第12話:月下銀杏図(二)
「筆致は……とても丁寧で、手抜きをしている箇所はないですね。細かい衣装の文様や背景も、抜かりなく描かれています」
王宮では、手早い仕事より間違いのない仕事が求められる。
それを思い出した夕霖は、じっと息を殺して絵画を見つめた。
布で口元を軽く押さえ、細かい色合いまでじっくりと確認していく。
(口紅は辰砂を使ってるのかな……それと、落款は……?)
筆遣いから見て、描いた人間は相当の技量を持っている。
宮廷画家として召し上げられていた者なら――恐らく、その名や印影がどこかに記録されているはずだ。
そっと絵画の隅に視線をやると、そこには小さな朱印が捺されていた。
「……あ」
「どうした? なにかわかったのか」
「この印を調べれば、誰が描いたのかわかるかもしれません。宮廷へ納められた絵なら、作者の名前や印影が記録に残っていますよね?」
下手な贋作が出回らないよう、宮廷画家が手がけた作品は、作者の名や特徴とともに王宮の記録へ残されるという。
この絵が本当に宮廷画家のものなら、そこになにかしらの手掛かりがあるかもしれない。
「ああ。すべて残っているとは限らないが……百年前の宮廷画家なら、古い書画の収蔵記録に印影の控えがあるかもしれない」
「それって、見られたりしませんかね? 茈瑛様、符宝郎ですし……」
「見られるぞ。宮廷に納められた書画には、作者と印影を記した収蔵簿がある」
持つべきものは、やっぱり権力という名の万能鍵かもしれない。
夕霖はぱっと表情を輝かせ、それからほころぶように微笑んだ。
「流石茈瑛様……! お願いしてよかったです! では、早速その収蔵簿を見せていただいてもよろしいですか?」
「な、なんだ――いつもよりやけに機嫌がいいな」
誰かに頼み事を聞いてもらった時は、三割ほど声を弾ませて、心からありがたがってみせるといい。
人は、自分が相手を喜ばせたと思うと悪い気はしない。
こちらから惜しみなく好意を示せば、向こうもその気持ちに応えようとして、次の頼みまで聞いてくれることがある。
言葉と笑顔だけなら使ってもタダである。商売において、これほど安上がりな先行投資もなかった。
そして、それは相手が茈瑛であっても見事に通用した。
「そうだな……では、特別に収蔵簿のある図書庫に連れて行ってやる」
「えっ、本当ですか!? じゃ、じゃあ――中を見られたり……?」
「いや、さすがに奥までは連れていけないな。本来はいくつかの手順を踏んで、手続きを行わなければならない」
茈瑛曰く、まずは直属の上司である司珍から正式な閲覧願を出し、門下省側の役人が該当する収蔵簿を確認、更に指定された部屋で、監視付きで収蔵簿を閲覧する――という長ったらしい手順を踏まねば見ることが許されないらしい。
この手順を踏むのに数日かかるというが、茈瑛は問題ないと胸を張った。
「今回は、その手順をすべてすっ飛ばす。門下省側の役人に話をつけ、俺が監視役としてお前の側で印影を探す」
「い、いいんですか……そんなことしちゃって……茈瑛様が後から叱られたりしませんか……?」
「安心しろ、お前は皇帝の名誉を守る仕事をしているんだぞ。誰にも文句は言わせない」
(さ、さすが茈家……)
権力を誇示するように胸を張った茈瑛は、どことなく誇らしげだった。
偉いのは皇帝陛下を生んだ亡き皇太后なのに、なにもしていない若様がその権力を存分に使っている。世界とは不条理なものだ。
(まぁ、でも……持って生まれた天運ってやつなのかな)
しかし、その天運で夕霖も助かっているので、ここは素直にお礼を言っておこう。
「助かります。印影が見つかれば、きっとすぐに鑑定は終わるかと」
「見つからなければどうする」
「それだと少し時間はかかりますが……でも、やっぱり名のある画家の絵だと思いますよ」
夕霖はそっと絵の背景を指さした。月明かりに照らし出された銀杏の木の枝葉は、簡略化されてはいるがしっかりと描かれている。
「こういうところは、敢えて簡素に描くんです。でも、決して手抜きはされていない――筆の流れも乱れがありませんし……」
「あぁ、そうだな。確かに……着物の文様は美しいと思っていたんだが、背景もか」
「はい。服装から見て、題材になったのは少し昔の――貴族の女性でしょうか。絵なのに息をしているような色気があります」
伏せられた目元を彩る睫毛も、簡素でありながら流麗だ。
これで無名の画家が描いたとなったら、今すぐこの画家の作品を買い付けて見合うだけの価値をつけたくなる。
「なので――お願いします。図書庫に連れて行ってください」
顔を上げると、茈瑛はゆっくり頷いた。
「任せておけ。だが、図書庫は少し遠い。近道をしていくぞ」
「……近道?」
こて、と首を傾げた夕霖は、その『近道』が薄暗い藪を抜けていく道だと知って、内心で悲鳴を上げたのだった。




