第10話:後宮お妃事情
この国には後宮がある。
皇后を頂点とし、その下に四夫人、九嬪――とまぁ、官吏もかくやの厳格な階層構造がある。
当代の皇帝陛下は未だ妻を持たず、後宮には主たる女主人がいない。
しかし、陛下の年齢は今年で二十八。そろそろお世継ぎも欲しい頃合いだ。
「それで、あちこちの貴族がやきもきしてるんですって。特に茈家と拮抗する家柄――丹家と黛家がそれぞれ娘を送り込みたがってる」
食事の席で、そう噂話をしていたのは明佳だった。
丹家は高名な軍人を何人も輩出している家柄で、国境近くに所領を与えられている。
それに対して黛家は歴代の宰相をはじめとして、国を支える官吏を多く送り出している家である。
(黛家は、ウチとも取引がある――いつも紙とか墨とか、大量に買ってくれるんだよね……)
彼らは子弟が学問を修めるためならば金は惜しまず、墨や紙、貴重な外国の書籍を大量に仕入れてくれるのだ。
「妙齢のお姫様とか、いるんですか?」
「丹家には、直系の二の姫様がいらっしゃるはずよ。黛家は――本家に娘はいないから、分家から誰か連れてくるんでしょうねぇ」
長らく後宮にいるからか、明佳はなにかと情報通だ。
情報は金になるが、集めるのはそれなりの時間と手間がかかる。
夕霖はここに来たばかりだし、仕事も他の人々とは離れた場所で行っているため、こういう話が入ってきにくかった。
「……ってことは、茈家にも?」
「もちろん。でもほら、今の陛下は茈家の血を引いているでしょう? そのうえ皇后まで茈家から出たら、この先何十年も茈家の天下よ」
確かに、皇后まで茈家の人間で固められたら、もう国は茈家のものと言って差し支えないだろう。
それをなんとか阻止したくて、丹・黛両家がさっさと姫を送り込みたいらしい。
「それで、陛下はなんでお妃さまを娶られないんでしょう」
「なんでかしらね……太師様が早く妃を迎えろってせっついても、なかなか首を縦に振らないんですって」
困ったわねー、と首をかしげる明佳を見ながら、夕霖はずーっと汁物を啜った。
一族の娘を皇后にしたい人間は、三大貴族の家だけではない。
吹けば飛ぶような地方の豪族から、中央政権で覇権を取りたい中級貴族まで――その座を虎視眈々と狙っているのだ。
「明佳様のご実家は、なにか仰ってるんですか?」
「ウチはそんな大それたこと考えてないわ。私が後宮に入ったら、お父様が心配で倒れちゃう」
クスクスと笑う明佳に、夕霖も思わず笑みを浮かべた。
「それより、夕霖はどうなの?」
「ウチですか? ……うーん、父はあれで結構堅実なんですよ。私を適度な家の商人に嫁がせて、商売筋の拡大を狙ってるんだと思います」
夕霖としては、将来的に手を出したい商売にうるさく口出しをしなければいいと思っている。
でも、もし――もしもどこかの姫君と伝手なんてできたら、その時は実家を御贔屓にしてくれたらうれしい。
残った食事を平らげながら、夕霖はそんなことを考えていた。
● ● ●
「……あの、なんで皇帝陛下にはお嫁さんがいないんでしょうか」
「ぶはっ!」
そしてその日、優雅に茶なんて啜りながら夕霖の仕事を眺めていた茈瑛は華麗にその茶を吹き出した。
彼も茈家の人間なので、その辺りの噂はよく聞いているんじゃないか。
そう思って尋ねてみると、茈瑛は汚れた口元を押さえ、怒っているとも驚いているとも言えない表情で夕霖のことを見つめていた。
「な、お前……なんのつもりでそんな話を――」
「いえ、ちょっと……食堂で話題になっていたのを耳にしたので」
万が一明佳にとばっちりが行ってしまってはいけないので、あくまで話を聞いたという体にする。
後宮という閉じた場所では、その手の話題が暇つぶしがてらよく消費される――それは、恐らく茈瑛もよく知っているだろう。
というか、彼は話題になっている王宮の一大勢力・茈家の人間だし、そういう話は当然周りでも出ているだろうに。
「そう……か。お前もその手の話をするのか」
「だから、耳に入ってきたんですよ。んー、ちょうどウチの大兄様より少し下くらいの年だし……」
「……お前の兄は結婚してるのか」
「二人ともしてません。上は許嫁がいますが、今は地方にいるんです」
長兄の許嫁は、西方の沿岸部で大規模な海運業を営む豪商の娘だ。
夕霖も早く義姉になる人物と一緒に暮らしたかったが、かなり肝の据わった人で、今は実家の販路拡大に勤しんでいる。
「下は……あの人はちょっと」
「ちょっと、なんだ」
「……小兄様は、書画に詳しいんです。それはもう、若干常軌を逸しているほど」
真面目な長兄と比べると、次兄はやや軽薄そうに見えるかもしれない。
家を継ぐ立場ではないが、書画に関しての目利きは父や長兄以上と言われている。恐らく、その手の商品は次兄の審美眼がなければ商売にならない。
「専門の知識があるのはいいことじゃないのか」
「はい。偏屈で有名な書家や画家も、小兄様になら商品を売っていいと仰る方もいます」
知識欲はもとより、彼は書画への愛に溢れている。
いや――愛しかない。生身の女より、絵に描かれた女の方が好きだと公言するほどには。
「小兄様の恋人は絵なんです。百年前に描かれた美人画を飾って、愛を囁きながら酒を飲むのが日課なんですよ」
次兄はせっかく整った顔立ちをして、頭も切れるし人当たりがいい。
縁談を持ち込む家は数多あるし、本人がその気になれば花街で浮名を流すことも難しくないだろう。
けれど、次兄は生きている女に一切興味がない。
母と妹は大切にするが、自分の嫁は一枚の絵だと言ってはばからず、恐らく妻を娶ることもないだろう。
「あ、もしかして……皇帝陛下も似たような」
「いや、それはない」
流石に帝自身の尊厳を守りたかったのか、茈瑛が素早く否定した。
どうやら、この国の皇帝陛下はちゃんと生身の女に興味があるらしい。




