第22話:日帰り帰省(下)
「……そうだな。確かに一般の官吏は、後宮への出入りは許可されていない」
「左様でございましょう。ゆえに、わたくしめも娘に宮勤めを勧めたのですが――」
茈瑛はまっすぐに児由と向き合い、それから軽く目を閉じた。
(父様、てっきり揉み手で茈瑛様にあれこれお話をすると思ってたけど――)
その様子に驚いたのは夕霖の方だ。
がめつさが服を着て歩いている父のことだから、絶対にこんな上客を手放さないだろう。そう思っていた。
しかし、父は母と比べると割と冷静に茈瑛のことを値踏みしているように見えた。
「俺は――門下省で奉職している。皇帝陛下より私的な宝物庫……内帑の管理を任されており、夕霖を補佐として使っている」
「皇帝陛下の……それはまた、お若いのにご立派なことでございますな」
ほぅ、と感心したような声を上げた父は、そこから一層笑みを深めた。
恐らく、彼が茈家の伝手でその地位に立っていることに気付いたのだろう。普通、この若さで皇帝の側近に取り立てられることはありえない。
「しかし、なんでウチの夕霖が?」
父に代わり、そう質問を投げかけたのは長兄だった。
「兄の私がいうのもなんですが、夕霖は普通の――それこそ、そこいらの町娘となんら変わりありませんよ。皇帝陛下の宝物庫に出入りできるような身分じゃ……」
「……彼女の審美眼は本物だった。これまで、夕霖は何度も内帑の宝物の真贋を見定めている」
これまで夕霖の仕事ぶりを見てきた茈瑛は、案外直球で夕霖のことを褒めてくれる。
長兄のちょっと失礼な物言いは置いておくとして、茈瑛がここまで率直に自分の仕事ぶりを評価してくれるのに驚いた。
「白玉の酒杯、迅華遼の絵画、それに――」
「じっ、迅華遼? な――あ、あの幻の……?」
だがそれを遮って身を乗り出してきたのが次兄である。
大きな両目をキラキラと輝かせ、今すぐにでも茈瑛に縋りついて肩を揺さぶりそうになっている。
「迅家といえば書画や工芸に秀でた伝説の職人集団っ……! 特に迅華遼は百年前の迅家当主で、その手に掛けたほとんどの絵画が市場には流出していないんですよ! これがどういう意味か分かりますか茈瑛殿!」
「えっ、あ――」
「時の皇帝陛下お抱えの絵師で、その作品はほとんど宮中から出ておりません! でも、皇帝陛下の私的な宝物庫にその絵が収蔵されているということは、その絵はどこから内帑へ? まさか市場に出ていたのですか!? となれば、今もこの国には迅華遼の筆による作品が――」
「あ、すみません茈瑛様。小兄様のことは放っておいてください」
早口でまくし立てる次兄を父と長兄が押さえ、呆気に取られて喋れなくなっている茈瑛の裾を、夕霖が引っ張って現実に戻してやった。
多分、彼の身内にこんな人間はいないのだろう。
「と、とにかく――夕霖の仕事ぶりに目をつけて、内帑での職務を手伝ってもらっている」
「そうでございましたか。いや、それを聞いて安心いたしました」
次兄をなだめすかした父は、いつもの商売人らしい笑みを張り付け、両手を揉み合わせながら茈瑛の前に一冊の本を差し出した。
「……これは」
「当店の図録でございます! 茈家に出入りされる商人のものとは少々品が違いましょうが、質はどれも一級品! 必ずや茈瑛殿にもご満足いただけるかと」
聞きたいことは聞いて満足したのか、父は早速茈瑛に売り込みをかけることに決めたらしい。
鮮やかな手つきで質のいい高級品が描かれた図録を取り出し、あれやこれやと消耗品から美術品までを勧め始める。
「こちらの紙は国の東方で作られる最高級のものでございまして、黛家の方にも卸しております」
「あぁ――黛家の家塾ではいい紙が使われていると聞いたことがある。吏部尚書の黛魯鵬殿が教鞭をとっておられる――」
「左様でございます! よくご存じでございますなぁ!」
早速高い紙を売りつけようとしている父は、ついでに最高級の墨と筆、更には香炉やら着物やらまで売りつけようとしていた。
止めることもできるが、面白いので茈瑛にはちょっと頑張ってもらおう――夕霖は上司のそばを離れ、店の裏方にいる母に声をかけた。
「母様、何か手伝うことある?」
「あら、いいのよ。せっかく帰ってきたんだからゆっくりしていきなさいな。泊まっていけるの?」
「いや、今日は日帰り。元々茈瑛様のお買い物にくっついてきただけだから」
そういえば、彼は元々何を買いに来たのだろう。
用件を聞いていなかったので何が欲しいかはわからなかったが、多分父に頼めばそれなりのものを用意してくれるはずだ。
「あらそう、残念。……ところで夕霖? あの茈様――まだ独身でいらっしゃるの?」
「え? いや……聞いたことはないけど――独身じゃないかな?」
茈瑛くらいの年の男性ならば所帯を持っていてもおかしくはない。
だが、どうにも家庭の匂いがしない――というか、茈瑛が誰かの夫であったり、父であったりするところが想像できなかった。
(あんまりにもお坊ちゃまっぽいからかな……)
多分独身だよ、と伝えると、母は更に目をキラキラさせた。
「あらそう、独身……へぇ……」
「気前はいい人なんだけどね。お給金三倍にしてくれたし」
指を三本立てて得意げに笑う夕霖に、母は「あら」とにんまり笑う。
「いい交渉してきたのね?」
「もちろん。ちゃーんと粘り強く交渉したんだから」
顔を見合わせて二人で笑いあった後、母は戸棚からこっそりおやつを出してくれた。
母の秘蔵のおやつは大体この戸棚の中に入っている――勝手に取り出すと後が怖いので、兄たちも手を付けない聖域だ。
「これ食べていきなさい」
「わ、ありがとう! じゃあ遠慮なくいただきまーす!」
今日のおやつは胡麻団子だ。丸くて可愛いそれをぱくりと頬張ると、香ばしさと甘さが口の中でふんわり広がっていく。
(おいしい……)
近所の店の人気商品だ。
後宮ではなかなか食べられない味なので、しっかりと噛み締めておく。
「そうだ、夕霖。お守りちゃんと持ってる?」
「んぐ? あー、あの手鏡? 持ってるよ」
両親がお守りにと持たせてくれている古い手鏡は、なんだかんだ毎日懐に入れている。
歪んでまともに映らない鏡だが、お守りと言われると持ち歩くのも悪い気がしない。
「そう。ならいいけど――ほら、昔から鏡は悪いものを退けるって言うでしょう?」
「……うん」
こくんと頷くと、母がそっと夕霖の頭を撫でてくれた。
その後、用を済ませた茈瑛と共に後宮に戻ることになった夕霖だったが、彼は父が勧めるものを片っ端から買わされたせいで、帰りの牛車はちょっとだけ手狭になってしまったのだった。




