(二)名が残らない連絡役
◆ 国境洞窟
報告官が、次の羊皮紙を開いた。
「西の国境洞窟にて、封鎖していた魔物群が撃破されました」
会議室の空気が、わずかに変わった。
竜将が顔を上げる。
「軍か」
「いいえ。大規模軍の移動は確認されていません。洞窟の両側にある村が、それぞれ自警団を出したものと思われます」
死霊宰相が問う。
「両側の村が連携したのか」
「そのようです。片側からの攻撃ではなく、両側から挟んだことで、洞窟内の魔物が分断されました」
竜将の声が低くなる。
「村同士が連絡を取ったということか」
「詳細不明です。洞窟は封鎖されていたため、通常の連絡は不可能だったはずです」
死霊宰相が地図を広げた。
西の国境洞窟。
国境をまたぐ、古い交易路である。
洞窟の中を魔物で塞ぐことで、両側の村は分断されていた。
塩。
鉄。
薬。
麦。
情報。
人の往来。
それらは止まり、村は困窮していた。
現魔王が問う。
「抜け道は」
死霊宰相が地図を見る。
「周辺に獣道はあります。ただし危険です。低級魔物の縄張りを抜ける必要がある。正規の街道ではありません」
小鬼隊長が言った。
「報告では、若い連絡役がいた可能性があります。ただし、名は不明。村の記録にも残っていません」
吸血侯が少し顔を上げる。
「名が残らない連絡役」
竜将が言う。
「ただの村の使いでしょう」
吸血侯は否定しなかった。
「かもしれません」
現魔王は即断しない。
「洞窟封鎖の復旧は」
報告官が答える。
「可能です。ただし、上位種を東へ回しているため、配置できるのは低級魔物中心になります」
死霊宰相が言う。
「西の国境分断は弱まります」
竜将が問う。
「強個体を戻しますか」
現魔王は首を振った。
「戻さない。東の封鎖を維持する」
「西の封鎖が破られます」
「再構築しろ。ただし強戦力は戻すな。東を薄くするな」
記録官が筆を動かす。
西国境洞窟、封鎖一時突破。
原因、両側村落の挟撃。
主戦力、村落自警団。
不明要素、連絡手段。
推定、若年連絡役または猟師道の利用。
封鎖再構築。
強戦力の東方配置は維持。
竜将は不満げだった。
だが、反論はしなかった。
西は無視されていない。
洞窟突破も記録された。
連絡役の存在も不明要素として残された。
それでも、東の封鎖を崩す判断には至らなかった。
◆ 洞窟の中央
西の国境洞窟。
松明の煙が、低い天井に溜まっていた。
洞窟の中には、倒された小鬼や低級魔獣の死骸が転がっている。
血の匂い。
湿った土の匂い。
焦げた毛皮の匂い。
村人たちは疲れ切っていた。
片側の村の者と、反対側の村の者が、洞窟の中央で初めて顔を合わせる。
互いに武器を持ったまま。
互いに息を切らしたまま。
それでも、見た瞬間に分かった。
本当に来たのだ。
片側の村の男が言った。
「本当に来たのか」
反対側の男が、笑う余裕もなく答えた。
「そっちこそ」
「連絡が来た。夜明けに入れって」
「こっちもだ」
「誰が知らせた」
誰も、はっきりとは答えられなかった。
若い男がいた。
若い女もいた気がする、と言う者もいる。
村の子どもに見えたという者もいる。
猟師の手伝いだと言う者もいる。
薬草採りの娘だったと言う者もいる。
荷物運びの少年だと言う者もいる。
泥だらけだった。
旅の荷を背負っていた。
何度も息を切らしていた。
夜明け前に来て、夜明けに洞窟へ入れと言った。
それから、角笛を三度聞いた、と言う者もいた。
いや、二度だったと言う者もいる。
山に反響して、分からなかったという者もいる。
ただ、両側の村がほとんど同じ時刻に動いたことだけは、誰も疑わなかった。
だが、その者たちは戦闘の中心にはいなかった。
洞窟の魔物を倒したのは、村の大人たちだった。
盾を持って前へ出たのは自警団である。
弓を射たのは猟師である。
止めを刺したのは鍛冶屋の息子である。
負傷者を引きずって戻したのは薬師見習いである。
だから外から見れば、洞窟を破ったのは両村の自警団だった。
若い連絡役たちの名は、誰の報告にも残りにくい。
一人の女が、洞窟の壁にもたれて座り込んだ。
「これで塩が通る」
別の男が言った。
「鉄もだ」
「薬も」
「手紙も」
洞窟の向こうから、朝の光が差し込んでいた。
道を開いたのは、剣を振った者たちだった。
だが、剣を振る時刻をそろえた者たちの名を、誰も正確には知らなかった。
※第9話「灰色の報告」は全五回です。
続きます。
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