(二)人魚はいなかった
◆ 深海拠点
深海拠点は、南の魔王大陸沿岸に置かれた海の砦である。
海底の岩礁と、潮の流れと、魔族の水圧結界によって守られていた。
人間の船団は、近づくことすら難しい。
近づけば沈む。
沈まなければ、迷う。
迷わなければ、潮に砕かれる。
そういう拠点だった。
海魔将の副官は、濡れた報告書を卓に置いた。
「沿岸国、商船連合、海軍を持つ複数国が、ほぼ同時に動きました。正面からは船団。沿岸部からは陽動。さらに、海中側の旧門が開かれました」
死霊宰相が問う。
「旧門」
「深海拠点が作られる以前、海底採掘に使われていた入口です。記録上は封鎖済み。場所も潮流で埋もれ、人間が到達することは不可能と判断されていました」
竜将が低く唸る。
「ならば、なぜ開いた」
副官は歯を食いしばった。
「不明です」
吸血侯が身を乗り出す。
「人魚は」
「確認しておりません」
「水棲種族は」
「確認できませんでした。少なくとも、我らが知る水棲種族の痕跡はありません」
「勇者は」
死霊宰相が問う。
副官は首を横に振った。
「確認されていません。聖剣を持つ者、聖痕を持つ者、中央神殿の旗を掲げる者はいませんでした」
「敵の主力は」
「沿岸国の海軍。商船連合の雇い兵。漁村からの水先案内人と思われる者たち。ほか、船大工、潜水具を扱う職人の姿も確認されています」
竜将が苛立つ。
「漁村の水先案内人に深海拠点を落とされたというのか」
副官は返答できなかった。
現魔王が静かに問う。
「拠点中枢は」
「制圧されました。海魔将、戦死。水圧結界、停止。外海側の砲台は半数以上沈黙」
「人間側の損耗は」
副官は、そこでようやく顔を上げた。
「甚大です。船団の三割以上が沈没、または航行不能。上陸は可能になりましたが、即時の内陸進軍は困難と思われます」
死霊宰相が地図に印をつける。
深海拠点の黒い札が倒される。
しかし、その先へ伸びる矢印はない。
現魔王は地図を見つめた。
「拠点は落ちた」
誰も否定しない。
「だが進軍は止まった」
死霊宰相がうなずく。
「はい。人間側船団は補給再編を必要としています。魔王大陸沿岸への上陸は成功しましたが、内陸へ動く余力は限定的です」
竜将が拳を握る。
「落ちたことに変わりはありません」
「変わらない」
現魔王は答えた。
「これは敗北だ」
会議室が静まる。
「だが、勇者の連続突破ではない」
吸血侯が、ゆっくりと目を細めた。
◆ 人魚はいなかった
「人魚はいなかった」
現魔王が言った。
吸血侯が答える。
「確認されていません」
「勇者もいなかった」
「確認されていません」
「聖剣も、聖痕も、中央神殿の旗もない」
「はい」
「では、深海拠点を落としたのは軍だ」
竜将が、歯を食いしばって言う。
「軍に落とされているのですぞ」
「分かっている」
現魔王の声は冷えていた。
「だから、深海拠点の再奪還計画を立てる。海上補給を断つ。上陸した部隊を内陸へ進ませるな。沿岸砲台の残存魔族を集めろ」
死霊宰相が筆を動かす。
「しかし、陛下」
吸血侯が静かに言う。
「過去の勇者一行なら、深海拠点を落とした後、そのまま次の土地へ進んだ」
「そうだ」
現魔王はうなずく。
「拠点を落とし、次へ進む。深海から深森へ。深森から火山へ。火山から天空へ。そして魔王城へ。記録に残る勇者の道は、そのように伸びている」
竜将が地図を見る。
深海拠点の先に、まだ矢印はない。
「今回は、進んでいない」
「船団が止まっています」
死霊宰相が補足した。
「勝利はしたが、損耗が大きすぎる。補給を立て直すまで内陸へは進めません」
現魔王は言った。
「深海は落ちた。だが、勇者はいない」
記録官が、その言葉をすぐに書こうとして、手を止める。
現魔王は続けた。
「記録にはこう残せ。深海拠点、陥落。人魚、確認されず。勇者、確認されず。人間側船団、損耗甚大。内陸進軍、停止」
記録官が、今度は迷わず筆を走らせた。
※第11話「拠点は落ちる、勇者はいない」は全五回です。
続きます。
作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。
※ネタバレ範囲にご注意ください。
https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/




