(一)薪三本分の成長
◆ 雨上がりの神殿
雨は、夜のうちに上がっていた。
朝の神殿は、まだ湿っている。
石段の欠けたところには水が溜まり、屋根の端からは時々、遅れてきた雫が落ちた。
庭の土は柔らかく、昨日の雨で倒れた草が、朝の光を受けて少しずつ起き上がっている。
ロアンとミルカは、泊めてもらった礼として神殿の片づけを手伝っていた。
ロアンは薪を運ぶ。
ただし、昨日より少なめに。
エナとミルカの二人に見られているためである。
「それ、持ちすぎじゃないですか?」
エナが薬草の棚の前から言った。
ロアンは薪を抱えたまま固まる。
「これでも減らしました」
ミルカが濡れた床に小さな風を送って乾かしながら言う。
「昨日のロアン基準ではね」
「昨日の俺と今日の俺は違う」
「どのくらい?」
「薪三本分くらい」
エナは真面目に数えた。
「昨日より三本少ないなら、成長です」
ロアンは少し胸を張る。
「ほら」
ミルカは床を見たまま言う。
「成長幅が薪三本」
「単位があると分かりやすいだろ」
「分かりやすいけど、誇るには小さい」
「小さい精霊の神殿だから」
エナが少し嬉しそうに顔を上げた。
「今のは、けっこう合っています」
「本当に?」
「たぶん」
「エナさんのたぶん、当たりそうで怖い」
ミルカがすぐに言う。
「豆以外は」
エナは少し考えた。
「豆も、たまには当たります」
「たまに」
「はい。たまに、今日は豆を増やした方がいい気がします」
ロアンが聞く。
「それで当たったことは?」
「増やしたら、だいたい足ります」
ミルカは額に手を当てた。
「それは増やしてるから足りるの」
エナは目を丸くした。
「なるほど」
「今気づいたんですか」
「はい。ひとつ賢くなりました」
ロアンは笑った。
「朝から成長が多いな。俺は薪三本、エナさんは豆」
ミルカは静かに言う。
「私は床を乾かしている」
「それは働き」
「二人も働いて」
「はい」
ロアンは薪を運び、エナは薬草を並べ直し、ミルカは濡れた床へ小さな風を送った。
大きな魔法ではない。
床板の隙間に溜まった湿気を、少しずつ外へ逃がすだけだ。
エナはそれを見て、感心したように言った。
「便利ですね」
ミルカは少しだけ目をそらす。
「便利止まりです」
ロアンが薪置き場から顔を出す。
「便利は大事だって、昨日も言った」
「ロアンが言うと軽い」
「便利は軽い方が使いやすい」
「そういう話じゃない」
エナは風に揺れる床の湿りを見ていた。
「でも、本当に助かります。床が乾くと、老人の足が滑りにくくなるので」
ミルカは少し手を止めた。
「そういうことなら、やってよかった」
「はい」
エナはにこりと笑った。
その笑顔を見て、ミルカは少しだけ表情を和らげた。
片づけが一段落したころ、ロアンは祈りの間の隅にある古い本棚に気づいた。
背の低い棚だ。
少し傾いている。
並んでいる本も、立派なものばかりではない。
祈りの手引き。
土地の祭礼の記録。
薬草帳。
雨漏りの修理帳。
古い帳簿。
そして、子ども向けらしい薄い本が数冊。
ロアンはその中の一冊に目を止めた。
表紙は擦り切れている。
色もだいぶ薄くなっていた。
けれど、かろうじて絵が見える。
火のように赤い小さなもの。
水色の丸いもの。
風に乗った細いもの。
土色の四角いもの。
題名は、ゆっくり読めば分かった。
小さな精霊たちの話。
ロアンは本を手に取った。
「これ、読んでもいいですか」
エナが振り向く。
「あ、それ。子どもの頃によく読んでもらいました」
ミルカも近づいた。
「精霊信仰の本?」
エナは首を少し傾ける。
「難しい本ではないです。子ども向けです」
ミルカは本をのぞき込む。
「難しくない本の方が、たまに大事なことを書いてある」
ロアンが言う。
「それ、ミルカが言うと説得力あるね」
「どういう意味?」
「難しい本ばっか読んでそうだから」
「読んでるけど」
「認めた」
「難しい本も読むし、簡単な本も読む」
「俺は簡単な本からで」
「そうして」
エナがくすりと笑った。
「では、座って読みますか? 立ったままだと、本を落とすかもしれません」
ロアンは本をしっかり持つ。
「落としません」
ミルカが言う。
「昨日、薪を落としかけた」
「薪と本は違う」
エナは真面目に言った。
「落ちる時は平等です」
ロアンは一瞬黙った。
「足元の真理、広いな」
ミルカがうなずく。
「座って」
「はい」
ロアンは素直に腰を下ろした。
※第21話「小さな精霊たちの話」は全七回です。
続きます。
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