(六)黒い扉
◆ 魔王城の反応
壁を抜いたことで、警報は強くなった。
城内の遠くで鐘が鳴る。
魔物の声。
兵の足音。
魔術結界の震え。
黒い石の床が、低く震えている。
ロアンが言う。
「ここからは隠れられない」
ガルドが笑った。
「ようやく分かりやすいな」
ミルカが言う。
「分かりやすくなっただけで、楽になったわけじゃない」
「さっきも聞いた」
「何度でも言う」
エナが小さく言った。
「急いだ方がいいです。たぶん、向こうも気づいた」
ロアンは頷く。
「寄り道しない。魔王のところまで行く」
前方に近衛兵が現れた。
黒い鎧。
長い槍。
目に魔力の光。
ガルドが剣を構える。
「強そうなのがいる」
ロアンが言う。
「全部倒さなくていい。通れればいい」
「止めるだけでいいのか」
「できる?」
ガルドは、少し笑った。
「たぶん」
ミルカが横から結界を薄くする。
エナが倒れそうな近衛兵の落下先を見ている。
ロアンが、近衛の動きに合わせて声をかける。
「右。次、下。今」
ガルドが動く。
一体目の剣が宙を舞う。
二体目の膝が折れる。
三体目の盾が弾かれ、壁へ打ちつけられる。
殺してはいない。
だが、道は開いた。
ロアンは、倒れた近衛兵へ一瞬だけ目を向けた。
「悪い。通る」
そして、先へ進んだ。
◆ 中枢へ
ロアンたちは、宝物庫には向かわなかった。
兵舎も焼かない。
捕虜牢にも寄らない。
補給庫も壊さない。
目的はただ一つ。
魔王のいる中枢へ向かうこと。
ガルドが横目で大きな扉を見る。
「今の扉、宝物庫っぽかったな」
ミルカが言う。
「見ない」
「見た」
「忘れて」
「分かった」
ロアンは走りながら言った。
「寄らないよ」
ガルドは頷く。
「分かっている。言っただけだ」
エナが小さく言う。
「牢の方から、声がした気がします」
ロアンの足が一瞬止まりかける。
ミルカが言った。
「今は止まれない」
エナは唇を結び、それから頷いた。
「はい」
ロアンも頷いた。
胸が痛む。
だが、ここで目的を変えたら、全員戻れなくなる。
魔王のところへ行く。
それが今、いちばん多くを変えられる道だ。
ミルカが魔力の流れを読む。
「強い流れはあっち。たぶん玉座区画」
ロアンが言う。
「こっちの細い通路は?」
「補修用。狭いけど、正規通路より人が少ない」
ガルドが肩をすぼめる。
「また狭い」
ロアンは少し笑った。
「ここまで来たら、狭い道の方が安心するな」
ミルカが言う。
「それは危険な慣れ」
「分かってる」
エナが背後を見る。
「追ってきています。でも、少し遅れています」
ミルカが頷く。
「転移で先回りされていない。やっぱり修理中の影響がある」
ロアンは短く言った。
「今のうちに進む」
城の中は、警報で満ち始めている。
だが、まだ全てが揃ってはいない。
魔王軍は速い。
強い。
だが、広域の転移網を失ってから、即応は鈍っていた。
そのわずかな遅れを、四人は走った。
◆ 玉座区画の手前
魔王城の奥。
空気が変わった。
魔力が濃い。
壁の黒い石に、鈍い光が走っている。
遠くで、大きな扉の閉じる音がした。
玉座区画。
魔王城の最深部。
黒い扉。
近衛隊。
魔術防壁。
魔物の咆哮。
そこを抜ければ、玉座の間がある。
エナが、ロアンの袖をつかんだ。
「この先、戻れないかも」
ガルドが言う。
「なら、ここまでは戻れるってことだ」
ミルカが睨む。
「その言い方、どうなの」
ガルドは肩をすくめた。
「前向きだろ」
ロアンは少しだけ笑った。
「そういう考え方、嫌いじゃない」
魔術防壁が行く手を塞いでいる。
ミルカが見上げる。
「これは、壊すと全部にばれる」
ガルドが周囲を見た。
「もう全部にばれてる」
「だから、もっとばれる」
エナが、扉の横ではなく、床を見た。
「そこじゃない。下」
ロアンが聞く。
「下?」
「床の下、何か通ってます」
ロアンは膝をついた。
冷たい石に手を当てる。
耳を澄ます。
遠くで、低い音がした。
空気が流れている。
排気路。
魔力管。
古い通路。
何かが、下にある。
ロアンはミルカを見る。
「通れる?」
ミルカは顔をしかめた。
「通りたくはない」
「通れるかどうか」
「……通れる」
ガルドが笑う。
「じゃあ通るか」
「本当に雑」
ロアンが言う。
「でも早い」
ミルカは額に手を当てた。
「その言い方、移った?」
エナが奥を見た。
「急いで。たぶん、来ます」
近衛隊の足音が近づいていた。
ロアンは頷く。
「行く。ここで止まらない」
◆ 最終防衛線
最終防衛線の近衛隊は、強かった。
外縁兵とも、内郭兵とも違う。
魔王に近い場所を守るための兵である。
鎧には黒い刻印が入り、武器には魔力が通っている。
獣のような魔物もいた。
巨大な顎。
赤い目。
石の床を削る爪。
灰の一団は、正面からぶつからない。
ミルカが、防壁の要を細く抜く。
エナが、崩れそうな床を見つける。
ガルドが、近衛の間合いへ入っては抜ける。
ロアンが、全体の位置を見て声を出す。
「左、下がって」
「今、右」
「一体だけ止める」
「そこは行かない」
命令ではない。
怒鳴り声でもない。
だが、四人はその声で動いた。
魔物の一体が突進する。
エナが、息を呑む。
「だめ、正面」
ロアンは一歩ずれた。
魔物の角が、壁を砕く。
ガルドが、その横を通って足を打つ。
魔物が倒れる。
死んではいない。
だが、起き上がるまで時間がかかる。
ミルカが床の刻印を切る。
黒い光が一瞬だけ消える。
「今」
四人は、防壁の隙間を抜けた。
背後で、防壁が戻る。
追ってきた近衛隊が足止めされる。
近衛隊長の声が響いた。
「最終防衛線、突破された!」
ロアンは振り返らない。
突破ではない。
通っただけだ。
だが、向こうから見れば同じことだった。
前には黒い扉がある。
玉座の間の前。
ここまで来た。
まだ終わっていない。
◆ 黒い扉
玉座の間の前。
黒い扉が、重く閉じている。
灰色の外套をまとった四人は、その前に立った。
ロアンは扉を見上げた。
ミルカが扉の術式を見て、小さく息を吐く。
「これは、開けるより待った方が早いかも」
ガルドが首をかしげた。
「向こうが開けてくれるのか」
エナが、扉の向こうを見ている。
見えているわけではない。
それでも、彼女は静かに言った。
「います」
ロアンは頷いた。
「じゃあ、待つ」
ミルカが呆れる。
「ここまで来て?」
ロアンは扉を見たまま答えた。
「ここまで来たから」
「どういうこと」
「向こうも、こっちを見ると思う」
ガルドが笑う。
「変な信用だな」
「たぶん、そういう相手だ」
遠くで、警報の鐘が鳴っている。
背後には追手。
前には扉。
普通なら、急いで開ける場面だった。
壊す場面だった。
けれど、ロアンは待った。
ここまで、壊さずに来た。
門を破らず、転移を使わず、結界を壊さず、必要なところだけをずらしてきた。
最後の扉だけを無理に壊せば、それは今までの進み方と違う。
ミルカが小さく言う。
「本当に開かなかったら?」
ロアンは答える。
「その時は、考える」
「雑」
「でも、今は待つ方がいいと思う」
エナが袖を握る手に少し力を込めた。
「私も、待つ方がいい気がします」
ガルドは剣を構えたまま、扉を見た。
「では待つ」
その言葉が終わる前に、黒い扉の向こうで、重い音がした。
鍵が外れる。
結界が緩む。
扉が、ゆっくりと開く。
玉座の間。
黒い床。
高い天井。
壁に灯る暗い炎。
奥に、魔王がいた。
ロアンは息を吸った。
ここまで来た。
そして今、扉が開いた。
◆ 魔王城へ
魔王城への道は、開いていたわけではなかった。
門は閉じていた。
橋は見張られていた。
結界は生きていた。
天空要塞も無傷だった。
転移ゲートも、彼らのために口を開けていたわけではない。
ただ、魔王軍はすべてを同時には守れなかった。
深海を直さねばならなかった。
深森を取り戻さねばならなかった。
火山の外郭を立て直さねばならなかった。
壊れた転移ゲート網を修理せねばならなかった。
だから魔王城は警戒していたが、全軍を集めてはいなかった。
灰の一団は、そこへ向かった。
門を破らず。
転移を使わず。
旗を掲げず。
排水路を抜け、補修跡を読み、結界の要をずらし、壁の薄いところを通った。
それは、勇者の道ではなかった。
軍の道でもなかった。
けれど、道だった。
誰かが作った排水路。
誰かが残した補修記録。
誰かが逃げ延びて伝えた作業場の記憶。
誰かが見つけた岩棚。
それらをつなげば、魔王城の中へ入る道になった。
魔王城は落ちていない。
だが、四人は中にいた。
黒い扉は開いた。
次に進む先に、魔王がいる。
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