(五)灰色の布
◆ 魔王軍側の夜
一方、魔王軍側。
竜将、吸血侯、死霊宰相は、魔王の遺体の前にいた。
玉座の間は片付けられていない。
壊れた柱。
消えかけた魔法陣。
砕けた床。
血の跡。
そこに、魔王の亡骸がある。
竜将はまだ怒りを消せない。
「なぜ止められた」
吸血侯が言う。
「止めねば、我らは殺していた。あるいは殺されていた」
竜将が睨む。
「それが何だ」
死霊宰相が静かに言う。
「陛下は、見ろと命じられた」
竜将は黙る。
死霊宰相は続けた。
「我らは勇者の条件を封じた。血筋、神託、聖剣、聖痕、天空。いずれも機能していた」
吸血侯が言う。
「だが、彼らは来た」
「そうだ」
「ならば、見なければならぬ」
竜将は拳を握った。
「見て、どうする」
死霊宰相は魔王の遺体を見る。
「次を間違えぬためだ」
「次などあるのか」
「ある。魔王陛下が死んでも、兵は残る。土地は残る。恨みも残る。ならば、次を間違えぬようにするしかない」
吸血侯は影のように静かだった。
「許したわけではない」
竜将が低く言う。
「当たり前だ」
「だが、殺し合いを続けるだけでは、陛下の命に背く」
竜将は答えない。
死霊宰相は、床の傷を見る。
「条件だけでは足りぬ。陛下の最後の言葉だ」
「条件を捨てろということか」
「違う。条件だけを見るなということだ」
竜将は目を閉じた。
怒りは消えない。
悔しさも消えない。
だが、魔王の命令も消えない。
見ろ。
その一言が、死んだ後も彼らを縛っている。
そして、縛っているだけではない。
次に何をするかを考えさせている。
魔王軍側もまた、魔王が死んだ後の仕事を始めなければならなかった。
◆ 灰色の布
翌朝、魔王城の外に停戦の旗が掲げられた。
白ではない。
人間側の旗でも、魔王軍の旗でもない。
急ごしらえの灰色の布である。
最初にそれを出したのが誰だったのか、ロアンには分からない。
魔王軍側の伝令かもしれない。
人間側の指揮官かもしれない。
誰かが、白布は降伏と誤解されると言った。
誰かが、人間側の旗では魔族兵が反発すると言った。
誰かが、魔王軍の旗では人間側が進めないと言った。
それで、灰色の布になった。
灰の一団の外套の色。
どちらの旗でもない色。
誰かが言う。
「灰の一団の色だ」
誰かが答える。
「では、灰の勇者の旗か」
ロアンはそれを聞いて、思わず振り返った。
「違います」
だが、その声は周囲のざわめきに消えた。
ミルカが隣で言う。
「今のは負け戦ね」
「まだ一回しか言ってない」
「一回で負けが見える戦いもある」
「そんな」
エナが灰色の布を見上げる。
「でも、白でも黒でもないのは、少し安心します」
ガルドが言う。
「灰色は汚れが目立たない」
ミルカが睨む。
「今そういう話?」
「実用的だろ」
ロアンは灰色の布を見た。
風に揺れている。
それはただの布だった。
急いで用意された、端のほつれた布。
けれど、周囲の者たちはもう、それに意味を見つけ始めている。
魔王は死んだ。
戦争はまだ終わっていない。
だが、人々はもう物語を探し始めている。
誰が魔王を倒したのか。
どの剣だったのか。
どんな神託があったのか。
どんな印を持っていたのか。
ロアンはまだ知らない。
自分たちの旅が、これから別の形で語られ始めることを。
そして、自分が何度否定しても、そのすべてを止めることはできないことを。
ミルカが小さく言った。
「次は、剣とか神託とか傷の話になるわね」
ロアンは顔をしかめる。
「ならないよ」
ミルカは灰色の布を見たまま答える。
「なるわよ」
エナが少し不安そうに言う。
「私、神託は受けていません」
ガルドが言う。
「俺は剣士でいい」
ミルカは疲れたように言った。
「だから、後世がそんな素直なわけないでしょ」
ロアンは灰色の布を見上げた。
勇者ではない。
そう思っている。
そう言っている。
けれど、物語は本人の手を離れ始めていた。
◆ 魔王が死んだ後の仕事
魔王は死んだ。
けれど、戦争は死ななかった。
剣を下ろす者がいた。
下ろせない者がいた。
泣く者がいた。
怒る者がいた。
復讐を望む者がいた。
捕虜の名を呼ぶ者がいた。
死体を探す者がいた。
勝利を叫びたい者もいた。
だが、その前にしなければならないことがあった。
武器を下げること。
負傷者を運ぶこと。
捕虜の名を記すこと。
伝令を走らせること。
門を開けすぎないこと。
魔王城の結界を壊しすぎないこと。
敵討ちを止めること。
殉死を止めること。
魔王が死んだ後にも、仕事は残った。
ロアンは勇者ではなかった。
少なくとも、本人はそう思っていた。
けれど、周囲はもう、彼を違う名前で呼び始めていた。
勇者殿。
灰の勇者。
魔王を討った者。
ロアンは否定した。
何度も否定した。
けれど、物語は本人の手を離れ始めていた。
聖剣も、神託も、聖痕も。
まだそこにはなかった。
だが、人々はもう、それらを探し始めていた。
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