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勇者の条件  作者: KEI
第20話 寂れた神殿の見習い

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(四)少しだけです

◆ 少しだけです


午後、ロアンは神殿の裏手で薪を運ぶのを手伝っていた。


宿代の代わりというより、じっとしていられなかったからだ。


薪を積み直していると、手のひらの古い傷が少し開いた。


国境洞窟の連絡行で擦った傷だ。


大したことはない。


そう思って、ロアンは手を握った。


少し痛む。


エナがそれを見つけた。


「手、見せてください」


「大したことないです」


ミルカが背後から言う。


「大したことないって言う時は、大体見せた方がいい」


ロアンは振り返る。


「いつからいた?」


「大したことないって聞こえたところから」


「その言葉、そんなに危険?」


「危険」


エナも真面目にうなずく。


「危険です」


「二対一か」


ロアンは諦めて手を出した。


エナは傷を見た。


「少し開いてますね」


「少しなら」


ミルカが言う。


「少しを放っておいて悪くした人が言う台詞」


「まだ悪くしてない」


「これから悪くする前に止めてる」


エナは薬草を取り出し、傷口を洗った。


その手つきは慣れている。


水で汚れを落とし、布で押さえ、薬を塗る。


そこまでは普通だった。


けれど、その後、エナは少しだけ迷った。


ロアンの手に、自分の手を重ねる。


やわらかな温かさが流れた。


痛みが引く。


血が止まる。


開いていた傷が、完全に消えるわけではないが、ぴたりと落ち着いた。


ロアンは目を丸くした。


「え、今の」


エナははっとして、手を引いた。


「すみません。少しだけです」


ミルカの目が鋭くなる。


「少しだけで、これ?」


エナは目をそらした。


「薬も使いましたから」


ミルカは薬草を見る。


普通の薬草だった。


少なくとも、あの速さで血が止まり、痛みが引くものではない。


ロアンは手を動かした。


「痛くない」


エナは少し不安そうにする。


「動かしすぎないでください。治ったというより、落ち着いただけなので」


ミルカが低く言う。


「落ち着いただけで、これ」


エナはますます困った顔をした。


ロアンはミルカを軽く見た。


聞きたいことはある。


だが、今ここで踏み込むと、エナが逃げてしまいそうだった。


ロアンは手を下ろし、頭を下げた。


「ありがとうございます。助かりました」


エナは少しほっとした。


「はい。薪はもう少し少なめに持ってください」


ミルカが頷く。


「それは本当にそう」


ロアンは自分の腕を見る。


「薪、多かった?」


「多かった」


「運べると思った」


「持てる荷と、持って歩ける荷は違う」


「ここでそれが戻ってくるとは」


エナが首をかしげる。


「荷の話ですか?」


ミルカは言う。


「旅の基本です」


エナは真面目に頷いた。


「神殿の基本でもあります。薪を持ちすぎると転びます」


ロアンはしみじみと言った。


「世界中で同じことを教わってる気がする」


「まだ足りないからでは」


ミルカの言葉に、エナも小さく頷いた。


ロアンは二人を見る。


「また二対一だ」


◆ 良いことでも困ること


夕方、雨が降り始めた。


エナの予感は当たった。


初めは細い雨だった。


すぐに強くなり、神殿の屋根を叩き始める。


ロアンは軒下から空を見上げた。


「本当に降った」


エナは水瓶の蓋を押さえながら言う。


「降る気がしたので」


ミルカが聞く。


「雨も分かるの?」


「たまにです」


「豆よりは当たる?」


エナは真剣に考えた。


「雨の方が当たります」


「豆は?」


「気持ちに左右されます」


ロアンは吹き出した。


「豆の予感、自覚あったんですね」


「はい。最近分かってきました」


ミルカは額に手を当てる。


「予感の分類が独特」


その時、神殿の隣で大きな音がした。


古い納屋の屋根が、雨の重みで傾いたのだ。


中には薪と薬草が置かれている。


子どもが一人、慌てて走り出した。


「薪が濡れる!」


エナの顔色が変わった。


「だめ!」


彼女は走り出す。


ロアンも続いた。


ミルカは雨水の流れを見て、杖を低く構える。


納屋の前の地面は、雨でぬかるんでいた。


子どもがそこへ踏み込みかけた瞬間、屋根の一部が崩れた。


木片が落ち、泥水が跳ねる。


エナが子どもの腕を引いた。


ぎりぎりだった。


しかし、近くにいた老人が足を滑らせた。


倒れ込み、腕を強く打つ。


「痛っ……!」


ロアンが駆け寄る。


「大丈夫ですか!」


ミルカは小さな水の流れを横へ逃がし、足元のぬかるみを少しだけ薄くした。


大きな魔法ではない。


水を消すわけでもない。


ただ、人が立てる場所を作る。


「ロアン、そこ滑る!」


「分かった!」


「分かってる足元じゃない!」


「足元にまで言われてる気がする!」


ロアンは老人の体を支え、軒下へ運んだ。


エナが腕を見る。


骨は折れていない。


だが、腫れがひどい。


老人の顔が苦痛で歪む。


エナは一瞬、父を見た。


神官は少し離れた場所に立っていた。


見ている。


エナは迷った。


だが、老人が痛みにうめいた。


エナは手をかざした。


温かい光のようなものが、雨の薄暗さの中で静かに広がる。


派手ではない。


目がくらむような奇跡でもない。


ただ、老人の呼吸が少し落ち着いた。


腫れがわずかに引く。


痛みが和らいだのか、老人の表情が緩んだ。


「楽に……なった」


エナは手を下ろした。


顔を伏せる。


神官はそれを見ていた。


何も言わなかった。


ロアンも、ミルカも、何も言わなかった。


ただ、雨音だけが強く響いていた。


◆ 見られてしまいました


夜。


雨はまだ降っていた。


神殿の軒下に、雨だれが落ちている。


ロアンは濡れた外套を干しながら、エナが一人で座っているのに気づいた。


彼女は手を膝の上に置き、ぼんやりと雨を見ている。


ロアンは少し迷ったが、近づいた。


「隣、いいですか」


エナは顔を上げた。


「はい。濡れない場所なら」


「そこは確認するんですね」


「床が濡れると、あとで拭くのが私なので」


「現実的」


「神殿ですから」


ロアンは少し笑い、隣に座った。


しばらく雨の音を聞く。


エナがぽつりと言った。


「見られてしまいました」


ロアンは、すぐに何のことか分かった。


「悪いことをしたんですか」


エナは首を振る。


「たぶん、悪いことではないです」


「じゃあ、どうして困ってるんですか」


エナは考えた。


雨だれが、石の上に落ちる。


一つ。


二つ。


三つ。


「良いことでも、困ることはあります」


ロアンは黙った。


その言葉は、少し分かった。


国境洞窟で、知らせを届けることは良いことだった。


でも、危なかった。


責任もあった。


報酬を受け取ることも、少し迷った。


良いことでも、困ることはある。


「そうですね」


エナはロアンを見る。


「ロアンさんたちは、どうして旅をしているんですか」


「世界を見に行こうと思って」


エナは少し驚いた。


「それだけですか」


ロアンは苦笑した。


「最初はそれだけです」


「今は違うんですか」


「まだ、よく分かりません。でも、道が塞がってたり、困ってる人がいたりすると、なんか放っておけなくて」


エナは小さく笑った。


「それ、危ないですね」


「よく言われます」


「ミルカさんに?」


「主に」


「でしょうね」


「でしょうねって」


「ミルカさんは、ロアンさんが転びそうな場所を見ていそうです」


ロアンは少し遠くを見た。


「否定できない」


「でも、ロアンさんも、何か見てますよね」


「俺が?」


「はい」


「何を?」


エナは少し考えた。


「困っている人が、困っているって言う前の顔」


ロアンは返事ができなかった。


そんなつもりはない。


ただ、見てしまう。


荷が止まっている。


道が塞がっている。


痛そうにしている。


困っているのに、まだ大丈夫と言っている。


そういう顔を、見過ごせないだけだった。


エナは雨を見た。


「私も、そういうのを見ると、手が先に出ます」


「それは、いいことじゃないですか」


「たぶん」


「また、たぶん」


「良いことでも、困るので」


ロアンはうなずいた。


「じゃあ、困ったら誰かに相談するしかないですね」


エナは少し笑った。


「誰に?」


ロアンは即答した。


「ミルカ」


エナは目を丸くした。


「ロアンさんではなく?」


「俺に相談すると、最終的にミルカに聞こうってなります」


エナは声を出して笑った。


「それは早いですね」


「近道です」


「ロアンさん、意外と賢いです」


「意外と?」


「すみません。今のは少し失礼でした」


「少し?」


「かなり?」


「正直」


エナはもう一度笑った。


雨音の中で、その笑い声は少し軽かった。



※第20話「寂れた神殿の見習い」は全六回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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