(四)外へ出られぬ血筋
◆ 密書
魔王城、記録塔。
押収された密書が、現魔王の前に置かれた。
封はすでに解かれている。
死霊宰相が内容を読む。
「聖都への救援要請。勇者血族の少年一名を保護対象として送る予定。古剣は村に残す。中央神殿の判断を仰ぐ、とあります」
吸血侯が言った。
「彼らはまだ、中央神殿が機能していると思っています」
竜将が笑う。
「無駄な希望ですな」
現魔王は笑わなかった。
「希望は無駄でも、人を動かす」
竜将は口を閉じた。
魔王は、密書を見下ろす。
書かれた文字は、急いでいる。
だが、乱れてはいない。
書いた神官は、混乱の中でも手順を守ろうとしたのだろう。
「この神官の連絡先は」
吸血侯が答える。
「聖都の下級神官です。強襲後、生存確認済み。ただし神託記録へのアクセスは失っています」
「監視しろ。返信を偽装するな。動きを見る」
竜将が問う。
「偽の返信で誘い出さないのですか」
「一度騙せば、一度しか使えぬ。今は網を残す」
吸血侯が楽しげに目を細める。
「網を残せば、魚は増えます」
「魚ではない。線だ」
現魔王は密書の差出人名を指す。
「この神官が誰に頼るか。聖都の下級神官が誰に相談するか。相談された者が、どの家とつながっているか。それを見る」
死霊宰相が、新しい紙を広げた。
脱出を試みた少年の家。
村の神官。
聖都の下級神官。
近隣の薬師。
古い剣術道場。
遠い婚姻先。
線が伸びていく。
一本の家系から、複数の支援者が見え始めていた。
死霊宰相が言う。
「陛下の方針通り、生かして戻したことで、支援者の線が見え始めています」
現魔王はうなずく。
「血筋は一人では動かぬ。守ろうとする者がいる」
吸血侯が問う。
「その者たちも檻に入れますか」
「必要な者だけだ。広げすぎれば、檻ではなく戦場になる」
記録官が書く。
勇者血族、関係線監視。
支援者、選別監視。
無差別拘束は避ける。
神官連絡網、監視継続。
偽装返信、現時点では行わず。
竜将は、不満そうではあった。
だが、もう「殺せばよい」とは言わなかった。
少なくとも、この密書一通から、どれほどの線が見えるかは理解していた。
◆ 血筋は血筋でしかない
東の辺境。
昼。
少年は、村の外れで木剣を振っていた。
相手は木の杭である。
動かない。
避けない。
反撃しない。
少年は何度も振る。
腕が重くなる。
息が乱れる。
手の皮が破れる。
それでも止めない。
外へ出られない。
隣町にも行けない。
魔物と戦う機会もない。
相手は木の杭と、年老いた猟師だけ。
猟師は強い。
だが、村の中でできる稽古には限りがある。
少年は、薬草も覚える。
地図も読む。
古い勇者譚も聞く。
神官から祈りの手順も習う。
老女から、昔の道の名前も聞く。
けれど、実地で試せない。
負けることもできない。
逃げ帰ることもできない。
初めて見る魔物の匂いを知らない。
夜道で迷う怖さを知らない。
傷を負ったまま歩く重さを知らない。
少年は、木剣を振り下ろす。
乾いた音がする。
もう一度。
もう一度。
手の皮が破れ、血がにじむ。
それでも振る。
老女が、少し離れたところで見ていた。
少年は息を切らせながら言う。
「絶対に抜け出す」
老女は黙っている。
「母さんは、勇者にならなくてもいいって言ってた。でも俺は悔しい」
少年は、木剣を握りしめた。
「勇者になるとかならないとかじゃない。あいつらに、お前はここから出られないって決められたのが悔しい」
老女は静かに言った。
「死んだらなんにもならんよ」
少年は振り返る。
「待ってても何も変わらない!」
老女は、少しだけ目を細めた。
「それは、変わらないように見えてるだけじゃ」
少年は眉をひそめる。
「どういう意味」
「道が閉じた時、人は道ばかり見る。じゃが、道が閉じている間にも、畑は育つ。子は背が伸びる。見張りは油断を覚える。魔物は縄張りを変える。人の噂も、血のつながりも、少しずつ形を変える」
「だから待てっていうのか」
「違う」
老女の声は低い。
「死なずに見ろと言うておる」
少年は木剣を握り直した。
「見てるだけじゃ、何もできない」
「見ることを、何もしないことと同じにするな」
少年は答えられない。
老女は続けた。
「勇者になりたいなら、なおさらじゃ。走るだけの者は、最初の罠で死ぬ。怒るだけの者は、最初の挑発で死ぬ。悔しさを燃やすのはよい。じゃが、その火で自分を焼くな」
少年は、木剣を下ろした。
息が荒い。
汗が落ちる。
血のにじんだ手が震えている。
「じゃあ、何を見ればいい」
老女は、村の外へ続く道を見た。
そこには魔物がいる。
見張りがいる。
逃げ道はない。
「見張りの交代」
老女は言った。
「魔物の歩く場所。小鬼の癖。村人が何を恐れ、何を諦め、何をまだ諦めていないか。お前自身の怒りが、何を見えなくしているか」
少年は黙った。
老女は続ける。
「血筋だけでは何者にもなれん」
少年が顔を上げる。
老女は、少年をまっすぐ見た。
「外へ出られぬ血筋は、血筋でしかない」
少年は、その言葉を胸の奥で受け止めた。
痛かった。
だが、嘘ではないと思った。
彼には血がある。
古い剣がある。
教えがある。
祈りがある。
誇りがある。
けれど、外へ出られない。
だから、まだ何者でもない。
少年は、もう一度木剣を構えた。
今度は、すぐには振らなかった。
道の向こうを見る。
見張りを見る。
魔物を見る。
小鬼の立ち位置を見る。
その目には、悔しさがまだ燃えている。
だが、少しだけ形が変わっていた。
※第8話「血筋の檻」は全五回です。
続きます。
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