(三)届く剣
◆ 城ごと来る
魔王が初めて、本気で殺しに来る。
玉座の間の魔法陣がすべて光った。
柱から黒い魔力が流れ、床を走り、天井へ伸びる。
城そのものが、魔王の武器になる。
ミルカが顔色を変える。
「これ、城ごと来る」
ガルドが言う。
「斬れるか」
ミルカが即答する。
「無理」
エナが震える。
「来ます」
ロアンは一瞬だけ迷った。
防ぐか。
避けるか。
突っ込むか。
どれも足りない。
一人なら。
ロアンは息を吸い、言った。
「ミルカ、流れを右に」
「右ってどっちの右!」
「魔王から見て右!」
「分かった!」
「ガルド、左を空けて」
「おう」
「エナ、俺が止まったら引いて」
「止まる前に言います」
魔力の奔流が来る。
黒い波が、玉座の間の床ごと押し寄せた。
ミルカが流れの端をずらす。
その魔法は小さい。
奔流全体を止めるには足りない。
だが、ほんの少しだけ角度を変える。
ガルドがその裂け目を広げる。
剣で魔力そのものを斬るのではない。
魔力に押された空気の隙間を切り開く。
ロアンがそこへ入り、剣で受ける。
剣は聖剣ではない。
だが、鍛冶師が命を削って打った剣である。
旅の間、ずっと手に馴染ませた剣である。
魔王の魔力を完全には裂けない。
だが、一瞬だけ受け止める。
刃が軋む。
腕に痛みが走る。
足元の魔法陣が赤く光る。
エナが叫ぶ。
「今、離れて!」
ロアンは剣を引く。
魔力の奔流が空を切り、玉座の柱を砕いた。
黒い石の破片が飛び散る。
四人はまだ生きている。
結界の外で、竜将がうめくように言う。
「なぜ耐える……」
吸血侯が答える。
「耐えているのではない。ずらし、避け、支えている」
死霊宰相は黙っていた。
その目は、今までの記録では説明できないものを見ている。
◆ 届く剣
魔王の魔力が大きく流れた直後、一瞬だけ間が空いた。
普通なら見逃すほど短い。
だが、ガルドは見逃さない。
一歩。
それだけで、魔王の間合いに入る。
魔王の目が初めて、わずかに動いた。
ガルドの剣が走る。
魔王は腕で受ける。
刃は深く入らない。
だが、血が出る。
魔王に、血が出た。
ガルドが言う。
「届くな」
玉座の間の外で、竜将が息を呑んだ。
魔王は、ガルドを見る。
この剣士は名門ではない。
剣聖の称号もない。
構えに華もない。
だが、速い。
歴代勇者の仲間にいた剣士より、なお速い可能性がある。
ガルドは首を傾げる。
「今の、浅かったか」
ミルカが言う。
「浅くていいの! 魔王に傷入れたのよ!」
ガルドは真顔で言う。
「もう少し深く入れたい」
ロアンが言う。
「次に合わせる」
「分かった」
「一人で行かないで」
ガルドは少しだけ笑った。
「お前もな」
結界の外で、竜将がガルドを見ていた。
怒りの中に、剣士としての認識が混じる。
あれは、ただの傭兵の剣ではない。
魔王は腕の傷を見た。
浅い。
だが、届いた。
それは、魔王にとっても見過ごせない事実だった。
◆ 要を射抜く
魔王はガルドを警戒する。
その瞬間、魔法陣の流れが変わった。
ガルドを潰すための魔力が集まる。
ミルカがそれを見る。
大きな魔法では押し返せない。
押し返すだけの魔力量はない。
だから、ミルカは一点だけを狙う。
北の賢者から学んだ基礎。
魔力を広げない。
逃がさない。
細く、深く、要だけを射抜く。
ミルカの魔法は派手ではない。
雷も炎も大きく広がらない。
ただ、小さな光が魔王の術式の接合部を貫く。
魔法陣の一部が乱れた。
魔王の攻撃が半歩遅れる。
その半歩を、ロアンが使う。
ガルドが生き残る。
ミルカの息が荒くなる。
「一回ずつなら、ずらせる。何回もは無理」
ロアンが答える。
「一回ずつでいい」
「簡単に言う」
「お願い」
「言い方でどうにかしようとしない」
そう言いながらも、ミルカは次の術式を見る。
魔王はミルカを見る。
この魔術師は、宮廷魔術師ではない。
格式もない。
圧倒的な魔力量もない。
だが、術式の要を見る目は危険すぎる。
結界の外で、死霊宰相がつぶやく。
「大規模術式を破壊していない。要点だけを抜いている」
吸血侯が言う。
「城内を抜けた時と同じか」
死霊宰相はうなずいた。
「同じ思想です」
ミルカは、その声を聞く余裕などなかった。
ただ、次の要を見る。
壊さない。
ずらす。
通れる隙を作る。
ここまでずっとやってきたことを、今もやる。
相手が魔王になっただけだ。
それが、まったく簡単ではないだけで。
◆ 必要な分だけ
魔王は次に、エナを狙った。
治癒役を落とす。
勇者戦の定石である。
黒い刃が、見えない角度からエナへ向かう。
エナには見えていない。
だが、分かる。
胸が痛む。
次が来る。
自分ではない。
ロアンでもない。
少し遅れて、自分。
エナは一歩下がるのではなく、前へ出た。
ミルカが驚く。
「エナ!」
エナはロアンの腕を引く。
ロアンが半歩ずれる。
黒い刃が、ロアンのいた場所を裂いた。
次の刃がエナへ来る。
ガルドが割り込む。
刃を受ける。
腕が裂ける。
血が飛ぶ。
エナはすぐに触れた。
完全には治せない。
傷を消しきるだけの余裕はない。
だが、剣を握れる程度には戻す。
エナは小さく言う。
「全部は無理です。でも、動けるようにはします」
ガルドがうなずく。
「十分」
「痛いですか」
「痛い」
「すみません」
「動くならいい」
魔王はエナを見る。
この神官は聖女ではない。
中央神殿の認定もない。
大いなる奇跡で全てを癒すわけでもない。
だが、危険を避けるタイミングが異常に早い。
治癒も、奇跡のような大回復ではない。
必要な分だけ。
必要な瞬間に。
それが戦闘を途切れさせない。
結界の外で、竜将が言う。
「癒し手を狙われても崩れぬのか」
吸血侯は答えない。
ただ、エナの動きを見ている。
予知という言葉にはまだ至らない。
神託という言葉にも至らない。
だが、ただの勘ではないことは分かる。
エナは震えながら、次を見る。
怖い。
今すぐ逃げたい。
けれど、逃げた方がいい感じではない。
まだ、帰れる。
たぶん、まだ帰れる。
だから、動く。
※第35話「ここまで来たからだ」は全五回です。
続きます。
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