(二)崩さないこと
◆ 崩さないこと
村の端の井戸のそばで、ミルカは毎朝のように訓練をしていた。
水の玉。
小さな火。
細い風。
土の粒を同じ高さに並べること。
どれも派手ではない。
水の玉は、指先ほどの大きさしかない。
火は、ろうそくより少し大きい程度。
風は、葉を一枚だけ揺らすほど。
土粒は、子どもが見れば遊びにしか見えない。
だが、ミルカは真剣だった。
ロアンは井戸の縁に腰かけて、それを見ている。
「まだ毎日やってるんだ」
ミルカは、水の玉を崩さずに答えた。
「やらないと崩れるから」
「俺なら三日で飽きる」
「実際、三日くらいで来なくなった」
「家の手伝いがあったから」
「知ってる」
「知ってるなら、もう少し優しく言ってもいいと思う」
「優しく言うと、三日半」
「半日増えた」
「優しさ」
「小さいな、優しさ」
ミルカは水の玉を糸のように伸ばし、また丸く戻した。
一滴も落ちない。
「先生が言ってたの」
「北の魔術師の?」
「うん」
ミルカは足元の古い手帳を開いた。
角が擦り切れ、革紐も色が薄くなっている。
そこには、短い言葉が書かれていた。
魔法は、使う場所を知らねば形にならん。
ロアンはそれを読んだ。
「使う場所?」
「分からない」
「分からないのに毎日やってるの?」
「分からないからやってるの」
「さっきから難しいこと言ってる」
「ロアンが簡単に聞くから」
「じゃあ簡単に答えて」
ミルカは少し考えた。
「村の井戸で水を丸めるのと、雨の中で荷を濡らさないように水を動かすのは、たぶん違う」
ロアンは少し黙った。
「それは、分かる」
「本で読む魔法と、実際に道で使う魔法も違うと思う」
「だから、見に行きたい?」
ミルカはうなずく。
「少なくとも、村の外を」
ロアンは井戸桶の水を指でつついた。
「俺も、ちょっとは魔法を覚えてるんだけど」
「うん」
「その、うん、は信じてるうん?」
「事実として、少し習っていたのは見た、のうん」
「弱い」
「強く言うと嘘になる」
「正直すぎる」
「魔法は嘘をつくと崩れる」
「俺は魔法だったのか」
「魔法より崩れやすいかも」
ロアンは井戸桶の水を見た。
「よし、見てろ」
「嫌な予感がする」
「見る前から諦めるな」
「諦めてない。警戒してる」
ロアンは指先に魔力を集めた。
水面がふるふると震える。
ほんの少しだけ水が盛り上がる。
ロアンが得意げに笑った、その瞬間、水が跳ねて袖にかかった。
ミルカは水の玉を崩さずに言った。
「見た」
ロアンは濡れた袖を見た。
「今のは、井戸が悪い」
「井戸に謝って」
「井戸、ごめん」
「素直でよろしい」
「俺、魔術師には向いてない?」
「向いてないとは言わない」
「言い方に救いがない」
「ロアンは、ちゃんとやれば少しできる。でも、ちゃんとやる前に別のことを見つける」
「それは、外で役に立つかもしれない」
「迷子になる時にも役に立ちそう」
「役に立ってるか?」
「立ってる。悪い方に」
ロアンは笑った。
ミルカも少し笑った。
水の玉は、最後まで崩れなかった。
※第17話「世界を見に行こう」は全六回です。
続きます。
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