(一)灰色の報告が止まる
◆ 灰色の報告が止まる
魔王城、戦略会議室。
月次報告の日だった。
長卓の上には、対勇者戦略の札が並んでいる。
東の辺境、封鎖継続。
勇者血族、移動制限中。
中央神殿、神託機能停止。
聖剣、封印中。
導きの石、破壊済み。
天空要塞、異常なし。
深森本土門、異常なし。
火山本土門、異常なし。
記録官が淡々と読み上げる。
「対勇者戦略、主要項目に重大異常なし。東方勇者候補、移動なし。勇者血族、脱出未遂なし。中央神殿の勇者認定機能、復旧確認なし。聖剣庫、封印継続」
死霊宰相が、細い骨の指で報告書を整えた。
「東の封鎖は維持されています。勇者血族の村にも、大きな動きはありません。西方洞窟の封鎖再構築も、低級魔物中心ながら進行中です」
竜将が腕を組む。
「ならば問題はない」
現魔王は、すぐには答えなかった。
視線は札の上を動く。
出身地。
一族。
神託。
聖痕。
聖剣。
仲間。
それらは、いずれも監視下にある。
破壊できるものは破壊した。
封じられるものは封じた。
見張れるものは見張っている。
「西方灰色外套について」
西方報告官が、一枚の薄い紙を差し出した。
その紙は、他の報告書よりも余白が多かった。
死霊宰相が顔を上げる。
「追加報告か」
「いえ」
報告官は、少しだけ言葉を選んだ。
「追加報告がありません」
会議室の空気が、わずかに沈む。
竜将が眉をひそめた。
「ない?」
「はい。商人道、国境洞窟周辺、村間護衛、低級魔物討伐、いずれにも目撃なし。灰色外套の若者たちに関する報告は、ある時期を境に途絶えています」
吸血侯が、椅子の背から身を起こした。
「東へ向かった形跡は」
「ありません」
「勇者血族との接触は」
「確認されていません」
「中央神殿、聖剣、聖痕、神託との接点は」
「ありません」
竜将が鼻を鳴らす。
「死んだのではないか。傭兵まがいの連中なら珍しくもない」
報告官は否定しなかった。
「その可能性もあります」
現魔王は、灰色外套の札を見た。
西方村落自衛。
若年連絡役、詳細不明。
灰色外套、後発報告あり。
報酬制少数戦力の可能性。
勇者候補、非該当。
監視継続。
薄い札だった。
まだ勇者候補の列には置かれていない。
だが、完全に捨てられてもいない。
現魔王は言った。
「一度だけ詳細に調べろ」
竜将がわずかに顔をしかめる。
「陛下、そこまで」
「一度だけだ」
現魔王の声は静かだった。
「死体。装備。雇用記録。報酬の受け取り。商人の証言。村の噂。残っているものを拾え」
吸血侯が頭を下げる。
「すぐに」
「東へ向かったなら、見落とすな。勇者血族に近づいたなら、見落とすな。中央神殿の残党と接触したなら、見落とすな」
「は」
現魔王は札から目を離した。
「だが、灰色外套だけに引きずられるな。主戦場は東だ」
死霊宰相が記録する。
灰色外套、追加調査。
一度のみ詳細確認。
東方接近、勇者血族接触、中央神殿接点を重点確認。
警戒レベル、現状維持。
灰色の報告は、そこで一度だけ卓の中央に置かれた。
そしてすぐに、他の札の横へ戻された。
◆ 残っているものを拾え
西の商人道。
灰色の外套について、吸血侯の配下が聞き込みを行った。
商人は、荷台の紐を締めながら言う。
「灰色の外套? ああ、見たことはあるよ」
「いつだ」
「しばらく前だ。荷馬車を助けてもらった。魔物に襲われて、車輪が壊れてな」
「その後は」
「見てない」
「死んだと思うか」
商人は肩をすくめた。
「あの手の連中は、ある日ふっといなくなるもんだ。別の町へ行く。別の雇い主につく。危ない仕事を受けて戻らない。珍しい話じゃない」
「名は」
「一人はロアンとか呼ばれていた気もする。だが、俺が聞いた名かどうかも怪しい。灰色の連中、と呼んでいた者もいた」
「報酬は払ったか」
「払った。安くはなかった。高すぎもしなかったが、命を拾ったと思えば妥当だ」
別の村。
宿屋の女主人が、洗い物の手を止める。
「前に泊まったことがある。若い連中だったよ」
「冒険者か」
「そう見えたね。少なくとも、ただの旅人よりは腕が立った」
「傭兵か」
「傭兵というほど荒れてはいなかった。けど、ただで危ない仕事をする連中でもなかったよ。報酬はきっちり受け取った」
「評判は」
「悪くはない」
女主人は少し笑った。
「宿代を値切ったくせに、荷運びの婆さんを手伝っていた。妙な連中だったね」
「一団としてか」
「いや。たまたま見かけて、手を貸しただけじゃないかね。依頼書を出したわけじゃない」
国境洞窟近くの村。
老人たちは、互いに違うことを言った。
「西の大国へ向かったと聞いた」
「戦死したんだろう」
「貴族に雇われたんじゃないか」
「いや、そもそも同じ一団じゃなかったのではないか」
「灰色の外套なんて、旅人なら誰でも着る」
「だが、角笛を吹いた若いのと同じ連中だという話もあった」
「違うだろう。あの時は外套など着ていなかった」
噂は増えた。
だが、確証は増えなかった。
死体はない。
装備も出ない。
雇用主も分からない。
報酬を受け取った記録はある。
小さな人助けの噂もある。
だが、それらは同じ活動としては結びつかない。
危険な仕事には報酬を取る。
道端の困りごとには手を貸す。
その二つは、人間の村では同じ印象として語られる。
けれど、魔王軍の報告書では別の欄へ入る。
報酬制少数戦力。
個人単位の人助け。
村落自衛。
道案内。
治療。
剣の訓練。
同じ棚に置かれても、同じ束にはならない。
吸血侯は、夜まで報告を集めた。
そして、最後に短く記した。
灰色外套。
最後の目撃以降、姿なし。
東方接近、確認されず。
勇者血族との接触、確認されず。
中央神殿との接続、確認されず。
死亡、活動停止、または雇用主変更の可能性。
警戒上昇に足る根拠なし。
※第10話「線が切れる」は全五回です。
続きます。
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