(二)鍛冶師の名
◆ 鍛冶師の名
ロアンは、剣についてだけは強く言った。
「剣を聖剣と呼ぶなら、打ってくれた人たちの名前を残してください」
記録官が顔を上げる。
「鍛冶師の名ですか」
「はい。病み上がりで、でもすごくいい剣を打ってくれたんです。エナが一週間かけて治して、それで……」
ロアンは少し言葉に詰まった。
あの剣は、神から落ちてきたものではない。
光の中から現れたものでもない。
人が打ったものだ。
疲れた体で、感謝を込めて、火の前に立ってくれた人がいた。
それが消えるのは嫌だった。
エナも静かに言う。
「私も、名前を残してほしいです」
ミルカが言った。
「七日七晩より、その方がずっと大事でしょ」
ガルドがうなずく。
「剣を打ったやつは強い」
記録官は、少し考えてから頷いた。
「分かりました。鍛冶師の名は記録します」
ロアンは少しだけ安心した。
「ありがとうございます」
ミルカがすぐに言う。
「あと、七日七晩は消して」
「そこもですか」
「そこが一番危ない」
記録官は曖昧に頷いた。
ロアンは不安になる。
「消しますよね?」
「可能な限り」
ミルカが目を細める。
「可能な限りじゃなくて、消して」
記録官は慌てて筆を取った。
ただし、後世でその名がどれほど正しく残るかは分からない。
それでも、この時、ロアンは少しだけ剣を守れたような気がした。
剣そのものではなく、剣を打ってくれた人たちのことを。
◆ 第二の証
次に神官たちが探したのは、神託だった。
魔王を討つ者が、何の導きもなく進んだはずがない。
中央神殿には神託がなかった。
東の勇者候補にも、明確な神託は降りなかった。
ならば、どこか別の場所にあったはずだ。
神官が問う。
「旅の初め、神の言葉を受けたことは?」
ロアンは答えた。
「ありません」
「夢は?」
「特に」
「声は?」
「聞いてません」
「光は?」
「見てないと思います」
ミルカが横から言う。
「見てたら私に言ってるでしょ」
「たぶん言う」
「絶対言う」
ガルドが尋ねる。
「夢なら忘れることもあるんじゃないか」
ロアンが少し考える。
「朝ごはんの夢なら」
ミルカが記録官へ言う。
「それは神託じゃないです」
記録官は筆を止めた。
「書いていません」
エナは少し考えてから言った。
「あの……神託ではないと思いますが、田舎神殿に物語はありました」
神官たちが一斉にエナを見る。
エナは少し怯む。
「小さな精霊たちの話です。強い精霊が一人で世界を支えるのではなくて、小さな精霊たちが互いに足りないものを補い合って、世界を保つという……」
ロアンが頷いた。
「あれは、覚えています」
ミルカも言う。
「ロアン、あれ好きだったわね」
ロアンは少し照れる。
「好きというか、分かりやすかったから」
神官はゆっくりと言った。
「それだ」
エナが驚く。
「違います。あれは神託ではありません。古い物語です」
神官は言う。
「神は、物語の形で語ることもあります」
エナは困る。
「でも、子どもにも読ませるような本です」
「神託とは、必ずしも雷鳴と光の中で降るものではありません」
ミルカが小声で言った。
「急に都合よく柔らかくなったわね」
ロアンも小声で返す。
「神託って、もっとはっきりしたものかと思ってた」
「私も今までそう思ってた」
ガルドが言う。
「物語でいいなら、道場の壁の言葉も神託か」
ミルカが即答する。
「違う」
「なぜだ」
「話が増えるから」
◆ 物語が神託になる
田舎神殿から、その物語の写しが取り寄せられた。
古びた本である。
装飾も少ない。
中央神殿の高位神官が期待していたような、金の留め具がついた聖典ではない。
子どもが読んだ跡がある。
端は少し丸まっている。
ところどころ、誰かが花の絵を描いた跡まであった。
エナはそれを見て、少し安心したような顔をした。
「ああ、これです」
神官は本を慎重に開く。
記録官たちも覗き込む。
内容は、ロアンたちの旅に奇妙に合っていた。
一人の大きな力ではなく、足りない者同士が補い合う。
海の者。
森の者。
火を扱う者。
道を知る者。
傷を癒す者。
剣を振る者。
それぞれが、少しずつ世界を支える。
神官たちは顔を見合わせた。
「これは、勇者を導くために残された物語ではないか」
エナは首を横に振る。
「違うと思います。少なくとも、私たちはそう聞いていません」
ロアンも言う。
「神託として読んだわけじゃありません」
「では、何として読んだのです」
「いい話だな、と」
記録官の筆が止まった。
ミルカが笑いそうになって、口元を押さえる。
神官は困った顔をした。
「いい話」
ロアンは真面目に頷く。
「はい。いい話です」
ガルドが本を見る。
「俺も読んだ方がいいか」
エナが少し明るくなる。
「読みますか?」
「難しいか」
「子どもにも読めます」
「なら読めるな」
ミルカがぼそりと言う。
「そこで自信を持つんだ」
しかし、それでも記録は変わっていく。
田舎神殿に秘されていた精霊の物語。
灰の勇者ロアンはその言葉に導かれ、仲間と共に魔王へ至った。
エナはその記録を読んで、小さく言った。
「秘されてはいません。誰でも読めました」
ミルカが答える。
「誰でも読めるものほど、あとから秘されていたことにされるのよ」
「どうしてですか」
「その方が、ありがたそうだから」
ロアンは本を見ていた。
神託ではなかった。
でも、たしかに自分の考え方に影響した。
一人で全部できなくてもいい。
足りないなら、誰かに頼ればいい。
誰かの足りないところは、自分が補えばいい。
その考えは、たしかに旅の中で何度も使った。
ロアンは言う。
「神託ではないと思います。でも、大事な話ではありました」
その一言が、また記録官の筆を動かした。
ミルカが呻く。
「今の、かなり危険な言い方だったわよ」
ロアンは驚く。
「え、だめ?」
「神官が一番好きなところに置きにいった」
「そんなつもりじゃ」
「つもりがなくても、筆は動く」
記録官はもう書いていた。
※第37話「聖剣、神託、聖痕」は全五回です。
続きます。
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