(一)見届ける者たち
◆ 見届ける者たち
玉座の間には、魔王だけがいたわけではなかった。
死霊宰相。
竜将。
吸血侯。
近衛たち。
魔王軍の対勇者戦略を積み上げてきた者たちが、玉座の間の左右に控えている。
彼らはすでに武器を取っていた。
竜将は、今にも前に出そうだった。
吸血侯の影は床を這っている。
死霊宰相の杖には、黒ずんだ魔力が集まっていた。
ロアンたちは、四人とも傷だらけだった。
ここまで来るだけでも限界に近い。
排水路を通り、結界をずらし、壁を抜け、追撃を避けてきた。
息は荒い。
腕は重い。
足は震えている。
もし魔王だけでなく、この者たちまで同時に動けば、勝ち目はない。
ミルカはそれを理解している。
ガルドも分かっている。
エナは、胸の奥に嫌な痛みを感じている。
ロアンは剣を握り直した。
その剣は、もう何度も魔力を受け、刃に小さな傷が入っている。
折れてはいない。
でも、余裕があるわけでもない。
竜将が一歩前に出かけた。
その瞬間、魔王が片手を上げる。
「手を出すな」
玉座の間の空気が止まった。
竜将が顔を上げる。
「陛下」
魔王はロアンたちを見たまま言う。
「これは、対勇者戦略の結論だ」
死霊宰相が黙る。
吸血侯の影も止まる。
魔王は続けた。
「勇者の条件を持たぬ者たちが、ここまで来た。ならば見ろ。殺すためではない。知るためにだ」
竜将は歯を食いしばった。
「なぜ、ここまで!」
その声には怒りがあった。
だが、それだけではない。
理解できないものへの苛立ちが混じっていた。
なぜ天空要塞は落ちていない。
なぜ転移門も破られていない。
なぜ大軍も来ていない。
なぜ勇者の血筋もない。
なぜ神託もない。
なぜ聖剣も聖痕もない。
それなのに、なぜここまで来た。
魔王は答えない。
ただ、玉座の前で完全に立ち上がる。
「手を出せば、分からぬまま終わる」
魔王の足元から、黒い魔法陣が広がった。
床を走り、柱を伝い、玉座の間を囲むように結界が立ち上がる。
ロアンたちと魔王を中心に、薄い黒の膜が張られた。
竜将が一歩踏み出す。
「陛下!」
結界が竜将を阻む。
魔王は振り返らない。
「見ろ」
その一言で、対勇者戦略を作ってきた者たちは結界の外に残された。
戦うためではない。
殺すためでもない。
魔王が何を見落としたのかを、見届けるために。
ロアンは結界の外を一瞬だけ見た。
敵ばかりだ。
だが、今は入ってこない。
魔王が止めている。
それが救いなのか、さらに恐ろしいことなのか、ロアンには分からなかった。
◆ 魔王が立つ
結界の内側で、魔王が立つ。
それだけで、玉座の間の空気が変わった。
床の魔法陣が淡く光る。
黒い柱の灯りが揺れる。
重い魔力が、目に見えない水のように足元へ満ちていく。
ロアンは剣を抜いた。
ミルカは杖を構える。
エナは小さく息を整える。
ガルドは一歩前に出る。
魔王が言う。
「ならば、証明してみせろ。条件なき者たちよ」
ロアンは、その言葉に少しだけ違和感を覚えた。
証明。
そんなものをしに来たわけではない。
勇者であることを示しに来たわけでもない。
正しさを見せに来たわけでもない。
ただ、ここまで来た。
そして、ここで止まるわけにはいかない。
ロアンは仲間を見る。
ミルカの額には汗がにじんでいる。
エナの手は震えている。
ガルドの顔からは、いつもの軽さが消えている。
それでも、三人ともそこにいる。
ロアンは言った。
「散らない。離れすぎない。いつも通りで」
ミルカが顔をしかめる。
「いつも通りで魔王と戦うの、だいぶおかしいから」
ガルドが言う。
「でも、それ以外にできることもないだろ」
エナが小さくうなずいた。
「大丈夫。たぶん、まだ帰れます」
ロアンは短く答える。
「じゃあ、帰ろう」
その言葉を合図に、魔王が動いた。
◆ 第一撃
魔王の初撃は、剣でも爪でもなかった。
玉座の間そのものが動いたように見えた。
床の魔法陣が黒く光る。
四方から魔力の波が押し寄せる。
壁から。
床から。
柱の影から。
空気の隙間から。
逃げ場がない。
ロアンは前へ出ようとして、即座に足を止めた。
進めば飲まれる。
下がれば分断される。
どうする。
考えるより先に、エナの声が飛んだ。
「下がらないで!」
ロアンは足を止めたまま、剣を構える。
ミルカが杖を振る。
大きな魔法ではない。
魔力の波の一点を細く突き、流れをずらす。
波が裂ける。
ほんの少し。
人ひとりが立てるほどの裂け目。
ガルドが、その裂け目に体を滑り込ませた。
魔王へ届くには遠い。
だが、仲間へ向かう魔力の刃を斬り落とすには十分だった。
黒い刃が砕ける。
衝撃でガルドの足が床を削る。
ロアンは思った。
一人なら、最初の一撃で終わっていた。
自分一人なら、進むか下がるかを選ぶ間に飲まれていた。
ミルカ一人なら、波を逸らしても次に押し潰されていた。
エナ一人なら、危険を感じても避けきれなかった。
ガルド一人なら、前へ出すぎて分断されていた。
だが、四人ならまだ立っている。
ロアンは叫ぶ。
「この間合いを保つ!」
ミルカが答える。
「簡単に言わない!」
「簡単じゃないから、お願い!」
「言い方!」
エナがロアンの袖を軽く引く。
「右、少しだけ」
ロアンは理由を聞かずに動く。
直後、さっきまで立っていた場所から黒い槍が突き上がった。
ガルドが低く言う。
「見えない槍は、嫌だな」
ミルカが息を切らしながら返す。
「見える槍も嫌よ」
「たしかに」
結界の外で、竜将が拳を握る。
吸血侯は黙って見ている。
死霊宰相は、戦闘の流れを記録するように視線を動かしている。
彼らもまた、理解し始めていた。
この四人は、一人ずつなら魔王に届かない。
だが、四人で崩れない。
※第35話「ここまで来たからだ」は全五回です。
続きます。
作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。
※ネタバレ範囲にご注意ください。
https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/




