(二)天空要塞
◆ 空からの定時報告
火鏡塔の鏡面に、白い光が走った。
信号係が符号を読み取る。
「天空要塞より定時報告。主要街道、異常なし。北尾根、異常なし。東谷、異常なし。西崖道、巡回完了。雪原、軍の足跡なし。火山側の道、大規模進軍なし」
死霊宰相が確認する。
「火鏡塔は」
信号係が答える。
「三系統すべて稼働。魔王城への信号線、正常」
「夜目の鴉は」
「夜間巡回、異常なし」
「鳴鳥は」
「全羽帰還」
「山岳斥候は」
「二名帰還。一名遅れ。ただし遅延は天候によるもの。緊急信号なし」
竜将が、わずかに息を吐く。
「空は生きている」
火鏡塔の鏡面がもう一度光った。
天空侯からの短い追加文が届く。
空は異常なし。
信号係がそれを読み上げると、会議室にわずかな沈黙が落ちた。
深海は落ちた。
深森も落ちた。
火山も落ちた。
だが、天空要塞は落ちていない。
火鏡塔は光を返している。
夜目の鴉は帰っている。
山岳斥候も巡回している。
見える範囲に、魔王城へ向かう軍はない。
死霊宰相が言う。
「天空要塞からは、大規模進軍の兆候なし」
竜将が頷く。
「ならば、魔王城へ来る者はいません」
現魔王は、すぐには答えなかった。
彼は、過去の勇者記録を思い出していた。
深海。
深森。
火山。
そして天空。
過去の勇者一行は、必ず天空要塞に触れている。
そこを避けて魔王城へ近づくことは、できなかった。
天空要塞を残せば、進路は見つかる。
火鏡塔が魔王城へ警告を送る。
夜目の鴉が谷を追う。
山岳斥候が尾根を読む。
背後から追撃される。
だから過去の勇者は、天空を攻略せざるを得なかった。
現魔王は言う。
「過去の勇者は、天空を避けなかった」
死霊宰相がうなずく。
「避けられなかった、と見るべきでしょう。索敵範囲が広すぎます」
「そして、今の天空要塞は強化済みだ」
「はい。火鏡塔は三系統。夜目の鴉も増やしています。司令官討伐時の自動警告も稼働中です。西崖道の巡回も、以前より密になっています」
竜将が言う。
「つまり、勇者がいるなら天空で見つかる」
現魔王は少し考えた。
「少なくとも、過去と同じ勇者ならな」
その言葉に、竜将は口を閉じた。
吸血侯が静かに視線を動かす。
現魔王は続ける。
「天空要塞の報告を継続させろ。魔王城外縁警戒も維持。三拠点奪還準備は止めるな」
記録官が筆を取る。
天空要塞、異常なし。
魔王城方面への大規模進軍、確認されず。
魔王城外縁警戒、維持。
三拠点奪還準備、継続。
◆ 天空要塞
天空要塞。
雲が、岩壁の下を流れていた。
塔の先端では、火鏡塔が魔王城へ光を返している。
一つ目の鏡。
二つ目の鏡。
三つ目の鏡。
第七話の後に増設された三系統の信号線は、すべて生きていた。
鳥型魔物の調教師が、夜目の鴉の脚についた泥を確認する。
「西崖道の泥。血なし。焦げなし。羽の乱れなし」
記録係が書く。
夜目の鴉、西崖道巡回。
異常なし。
風読み鳥が、東谷から戻る。
翼に細かい雪がついていた。
「東谷、風強し。人馬の列なし。煙なし」
記録係が書く。
東谷、異常なし。
別の兵が、火鏡塔の状態を読む。
「第一鏡、正常。第二鏡、正常。第三鏡、正常。魔王城への反射、遅延なし」
天空侯は、作戦室の中央で報告を聞いていた。
長身の魔族で、白い外套を肩にかけている。
その目は、雲の下の地図を見下ろしていた。
副官が読み上げる。
「主要道、異常なし」
「北尾根」
「異常なし」
「西崖道」
「落石あり。軍の通過痕なし」
「火山側の道」
「泥濘。人間軍の大規模移動なし」
「雪原」
「軍靴の列なし。荷馬の足跡なし。野営跡なし」
天空侯はうなずいた。
「山岳斥候は」
「二名帰還。一名遅れていますが、吹雪によるものと思われます」
「緊急信号は」
「なし」
天空侯は、火鏡塔の光を見る。
天空要塞は無傷だった。
攻撃された形跡もない。
包囲もない。
空から見える道に、軍はいない。
それでも、天空侯の顔に満足はなかった。
「西崖道の落石を詳しく」
副官が、別の報告書を出す。
「斥候によれば、古い岩棚が崩れています。獣の足跡あり。人の足跡らしきものも数か所。ただし風と雨で薄く、判別困難」
「人数は」
「分かりません」
「軍か」
「軍ではありません。荷馬、車輪、軍靴の列、野営跡、火を焚いた痕跡、いずれもなし」
天空侯は少し考えた。
「記録に残せ」
副官が顔を上げる。
「警戒を上げますか」
「軍の接近ではない。勇者一行の痕跡としても弱い」
「では」
「西崖道の定期巡回を増やす。夜目の鴉を一羽追加。山岳斥候には、落石箇所を再確認させろ」
「は」
天空侯は、窓の外を見た。
雲が厚い。
風が強い。
岩が多い。
獣道は無数にある。
すべてを完全に見ることはできない。
だが、見えるものは見る。
見えないものは、見えるように仕組みを増やす。
それが、天空要塞の役目だった。
◆ 西崖道
西崖道。
断崖に沿った細い道が、雲の中へ消えている。
下は谷。
上は岩壁。
風は冷たく、声をすぐにさらっていく。
山岳斥候が、落石の跡を調べていた。
膝をつき、泥に残った浅いくぼみを見る。
獣の足跡。
たぶん山羊。
別の浅い跡。
人の足にも見える。
だが、雨で崩れている。
雪解けの水が流れ、泥を薄く撫でていた。
斥候は、指で泥を掬う。
「古い」
隣の斥候が問う。
「軍か」
「違う」
「猟師か」
「それも分からん」
「人か」
斥候は、岩の下に落ちた短い布切れを拾った。
灰か、ただ汚れているだけか分からない布だった。
彼は匂いを嗅ぎ、指で揉み、首を振る。
「判断不能」
「報告は」
「獣または少数人員の通過痕。軍の通過痕なし。野営跡なし。火の跡なし」
「警戒は」
斥候は崖の先を見る。
風が強い。
こんな道を、軍は通らない。
荷馬も通らない。
夜に通れば落ちる。
昼に通っても見つかる。
「巡回増加」
彼はそう答えた。
それは正しい報告だった。
少なくとも、斥候が見た範囲では。
※第12話「空は異常なし」は全五回です。
続きます。
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