第17話:宮中市と悲しみのサンザシ飴
(っ……来た!)
宮中市が立ったのは、夕霖が給金を手にして数日経ったころだった。
教えてもらった通り、最初は女官長たちが買い物を行い、夕霖たち新入りが買い物をできるようになったのは市の最終日だ。
売れ残りしかないような店先を見て回ることになるが、夕霖にとっては宝の山だ。
「おじさん、サンザシ飴ください! あとこの水飴も」
「はいよー」
まずは念願のサンザシ飴を買って、それを食べながら周りの店を見て回る。
店といっても屋台を少しばかり豪華にしたような感じで、並ぶ品物もそこまで種類が多いわけではなかった。
(でも――掘り出し物は、どこにでもあるからね)
うきうきした足取りで市を見て回る夕霖の隣には、その様子を微笑ましく見つめる明佳が立っていた。
彼女は今回、新しい紅を買いたいのだという。後宮という女性が多い場所柄、そういう消耗品は最終日でも結構残っていた。
「私、これを頂こうかしら」
「はいよ、五十文ね」
「あら、ちょっと高いわね」
――と、紅を買い求めた明佳が困ったように首を傾げた。
屋台を見回っていた夕霖は、その声を聞いてそっと彼女の隣に立つ。
(なるほど、確かに発色がいい……)
色鮮やかな紅は、それだけ高い品質を表す。指先で少し触らせてもらうと、粉も細かくて色むらも少なかった。
しかし、五十文はややぼったくりすぎだ。精々三十文くらいが市場の相場である。
「ん-、これもう少し勉強してくれません? 私も紅を買うので、ふたつで六十文」
「ちょっと待ってくれよ、それは流石に厳しいな」
ちらりと店の親爺に視線を向けると、彼はニヤッと笑った。
どうやら、彼の方も夕霖の意図に気が付いたらしい。
そう、こういうところは大体値切りも含めて楽しむものだ。ただ、場所が場所ということ、相手が気位の高い女官であることからも、あまりそういうやりとりは交わされていない。
「ちょ、ちょっと夕霖……大丈夫なの?」
「お任せください。……じゃ、七十文ではいかがです?」
「本来二つで百文だ。九十文までなら値引いてやる」
「あんまり狡い商売しちゃダメですよ」
「じゃ、八十でどうだ?」
この手の交渉はお手の物だ。なんたって、茈瑛から給金三倍を勝ち取った夕霖である。
「七十五だったらすぐに買えます。市は今日でおしまいでしょ? それくらいまけてくれてもいいんじゃないですか?」
「……わかった、わかったよ。嬢ちゃんすげぇなぁ」
わっはっは、と豪快に笑った親爺に、夕霖はにっこり笑って七十五文を手渡した。
相手も在庫は早いうちに売りさばいてしまいたいはずだ。
品物が潤沢にある初日よりも、最終日の今日の方がずっと交渉のし甲斐がある。
「夕霖すごい……!」
そう感嘆の声をこぼした明佳に、店の親爺が目を丸くした。
「あれ? 嬢ちゃん……夕霖って名前なのかい?」
「えぇ、栢夕霖と申します。どうぞ、実家も御贔屓に」
「なぁんだ、栢さんちのお嬢さんかい。児由さんには世話になってるよ」
面倒見のいい父は、王都でもなかなか顔が広い。
本人は人脈こそが真の宝だと言ってはばからないが、実際彼に助けられた人間は多いらしい。
「じゃ、コレもおまけだ。持ってきな」
「おぉ、ありがとうございます……!」
親爺は試供品の眉墨を少し分けてくれた。今度出る新作だというので、気に入ったら買ってみてもいいだろう。
王都の市場ではこういうやりとりはよく行われているが、官吏の娘である明佳はあまり経験がないことであるらしい。目をキラキラさせていた。
「すごいわねぇ……びっくりしちゃった」
「こういうところは、値切りも含めて楽しむんです。まぁ……美術品とかは難しいでしょうけど」
明佳様もどうです、と笑いかけると、彼女は頬を赤く染めてもじもじし始めた。
「む、難しくないかしら」
「大丈夫です。最初は思いっきり吹っ掛けて、そこから少しずつ値段を上げていってください。払ってもいい金額の半額くらいから始めると、いい値段で買えますよ」
そう極意を教えてみたものの、なかなか明佳には難しそうであった。
とはいえ、市の雰囲気を楽しむことも大切だ。
あちこちの店を見て回り、明佳にちょっとしたプレゼントで香入れを買ったりしたのだが、それでもまだ手持ちには少し余裕がある。
(あとは何を見て回ろうかな……奥の方はちょっと高級なものだし――)
玻璃の花瓶なども取り扱ってはいるが、その辺は夕霖には手が出せない値段だ。
宮勤めをしている中級貴族の娘などに向けた品物なので、夕霖は最初から客ではない。
となると、もう少し甘いものを買うか――香ばしい匂いにつられて屋台に近づくと、恰幅のいいおばちゃんが蜂蜜を絡めた胡麻餅を売っていた。
「おばちゃん、これ二つください!」
「はいよ。ついでに梅の甘煮はいかが?」
「うーん、じゃあそれも!」
後で明佳と一緒に食べよう。
そう思って甘く水飴で煮た梅の串刺しを買った。さっきのサンザシ飴よりは酸味が強いが、口がさっぱりする。
(後宮に働きに来て、一番楽しいかもしれない……!)
元々後宮に娯楽が少ないというのもあるが、なにより市場の活気が感じられるのがいい。
品物は少なくても、商売人たちの声を聞いたり値切りを楽しんでみたり――夕霖にとっては、それがなによりも楽しかった。
(さて、あとは明佳様を待って……)
そろそろ買い物をやめて明佳を待とう。
少し人の少ない木陰にやってきた夕霖は、そう考えながら満足げに息を吐いた。
――しかし、そこでぽんっと肩を叩かれる。
「栢夕霖様ですね」
「へ? あ、はい……?」
そこに立っていたのは、官服を着た若い男性だった。
後宮は基本的に、官吏の出入りを厳しく制限している。
先日、夕霖に会いに来た茈瑛のように特別な用事があるならばまだしも、今日は市が立つ日――男性は許可を得た商人の親爺たちくらいしか見当たらないはずだ。
「なんでしょう……」
「茈瑛様の使いの者です。栢夕霖様を連れてくるようにと命じられました」
淡々とした口調の男性が、「お急ぎください」と言葉を付け加える。
夕霖は自分が手に持っていた胡麻餅と梅の甘煮を見つめ、それからその男性の顔を見上げる。
「い、今からですか」
「今からです」
「どちらに行けば……」
「内帑にお向かいください」
「……わかりました。連れの女史には、急な仕事で先に戻るとお伝えください……」
――最悪だ。
心の中でありったけの罵詈雑言を言い放ちながら、夕霖は背を曲げてとぼとぼと内帑に向かうことになったのだった。




