(三)勇者の条件を見つける
◆ 勇者は突然現れない
吸血侯が、人間側の勇者譚を数冊、卓上に置いた。
絵巻。
詩歌。
神殿の写本。
王家の記録。
どの表紙にも、光を背負った人間が描かれている。
「人間どもは、勇者を奇跡と呼びます。神に選ばれ、聖剣に導かれ、運命の仲間と出会う者だと」
魔王は、その一冊を手に取った。
表紙の勇者は、あまりにもまぶしく描かれていた。人間の絵師は、魔王を黒く、勇者を白く描く。それは知っている。
「奇跡で片づけるのは、人間の仕事だ。我らは違う」
記録官が筆を構え直す。
「では、陛下は勇者を何と見ますか」
「発生する脅威だ」
竜将が眉をひそめる。
「脅威が発生する?」
「勇者は玉座の間に突然現れるのではない。どこかの村で生まれ、どこかの道を歩き、どこかで最初の魔物を倒している。剣を覚え、仲間を得て、拠点を越え、ここへ来る」
死霊宰相が言った。
「つまり、成長過程があると」
「あるはずだ」
魔王は、勇者譚の絵巻を閉じる。
「あるならば、見つけられる。見つけられるなら、封じられる」
竜将は何も言わなかった。
反論はあるのだろう。
勇者など戦場で焼けばよいという考えは、まだ捨てていないはずだ。
だが、魔王の問いは竜将の剣よりも深く刺さっていた。
なぜ、見つけられなかったのか。
なぜ、毎度同じように玉座まで届いたのか。
◆ 焼け残った勝利記録
そこへ、小鬼の書庫番がおずおずと前に出た。
両腕には、焼け焦げた文書束が抱えられている。彼は弱い。竜将の一息でも吹き飛びそうな体で、震えながら資料を差し出した。
「陛下。古い魔王側の勝利記録ですが……やはり断片しか残っておりません」
魔王は、小鬼の方を向いた。
「読める部分は」
小鬼は緊張で声を震わせながら答える。
「若い魔族が、人間の一部と協力し、巨大な軍事国家を分断した、と。その後の記録は焼失しております」
竜将が不快そうに唸った。
「人間と協力? 魔族が?」
魔王は竜将を見ずに言った。
「それもまた、勝利した時代の記録だ。不快だからと捨てれば、残るのは都合のよい敗北だけになる」
竜将は口を閉じた。
魔王は小鬼の書庫番を見る。
「知らぬことは罪ではない。知ろうとしないことは、罪だ」
小鬼は背筋を伸ばした。
「は、はい。読める箇所をすべて写します」
「歌もだ」
「歌、ですか?」
吸血侯が口元を緩めた。
「人間の勇者譚は歌に多く残っています。ただし、誇張も多い」
「構わぬ」
魔王は、吸血侯の持ってきた吟遊詩人の写本を開いた。
「人間は真実を歌に隠す。誇張を削れば、事実の骨は残る」
小鬼の書庫番は慌ててうなずいた。
「歌も、集めます」
「村の伝承もだ」
死霊宰相が補足する。
「神殿記録だけでは不足でしょう。王家の系図、地方領主の戦記、墓碑銘、絵巻、民間の語りも対象に加えます」
「そうしろ」
◆ 対勇者戦略
魔王は地図へ視線を戻した。
黒い駒が国境に並び、魔王城の周囲に重なっている。
「城を固める。強国を牽制する。街道を断つ。聖都を脅す。四天王を配置する。どれも必要だ」
死霊宰相がうなずく。
「はい」
「だが、それだけでは足りない。それは対国家戦略だ。我らに必要なのは、もう一つ」
記録官が筆を構える。
魔王は、倒した白い駒を拾い上げた。
「対勇者戦略だ」
会議室の空気が、静かに変わった。
言葉が生まれた瞬間だった。
◆ 勇者の条件を見つける
竜将が低く問う。
「勇者が現れる前に、勇者へ対策するということですか」
「そうだ」
吸血侯が目を細める。
「では、まずは勇者とは何かを定義する必要がありますね」
魔王はうなずいた。
「その通りだ」
卓上に、歴代勇者の記録が並べられていく。
いくつもの名前。
出身地。
血筋。
神殿。
聖剣。
仲間。
光る痣を描いた絵。
生誕を祝う歌。
旅立ちを記した詩。
魔王は、それらを一つずつ見た。
その目に、信仰はなかった。
嘲りもなかった。
あったのは、観察する者の冷たさだけだった。
「歴代勇者の記録を集めよ」
魔王が命じる。
「戦記だけではない。神殿の写本、王家の系図、村の伝承、吟遊詩人の歌、絵巻、墓碑銘。人間が勇者と呼んだ者に関わるものを、すべてだ」
記録官が確認する。
「目的は」
魔王は、卓上の白い駒を見る。
それは小さい。
黒い駒に囲まれれば、すぐに潰されそうに見える。
だが、過去の記録では、その小さな駒だけが何度も玉座まで届いていた。
魔王は言った。
「勇者の条件を見つける」
記録官が、羊皮紙に書き留める。
対勇者戦略、起案。
目的、勇者の誕生阻止。
最初の調査項目。
勇者の条件。
その夜、魔王軍に初めて、対勇者戦略という言葉が記録された。
城を固めるためではない。
国を滅ぼすためでもない。
魔王を殺す者が、魔王の前に立つより先に、その芽を見つけるための戦略だった。
そして世界のどこかでは、まだ誰にも定義されていない少年が、弱い魔物から逃げ帰っていた。
その少年の名を、この時の魔王はまだ知らない。
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