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勇者の条件  作者: KEI
第19話 向こう側へ知らせる者

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(二)倒さなくていいやつだ

◆ 薬草道


薬草道へ入ると、すぐに村の音が遠くなった。


人の声。


荷馬車の軋み。


馬の鼻息。


洞窟から聞こえる魔物の声。


それらが背後に薄れていく。


代わりに、草を踏む音と、枝が外套をこする音が近くなる。


ロアンが前を歩き、足場を確かめる。


ミルカは少し後ろで、地図と実際の道を見比べていた。


「これ、道って言っていいのかな」


ロアンがつぶやく。


ミルカは地図から目を上げずに答えた。


「地図には道って書いてある」


「地図、たまに嘘つくよね」


「古いだけ」


「それを嘘って言わない?」


「地図は昔の本当を書いてるの」


「昔は本当だった嘘」


「言い方」


「今は半分嘘だろ」


「半分本当でもある」


ロアンは足元の石を踏み、ぐらついたので慌てて戻した。


「今の石は嘘だった」


「石は何も言ってない」


「踏める顔してた」


「顔で判断しないで」


「荷馬車にも顔があるって言ったの、ミルカだろ」


「あれは比喩」


「便利だな、比喩」


ミルカは枝の折れ方を見た。


「ここ、最近誰か通ってる」


ロアンが足を止める。


「人?」


「たぶん動物。枝の高さが低い」


ロアンはしゃがんで、土を見る。


小さな足跡がある。


獣か、小鬼か。


はっきりしない。


「小鬼?」


「まだ分からない」


「分からないが増えたな」


「山道は分からないものが多い」


「分からないまま進むの、怖いな」


「怖いならいい」


「その言い方、もう何度目だろう」


「何度でも言う」


ロアンは少し笑い、前へ進んだ。


道は細い。


時折、右手の斜面が落ち込み、左手の木の根が足を取る。


荷を減らしてきてよかったと、すぐに分かった。


鍬など持っていたら、最初の十分で捨てていたかもしれない。


ロアンがそれを言うと、ミルカは即座に返した。


「捨てる前に持たないのが正解」


「分かってる」


「本当に?」


「今は本当に」


「ならよし」


ミルカは、戻るための目印を一つずつ拾っていった。


曲がった松。


割れた根。


白い石。


鳥の巣のある枝。


沢の音。


「戻る時は、白い石の次に曲がった松」


ロアンが言う。


「行きと戻りで逆になるだろ」


「だから言った」


「え?」


「戻る時は、白い石の前に曲がった松」


「ややこしい」


「だから記録する」


「俺の頭にも記録する」


「それは水に書くより少し不安」


「少し?」


「かなり」


ロアンは笑いながらも、目印を声に出して覚えた。


戻るために進む。


その感覚は、少しずつ体に入ってきていた。


◆ 湿った窪地


しばらく進むと、道が低くなった。


木々の影が濃く、足元に湿り気がある。


窪地だった。


雨が降った後の水が残っている。


石は苔で滑りやすく、土は黒く濡れていた。


その水気の中に、スライムが数匹いた。


どれも大きくはない。


村の近くで見たものと変わらない。


ただ、場所が悪い。


濡れた石。


狭い足場。


片側は斜面。


もう片側は深い草。


ここで足を滑らせれば、スライムに近づきすぎる。


ロアンは剣に手をかけた。


けれど、すぐに止めた。


「倒さなくていいやつだ」


ミルカがうなずく。


「右の岩を渡れば避けられる。ただ、滑る」


ロアンは手首を見た。


幼い頃、スライムに焼かれた薄い跡がある。


もう痛くはない。


だが、こういう場所では思い出す。


「近づかない方がいいね」


「うん」


ミルカは小さく息を整えた。


杖を低く構える。


風が、ほんの少しだけ動いた。


大きな風ではない。


葉を揺らすほどでもない。


ただ、岩の表面に薄く乗った水気を、少しだけ払う。


ロアンが目を丸くした。


「それ、便利」


ミルカは岩を見たまま答える。


「便利止まりでいい。滑らなければ十分」


「町の魔術師は、もっと派手に乾かすのかな」


「たぶんね」


「でも、今はこれがいい」


ミルカは少しだけ動きを止めた。


「そう?」


「全部乾かしたら、スライムがこっちに来るかもしれないし」


「……そうだね」


「今の、俺が正しかった?」


「少し」


「今日の記録に残して」


「調子に乗るから省略」


「記録に残らない功績だ」


「石を渡ってから言って」


ロアンは乾いた場所に足を置いた。


滑らない。


次の岩へ移る。


ミルカが後に続く。


スライムは湿った窪地の中で、ゆっくり動いていた。


二人は剣を抜かず、火も使わず、窪地を抜けた。


振り返ると、スライムはまだそこにいる。


倒してはいない。


だが、目的は倒すことではない。


書状を届けることだった。


◆ 小鬼の縄張り


道が少し上りになった頃、ロアンが足を止めた。


木の枝に、小さな骨が吊られている。


その隣に、汚れた布切れ。


さらに少し先には、割れた木片。


自然に引っかかったものではない。


ロアンは低く言った。


「小鬼が近い」


ミルカは地図を見る。


「この先が縄張りに近いって、老人が言ってた場所だと思う」


「迂回路は?」


「ある。けど沢に近い」


ロアンは周囲を見る。


鳥の声が少ない。


風は弱い。


土はまだ湿っているが、沢の音は大きすぎない。


進む理由はある。


戻る理由も探す。


今は、まだ戻る条件ではない。


ただし、戦う理由もない。


「迂回しよう。沢が濁ってたら戻る」


ミルカはうなずいた。


「それでいい」


「今日の俺、けっこう慎重じゃない?」


「言った時点で少し減点」


「慎重さって、言うと減るのか」


「油断が増える」


「難しい」


二人は本道から外れ、低い草の間を進んだ。


足音を抑える。


枝を折らない。


荷が枝に引っかからないよう、体の向きを変える。


途中、木の陰に小鬼が一匹見えた。


こちらには気づいていない。


何かを拾い、鼻を鳴らしている。


ロアンは石を拾った。


ミルカが目で止める。


ロアンは小さくうなずき、小鬼とは反対側の藪へ石を投げた。


かさり、と音がする。


小鬼が顔を上げる。


ミルカが指先で細い風を起こし、別の草を揺らした。


音が二つ重なる。


小鬼はそちらへ向かった。


ロアンとミルカは身を低くして進む。


ロアンが小声で言った。


「倒さなくていい魔物、二回目」


ミルカも小声で返す。


「数えてる場合じゃない」


「数えると成長が分かる」


「声が大きくなると危険も分かる」


ロアンは口を閉じた。


二人はそのまま、小鬼の縄張りを抜けた。


戦わない。


音を立てない。


相手にこちらを見つけさせない。


地味な成功だった。


けれど、足は前へ進んでいる。


書状は濡れていない。


それで十分だった。



※第19話「向こう側へ知らせる者」は全六回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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