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勇者の条件  作者: KEI
第15話 スライムのいる町

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(一)戻れたなら上出来だ

◆ 西の辺境


西の辺境には、大きなものが少なかった。


大きな都は遠い。


中央神殿の鐘も届かない。


王都の布告は、旅商人の荷と一緒に遅れて来る。


戦争の話も、魔王軍の話も、勇者の噂も、村人たちにとっては遠い場所の遠い音だった。


朝になれば畑へ出る。


水場の桶を満たす。


薪を割る。


薬草の丘へ行く。


荷馬車を押す。


山羊を追い、壊れた柵を直し、雨の前に干し草をしまう。


それが村の一日だった。


村の周りには、低い石壁と木の門がある。


壁は古い。


ところどころ苔がつき、子どもなら登れそうな高さしかない。


それでも、村人たちにとっては大事な境目だった。


内側は家と畑と水場。


外側は林と丘と藪。


そして、ときどき魔物が出る場所。


その中で、一番よく見る魔物がスライムだった。


透明がかった緑色の、小さな塊。


日なたでは水を含んだ草のように光る。


雨上がりには畑の端でぷるぷる震えている。


遠くから見るだけなら、少し間の抜けた生き物にも見えた。


だが、村の大人たちは笑わない。


スライムは強い魔物ではない。


大人が棒や鍬で叩けば、追い払える。


犬が吠えれば逃げることもある。


けれど、放っておけば畑の若芽を溶かす。


水場に入れば水がぬめる。


家畜の足にまとわりつけば、山羊でも転ぶ。


子どもが油断して顔に張りつかれれば、息ができなくなる。


村長は、子どもたちを門の前に集めて、そう説明した。


「スライムは弱い」


子どもたちは、少し安心した顔をした。


村長は杖で地面を叩く。


「だが、弱い魔物だから危なくない、というわけじゃない」


ロアンは、その言葉を聞きながら木の棒を握っていた。


八つか九つか、そのくらいの年である。


背はまだ低い。


髪は寝癖のまま。


膝には昨日転んだ痕がある。


棒は、父が薪置き場から切ってくれたものだった。


剣ではない。


ただの棒である。


それでもロアンは、少しだけ強くなった気がしていた。


隣の子が小声で言う。


「ロアン、やれるのかよ」


ロアンは棒を握り直した。


手が少し震えている。


「やれる、と思う」


「思うだけかよ」


「やってから考える」


すぐ後ろから、猟師のおじさんの声が飛んだ。


「考えてからやれ」


子どもたちが笑った。


ロアンはむっとした。


猟師のおじさんは笑わない。


肩に弓をかけ、腰に短い鉈を下げている。


村の外を誰よりも歩く人だった。


「外ではな、考えずに動くやつから転ぶ。転ぶだけならいい。転んだ先に何があるかを見ていないやつから、戻れなくなる」


ロアンは棒を少し下げた。


村長がうなずく。


「今日は倒せとは言わん。見る日だ。怖いと思ったら、門まで戻れ。門を覚えろ。戻る道を覚えろ」


門。


ロアンは振り返った。


古い木の門が開いている。


その向こうに家々がある。


母が井戸のそばからこちらを見ていた。


心配そうな顔をしている。


けれど、来るなとは言わない。


ロアンは前を向いた。


林の端で、緑色のスライムが一匹、草の上に乗っていた。


◆ 初めての接近


スライムの周りの草は、少し変だった。


若芽の先が丸く溶けている。


土の表面にも、焦げたような湿った跡があった。


ロアンは思わず言った。


「これ、草が溶けてる」


猟師のおじさんがうなずく。


「そうだ。だから素手で触るな」


「水みたいなのに」


「水みたいに見えるものが、全部水なら楽なんだがな」


スライムは、ぷるぷると震えている。


目も口もない。


どちらを向いているのかも分からない。


ロアンは棒を構えた。


大人たちは近くにいる。


村長も、猟師のおじさんも、鍬を持った父もいる。


門も近い。


だから大丈夫だと思った。


でも、足は勝手に止まった。


スライムが、少し縮んだ。


猟師のおじさんが短く言う。


「今だ、下がれ」


ロアンは反応できなかった。


縮んだスライムが、ぱん、と跳ねた。


「うわっ」


ロアンは棒を落とした。


尻もちをつく。


スライムは目の前の土に落ち、しぶきが少し飛んだ。


その一滴が、ロアンの手首に当たった。


じゅ、と小さな音がする。


何が起きたのか、一瞬分からなかった。


次に、焼けるような痛みが来た。


「熱っ……!」


ロアンは悲鳴を上げた。


手首を押さえ、立ち上がり、門へ向かって走る。


後ろで子どもたちが笑った。


「ロアン、逃げた!」


「棒、落としてる!」


「泣きそう!」


ロアンは泣きそうだった。


いや、少し泣いていた。


門のところまで戻り、息を切らしてしゃがみ込む。


手首は赤くなっている。


細く歪んだ線のような跡が、皮膚に残っていた。


猟師のおじさんがゆっくり歩いてくる。


「戻れたなら上出来だ」


ロアンは涙目で顔を上げた。


「倒してない」


「倒す前に、死なないことを覚えろ」


「でも、逃げただけだ」


「逃げて戻った。今日はそれでいい」


「よくない」


「いい」


猟師のおじさんは、落ちていた棒を拾ってロアンへ渡した。


「棒を落としたことも覚えろ。近づきすぎたことも覚えろ。跳ねる前に縮んだことも覚えろ。全部覚えて戻れたなら、今日は生きて帰った日だ」


ロアンは棒を受け取った。


まだ悔しかった。


けれど、手首は痛かった。


痛いものは痛い。


怖いものは怖い。


スライムは、思ったより近くへ跳んできた。


それだけは、はっきり分かった。



※第15話「スライムのいる町」は全四回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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