掃除をしておいてほしい」と命じられていた。
なので真贋鑑定は一度おやすみして、内帑の整理作業を進めている。
(茈瑛様がいないと静かだけど……静かすぎる……)
元々二人しかいないし、夕霖もそこまで彼と積極的に言葉を交わすわけでもない。
だが、人の気配があるのとないのとでは大違いだ。自分しかいない内帑はやけに広く感じられて、小さな物音もなんだかいつもより耳につく。
「……これは書画。これは――あ、また迅華遼の……」
最近分かったことだが、この内帑には迅華遼の絵画が複数収められている。
皇帝陛下がかの画家のものを意図的に集めているか――だとしたら、茈瑛の言う「物の良し悪しが分からない」は全くの出まかせだ。
(一枚だけでも小兄様が興奮しまくってたのに、これだけあるってわかったら……泡吹いて倒れちゃう)
そんなことを考えながら、希少な絵画を木箱に収め、種類別に分けた棚の中に戻していく。
いくら一人での作業とはいえ、毎日のように行っていたらそれなりに片付いてもくるものだ。
ごちゃごちゃしていた宝物庫の中が秩序を取り戻していくのは、非常にやりがいがある。
今日は窓側の棚をもう少し片付けてみようか、などと考えていると、不意に建物の扉が開いた。
「茈瑛様?」
今日は来ないと言っていたのに――不思議に思って扉の方を見ると、そこには官服を着て腰の曲がった老爺が立っていた。
「え、あれ……?」
「おぉ、どうもどうも――あなたが最近ここで働いているという、栢夕霖さんかね」
「……は、はい」
にこにこと、いかにも好々爺然とした笑みを浮かべる老爺に、夕霖はぺこりと頭を下げた。
だが、頭の中は混乱しきりだ。皇帝陛下の宝物庫に入ってきた、この老爺は一体何者なのだろう。
「仕事中にすみませんなぁ。なんでも、若い女子が働いていると聞いて――隠居爺の暇つぶしに付き合ってもらえるかもしれんと思いまして」
「ご、ご隠居様……?」
宮中に老爺がまるでいない――ということはない。
先帝の時代から仕えている重臣や老臣などは、どうしても高齢の人が多い。しかし、彼らは皆国政の一線級で働く人々である。
隠居、というのはこの場所に最もそぐわない呼称だ。
「あぁ、申し遅れました。柳司達と申します」
「りゅっ……りゅ、柳太師……っ!?」
ぎょっとした夕霖は、慌てて両手を胸元で重ね、軽く膝を折った。
「た、大変失礼いたしました! 栢夕霖と申します!」
「あぁ、いやいや。大袈裟なことはしなくてよろしい」
柳太師は、皇帝の師という名誉職を頂いている老臣だ。
先代の皇帝陛下の時代から国を支え、今なお現帝の治世を助けているという。
立場でいえば、本来夕霖が顔を合わせることもできない雲上の人である。
「あの、お茶をお持ちいたしますので、こちらでお待ちください」
「あぁ、悪いねぇ。ここの椅子に座らせてもらうよ」
そう言って、柳太師はいつも茈瑛が座っている椅子に腰かけた。
夕霖は慌ててお茶を用意しながら、なんとか深呼吸を繰り返して平常心を取り戻そうとする。
(な――なんで柳太師が……でも、そうか……太師ならここに入ってくるのも容易いかぁ……)
どうして今日に限って茈瑛がいないんだろう。
心の中でそんなことを思いながら、渋めの熱いお茶を用意する。
「た、太師……こちらをどうぞ」
「ありがとうございます。いや、しかし……ここも随分と綺麗になりましたなぁ」
茶碗を受け取った柳太師は、優しい笑みを浮かべながら内帑の中をぐるりと見回した。
彼は元々、ここがどんな状態だったのかをよく知っているようだ。
夕霖が来る前は物であふれかえっていたので、久々に見ると確かに別の場所とすら思えるかもしれない。
「陛下があれこれと物を買い付けるので、あなたも大変でしょう」
「いえ、それは……その――」
「この老骨めも『節度を持たれよ』と説教はしておりますが、いやはや若人の情熱というのはすさまじい」
ずず、とお茶を啜りながら、柳太師はしみじみとそうこぼす。
彼も皇帝陛下には、散々無駄遣いをやめろと進言しているに違いない。
「――先帝陛下もそうでございました。これと決めたものには、万人をもってしても止められぬ情熱を持つ……よくないところが似てしまいました」
やれやれ、と息を吐く老臣の話を、夕霖は黙って聞いていた。
目尻の皺をより深くした柳太師は、またゆっくりとお茶を飲む。
やがて、茶碗の底が見え始めてきたころ、夕霖はそっと立ち上がって太師の横に膝をついた。
「お茶のお変わりはいかがでしょうか」
「あぁ、いただけますかな」
「はい、ではすぐにお持ちいたします――」
そう言って、その場に立ち上がろうとした瞬間、夕霖の懐から何かがぽろりと落ちた。
「あ、いけない……」
カラン、と音を立てて床に落ちたそれは、夕霖がお守りとして持ち歩いている小さな鏡だ。
踏まないように注意をして、その鏡を拾い上げる。
その時、柳太師の目がすっと細められた。




