(六)灰色の外套
◆ 灰色の外套
洞窟の中は、煤と泥とスライムの粘液でひどい状態だった。
入口で働いていたロアンとミルカも、十分汚れていた。
ロアンの袖には泥がつき、ミルカの外套には煤が薄くかかっている。
靴はもう、昨日までの色が分からない。
宿屋の女将が、古い作業外套を二枚持ってきた。
「帰り道、それを羽織っていきな。泥が目立たんし、丈夫だよ」
外套は灰色だった。
もともとは濃い色だったのかもしれない。
何度も洗われ、日に焼け、煤を吸い、雨に打たれて、灰色になったのだろう。
ロアンは受け取った。
「いいんですか」
「古いもんだ。礼には足りんが、使える」
ミルカは外套を広げた。
「地味」
ロアンは羽織ってみる。
少し大きい。
だが、肩は動かしやすい。
「汚れが目立たないって大事だよ」
「それはそうだけど」
「旅向きだ」
「地味だけどね」
「地味なのも旅向き」
「それは少し分かる」
ミルカも外套を羽織った。
灰色の外套を着た二人は、どこか荷運びの手伝いのようにも、薬草採りの帰りのようにも見えた。
特別には見えない。
それでよかった。
この時、まだ呼び名はなかった。
灰の何かでも、灰色の一団でもない。
ただ、洞窟をつなぐために山を越えた若い二人が、灰色の外套を羽織っていた。
それだけだった。
◆ 報酬
村長たちは、ロアンとミルカに謝礼を渡した。
大金ではない。
銅貨。
靴の修理代。
食料。
薬草。
油紙。
地図の写し。
ロアンは最初、手を振った。
「俺たち、そんなに戦ってないですし」
ミルカが即座に言った。
「受け取ります」
ロアンは驚いて振り向く。
「ミルカ」
ミルカは小声で言う。
「靴が壊れた。薬草も使った。油紙も使った。次に動くためには必要」
「でも」
「報酬を断って靴が直らなかったら、次の村でまた困る」
「現実的」
「旅は帳簿」
ロアンは何も言えなかった。
村長がうなずく。
「受け取ってくれ。これは礼というより、次の道へ行くための支度だ」
自警団長も言う。
「お前たちが知らせなければ、両側から入れなかった」
ロアンは少し目を伏せた。
「倒したのは、皆さんです」
「そうだ」
自警団長はあっさり認めた。
「だが、時刻を合わせたのはお前たちだ」
ロアンは報酬を見た。
重くはない。
けれど、受け取るには少し勇気がいった。
ミルカが横から言う。
「受け取るのも仕事」
ロアンは苦笑した。
「いつからそんな仕事が増えたんだ」
「たぶん、靴が壊れた時から」
「靴は大事だな」
「とても」
ロアンは報酬を受け取った。
大金ではない。
英雄への褒美でもない。
次の道へ行くための支度。
その言葉なら、受け取れた。
◆ 記録に残るもの
洞窟が開通した。
まず人が通った。
次に小さな荷が通った。
それから、慎重に荷馬車が通った。
車輪が洞窟の石を踏む音が響く。
馬が少し怯え、荷運びの男が首を撫でる。
商人たちが荷を確かめる。
塩が動く。
鉄が動く。
薬草が動く。
布が動く。
止まっていた生活が、少しずつ流れ始める。
ロアンとミルカは、灰色の外套を羽織って、その様子を見ていた。
ロアンが言った。
「道が開くと、人も物も動くんだな」
ミルカが答える。
「当たり前だけど、止まってみないと分からないね」
「俺たち、知らせに行っただけだけど」
「知らせに行かなかったら、開かなかった」
「でも、倒したのは自警団」
「それでいい」
ロアンは洞窟を見た。
中から、まだ泥を運び出している大人たちがいる。
折れた槍をまとめる者。
負傷者に水を飲ませる者。
荷馬車の通る幅を確かめる者。
彼らの働きがなければ、洞窟は開かなかった。
それは間違いない。
ミルカがぽつりと言った。
「これ、報告書に私たちの名前は残らないね」
ロアンは少し考えた。
「洞窟が開いたなら、それでいいよ」
ミルカは呆れたように見る。
「そういうところ、ロアンらしいけど」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「でも、報酬はもらったからね」
ロアンは笑った。
「そこは譲らないんだ」
「靴と油紙と薬草代」
「現実的」
「現実がないと次に進めない」
ロアンは頷いた。
灰色の外套の袖を見下ろす。
泥は確かに目立ちにくい。
それもまた、次へ進むためには大事なことだった。
国境洞窟は開いた。
記録に残るなら、それは両村の自警団による挟撃である。
槍を構えたのは彼らだった。
盾を並べたのも彼らだった。
洞窟の暗がりで魔物を押し返したのも、村の大人たちだった。
それは間違いではない。
ただ、その時刻を合わせるために山を越えた者がいた。
雨の気配を見て、沢を渡り、戻る道を考え、書状を濡らさずに運んだ者がいた。
彼らは洞窟の奥で英雄のように剣を振るったわけではない。
ただ、向こう側へ知らせた。
その知らせによって、道は開いた。
やがて街道の商人が語る時、話は短くなる。
国境洞窟は、両村の挟撃で取り戻された。
それで十分だった。
ロアンとミルカは、灰色の外套を羽織って、荷馬車が洞窟を通るのを見ていた。
まだ、灰の一団という名はなかった。
けれど、灰色の外套を着た若者たちが道をつないだ、という記憶だけが、少しだけ残った。
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