第21話:日帰り帰省(上)
「……なんで茈瑛様がついてくるんですか」
夕霖が実家に帰る手続きは、驚くほど早く終わった。
――というより、夕霖自身はほぼすることがなかった。茈瑛が持ってきた紙に名前を書いただけで、あっさりと外出の許可が通ってしまった。
「俺の買い出しにお前を付き合わせるという名目だからな」
「だから、なんでそんな名目にしたんです……」
「その方が早い。後宮の女史を連れ出すなら、官吏が名指しで手伝いを命じた方が手続きが簡単なんだ」
それはそれで問題があるような気もする。
とはいえ、実家に帰ることができるのは素直に嬉しかった。
泊まりでの外出は許されなかったが、日帰りでも、大好きな家族と顔を合わせられるというだけで幸せだ。
「それに、王都一の大店を一度この目で見てみたかった。……縁があれば、今後の取引を頼むかもな」
牛車の中でそんなことを言われたら、夕霖も何も言えない。
茈家との繋がりなんて、恐らくこの王都の商人たちすべてが欲しがっているだろう。
彼らは独自の商売網を持ち、出入りの商人が極端に制限されている。
(父様、茈瑛様のこと見たら腰抜かすんじゃ……)
貴い立場の方を歩かせるわけにはいかず、城下の大通りにある店までは牛車で向かうことになった。
手伝いという名目上、夕霖もそれに同乗することになる。小さな窓から店が見えてくると、夕霖はそっと茈瑛に声をかけた。
「あそこです」
「おぉ、賑わってるな」
牛車が止まると、客が遠巻きにそれを眺める。
この店と商売をしている貴族や官吏たちは多いので、客たちも今更おおげさに驚いたりはしない――だが、そこからこの店の看板娘が出てきたとなれば、ざわめきは大きくなる。
「た、ただいま……」
「えっ、夕霖ちゃん! どうしたんだい、牛車なんかに乗って……」
そう声をかけてきたのは、お得意様の金さんだった。
声の大きな金さんの言葉を皮切りに、夕霖の周囲にどんどん人だかりができていく。
「最近見ないと思ったら、後宮でお勤めしてたんだって?」
「あらっ、じゃあお妃さまになるのかい?」
「バカ言え、夕霖ちゃんはお仕事で後宮に行ってるんだぞ!」
寂しかったよー、と手を握ってお小遣いを渡そうとしてくる常連のお婆さんを宥めつつ、夕霖は周りのお客さんたちに笑顔を振りまいた。
その背後で、茈瑛はぽかんとした表情を浮かべてただ立ち尽くしている。
「大丈夫ですか、茈瑛様」
「あ、あぁ……いや、お前――随分と顔が広いな」
「小さい頃から、ずっとお店に立ってましたから」
そう言って微笑む夕霖の表情は、どこか照れ臭そうだった。
だが、そのやりとりに金さんがアッと声を出す。
「ア、アンタいったい誰だ? その牛車から、一緒に出てきたよな」
お役人さんかい、と気安く声をかける金さんの腕を、夕霖は思わず引っ張った。
「こら、金おじさん! こちら、茈家の茈瑛様だよ……その、仕事で面倒を見てもらってるんだ」
茈家の坊ちゃんに軽口をきいて、金さんが罰せられるなんてことは絶対に避けたい。
慌てて茈瑛の身の上を明かすと、平民の客たちはいっせいに茈瑛から距離を取った。
それに驚いたのか、茈瑛自身もいつもの偉そうな態度ではなく、ぎこちない笑みを浮かべてぽりぽりと頭を掻いている。
「あ、あー……えぇと、茈瑛という。王宮で、官吏として奉職している」
本来ならば、この店に来る人々が顔を見ることもできないような立場の人である。
茈瑛にどう接すればいいのかわからず、金さんをはじめとした皆が顔を見合わせる――すると、そこに野太いダミ声が聞こえてきた。
「店先であんまり騒がんでくれよ。なんだってまた――おっ?」
近頃とみに丸くなった腹を抱えた、この店の大旦那――栢児由だった。
夕霖を育ててくれた父は仕立てのいい牛車が停まっているのを見てから、人だかりの中心に立つ娘を、そして彼女の側に立つ官服の青年に視線を向けた。
「ゆ、夕霖? なんだお前、後宮馘になったのか!」
「違うってば! もー、事情説明するから……!」
どんどん話がまとまらなくなってきた。
こうなったら全員にちゃんと説明をするから、兄二人を呼んできてほしい――父にそう頼んだ夕霖は、その後自分がどうして実家に帰ることが許されたのかを、かいつまんで説明することになった。
「へぇ、お買い物の手伝いで外に……ねぇ」
一通りの話を終えた後、ふーん、と腕を組んだのは次兄・栢蓮だった。
二人の兄は妹が帰省したことを心から喜び、それでいて一緒にくっついてきた茈瑛には冷静な視線を向けている。
母は先ほど、裏で「万が一が来たわ……!」としたたかにこぶしを握り締めていたのを見た。
父は――思ったよりは冷静だった。栢家が喉から手が出る程欲しかった茈家のコネが手に入りそうなのに、珍しく何も言わずに夕霖の話を聞いてくれてる。
「……夕霖。アレがアレか。お前の……その、絵を嫁にしているとかいう」
茈瑛は茈瑛で、夕霖の家族に興味があるらしい。次兄に聞こえないよう、コソコソとそんなことを尋ねてくる。
「そうです。こっちの顔立ちが派手な方が絵をお嫁さんにしている小兄で、こっちの比較的地味な方が大兄です」
顔立ちが地味、と呼ばれた長兄の栢燕は、妹の暴言にも苦笑を浮かべるだけだ。
どちらもこれまでの鑑定で話を出していたので、茈瑛の方も興味があったらしい。
「で、こっちがウチの父です」
「これはこれは、茈様――大したお構いもできませんで、申し訳ございません」
にっこりと笑って頭を下げた児由だったが、恐らくその頭の中では高速で算盤を弾いているに違いない。
「しかし――娘は後宮の御庫で働くと聞いておりましたが……なぜ茈瑛様とお知り合いになったのでしょう」
普通の官吏は、後宮への立ち入りが許されていない。
父はそれを知っていたのだろう。笑みの形に細められたその目が、きらりと光ったような気がした。




