(三)田舎神殿
◆ 田舎神殿
エナは、田舎神殿について訂正した。
「中央神殿の秘された神託ではありません。地方の、小さな神殿にあった物語です」
神官は言う。
「では、その神殿が選ばれたということでは」
エナは困る。
「選ばれたというより、そこにあったんです」
「なぜそこに?」
「昔からあったからです」
ミルカが小さく言う。
「それでいいのにね」
エナは続ける。
「でも、あの物語を残してくれた人たちのことは、忘れないでほしいです」
ロアンが頷く。
「俺も、あれを読んでよかったと思っています」
神官は、その言葉を聞いてまた筆を動かす。
エナは少し不安になる。
また違う意味が足される気がした。
ロアンもそれを察したのか、慌てて言う。
「よかったと思っているだけで、神託だとは思っていません」
記録官が筆を止める。
「併記します」
ミルカが言う。
「併記じゃなくて、そっちを本文にして」
「本文と注釈の関係がありまして」
「本文が間違っていて注釈が正しいのは、かなり困るわよ」
ガルドが感心したように言う。
「注釈は難しいな」
ミルカが答える。
「注釈が戦場になる時もあるの」
「名簿といい、文字はよく戦うな」
「そうよ。だから雑に扱わない」
田舎神殿が、最初から神託の聖地だったわけではない。
けれど、そこにあった物語がロアンに届いたことは事実だった。
エナは本を見ながら、小さく言う。
「物語が大事だったことまで、違うとは言いたくないんです」
ロアンは頷いた。
「うん」
ミルカが少し柔らかい声で言う。
「だから難しいのよ。全部嘘なら、否定しやすいのに」
エナは本を閉じた。
古い本は、何も言わない。
ただそこにあった。
それだけなのに、今はもう多くの人が意味を乗せようとしている。
◆ 第三の証
最後に探されるのは、聖痕だった。
神に選ばれた印。
勇者の身に現れる特別な傷。
ロアンは、その話を聞いた時点で嫌な顔をした。
「ないです」
神官は言う。
「確認だけでも」
「傷ならたくさんありますけど」
「特に古い傷は?」
ロアンは少し考える。
幼い頃のスライム狩り。
皮膚を焼かれた痛み。
家に帰ってから母に叱られたこと。
痛いのに、泣くより先に悔しかったこと。
あの時の火傷は、まだ薄く残っている。
ロアンは言った。
「子どもの頃、スライムに焼かれた跡ならあります」
神官たちが顔を上げた。
ロアンはすぐに言う。
「ただの火傷です」
「どのようなスライムでしたか」
「普通のスライムです。少し酸が強かっただけで」
「場所は?」
ロアンは渋々、古い火傷の痕を見せた。
腕、あるいは肩口に残った薄い火傷。
神官が息を呑む。
ロアンは本当に嫌な予感がする。
「これ、聖痕じゃないですよ」
神官は言った。
「灰の勇者が幼き日に受けた火の印……」
「スライムです」
「魔に焼かれながらも立ち上がった印……」
「スライムです」
「幼き英雄の身に刻まれた、試練の痕……」
「スライムです」
ミルカが横で口元を押さえている。
エナは困った顔をしている。
ガルドは真面目に言った。
「スライムに焼かれると痛い」
ロアンはうなずく。
「痛いです」
記録官は書き留める。
幼少期。
魔物による火傷。
勇者の身に残る印。
灰の勇者。
火の痕。
ロアンは頭を抱える。
「今、スライムって書きました?」
記録官は少し目を逸らした。
ミルカが低い声で言う。
「書いて」
「はい」
記録官は慌てて書き足した。
ガルドが言う。
「スライムも魔物ではある」
ロアンが見る。
「味方なの?」
「事実だ」
「事実だけど」
ミルカが言う。
「事実だから危ないのよ」
◆ 灰と火傷
その傷の話は、すぐに変わり始めた。
最初は、幼少期に魔物に焼かれた傷だった。
次に、幼き日のロアンが魔の炎を受けても倒れなかった印になった。
さらに、神が灰の勇者に与えた火の聖痕になった。
ロアンは何度も否定する。
「スライムです」
だが、その訂正は弱い。
魔王を討った者の幼少期の傷。
それだけで、人々には意味があるように見えてしまう。
しかも、灰の勇者という呼び名と相性がよかった。
灰。
火。
焼かれた痕。
それでも生きた少年。
記録官にとっては、美しすぎる並びである。
ミルカが言う。
「最悪の相性ね」
ロアンが言う。
「何が?」
「灰と火傷」
「やめてよ」
エナが申し訳なさそうに言う。
「でも、たぶん、そう書かれてしまいます」
ガルドが言う。
「痛かったなら、強い傷だな」
ロアンはため息をつく。
「強い傷って何ですか」
ガルドは自分の古い傷を見た。
「傷は勝手に意味を持つことがある」
ロアンが見る。
ガルドは続ける。
「道場では、よく分からん傷でも、後から何の稽古でついたか言われる。たいてい間違ってる」
ミルカが言う。
「規模が違うけど、言ってることは分かるわ」
「俺も何度か、滝行でついた傷にされた」
ロアンが聞く。
「本当は?」
「枝に引っかけた」
エナが小さく笑ってしまった。
ミルカも肩を震わせている。
ロアンは少しだけ気が抜けた。
「じゃあ、俺のスライムも残しておかないと」
ガルドは真面目に頷く。
「書かないから変になるんだろ」
ミルカが言う。
「正論ね」
ロアンは記録官を見た。
「スライムも書いてください」
記録官は筆を握ったまま、少し戸惑う。
「聖痕の項に、ですか」
「聖痕じゃない項に」
ミルカが横から言う。
「幼少期の火傷。原因、スライム。以上」
「かなり簡素ですね」
「それが事実」
神官が少し困った顔をする。
「しかし、勇者の記録としては」
ロアンは言った。
「勇者ではないです」
部屋にまた沈黙が落ちた。
ミルカが小声で言う。
「強い。たまにこういうところだけ強い」
ロアンは困ったように言う。
「たまに?」
※第37話「聖剣、神託、聖痕」は全五回です。
続きます。
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