(一)天空要塞の意味
◆ 次は空か
火山拠点は落ちた。
黒い谷には、まだ泥と水が残っている。
火山の熱に触れて、白い湯気が上がっていた。
各国軍は勝った。
だが、勝った軍の姿は重かった。
深海で船を失った。
深森で兵を迷わせた。
火山では水と泥の中を進んだ。
負傷者は多い。
補給も薄い。
火山拠点を保持するだけでも、もう手一杯に近かった。
それでも、戦いは終わらない。
古い勇者文献を持つ神官が、次の記述を読み上げた。
「勇者は空の砦を落とし、魔王城への道を開いた」
兵士たちが空を見上げる。
遠く、高山の峰に黒い要塞が見えた。
雲よりも高い場所にあるように見える。
切り立った山の上に、黒い壁と塔が乗っていた。
それが、天空要塞だった。
ガルドが言う。
「空に浮いているわけじゃないんだな」
ミルカが答える。
「高すぎて、そう見えるだけ」
「では、天空ではなく高山要塞か」
「名前としては、天空要塞の方が強そう」
「確かに」
ロアンは山の稜線を見た。
天空要塞は、魔王城へ向かう北側山岳路を見下ろしている。
空からではなく、高みから。
だが、見られている感覚はあった。
エナも同じ方向を見て、小さく言う。
「見られている感じがします」
ミルカは火山拠点から押収した資料をめくった。
「実際、見ているんだと思う。火鏡塔、夜目の鴉、鳥型魔物、山岳斥候。監視用の記録が多い」
ガルドが眉をひそめる。
「鴉までいるのか」
「夜目の鴉。夜間巡回に使う魔物らしい」
「見つけたら斬ればいいか」
「斬ったら見つかったと知らせるようなもの」
「斬らない方がいい鳥か」
「今回は、だいたいそう」
ロアンは、遠くの要塞を見た。
「次は、あれを落とすのか」
指揮官は苦い顔をした。
「落とせるなら、そうしたい」
言葉に力はなかった。
各国軍には、もう天空要塞を攻略する余力がない。
ロアンにも、それは分かった。
深海、深森、火山。
どれも、灰の一団だけで勝ったわけではない。
海を知る人たち。
森の歌。
職人。
水番。
石工。
工兵。
軍。
土地の人たち。
いくつもの力をつないで、ようやく拠点を落としてきた。
ここでさらに、高山要塞を正面から攻略する。
それは、あまりに重い。
エナが空を見上げたまま言う。
「あそこへ行くの、嫌な感じがします」
ガルドが頷いた。
「高いところは、落ちる」
ミルカが言う。
「問題はそこだけじゃない」
ロアンは地図に目を落とした。
天空要塞。
魔王城。
北側山岳路。
大軍が進める道。
見下ろす黒い砦。
ロアンは、少し黙った。
それから言う。
「落とす必要があるのか、考えたいです」
天幕の中が静かになった。
◆ 天空要塞の意味
軍議が開かれた。
地図の上には、魔王城へ向かう山岳地帯が示されている。
南側は絶壁。
東西は深い谷と毒沼。
大軍が進める道は、北側の山岳路だけ。
その道を見下ろしているのが、天空要塞だった。
軍の参謀が言う。
「過去の勇者は、必ず天空要塞を攻略しています」
ロアンは聞いた。
「なぜですか」
参謀は地図の黒い印を指した。
「要塞を残したまま魔王城へ近づけば、進路が知られます。人数も、負傷者の有無も、補給の状態も知られる。背後から追撃される。魔王城へ警告が届く。軍が進むなら、無視できません」
ミルカが頷く。
「つまり、軍の道を開くためには落とす必要がある」
「そうです」
ガルドが腕を組む。
「背中に敵を残すことになるぞ」
ロアンも頷いた。
「見つかれば、そうなる」
神官が眉をひそめる。
「見つからずに魔王城へ向かうというのですか」
ロアンは地図を見た。
「大軍を通すなら、要塞を落とさないといけない。でも、少人数が魔王城へ向かうだけなら、落とさない道もあるんじゃないかと思って」
場が静かになった。
指揮官がロアンを見る。
「軍が進むなら、無視できない。だが、軍が進まないなら、か」
ミルカが補足する。
「今の軍は、天空要塞を落としてもすぐには魔王城へ進めません。兵も補給も足りない。要塞攻略でさらに消耗します」
神官は反論した。
「しかし、勇者の道筋では、天空要塞を攻略しています」
ロアンは少し困ったように言った。
「俺たちは、勇者じゃありません」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
ロアンは続ける。
「勇者なら、天空要塞を落として、後ろの軍のために道を開くのかもしれない。後世の記録に残るような勝ち方をするのかもしれない。でも、俺たちはそういう役目で来たわけじゃない」
エナが静かに言う。
「落とさない方が、誰かが死なずに済むかもしれません」
ガルドは地図を見ている。
「要塞を落とさなければ、勝ちには見えないな」
ミルカが言った。
「勝ちに見えなくていい」
ガルドは少し考え、頷いた。
「なら、いいか」
ロアンは指揮官を見た。
「俺たちが行く。道を開くんじゃなくて、道を探す」
指揮官はしばらく黙った。
それから言う。
「成功しても、軍はすぐには続けんぞ」
「分かっています」
「失敗すれば、助けにも行けん」
「それも、分かっています」
「要塞に見つかれば、魔王城へ警告が飛ぶ」
「見つからないようにします」
ガルドが横から言った。
「簡単に言ったな」
ロアンは苦笑した。
「簡単ではないけど、言わないと始まらない」
ミルカが地図を畳みかける。
「要塞に勝つんじゃない。要塞に用がないふりをする」
ロアンは頷いた。
「そう。要塞を攻めない。要塞へ向かわない。軍の動きに見せない」
指揮官は深く息を吐いた。
「なら、これは軍の正規作戦ではない」
ロアンは黙って聞いた。
指揮官は続ける。
「灰の一団の遊撃行動として扱う。軍は火山拠点の保持と負傷者の処置を優先する」
神官が何か言いかけたが、指揮官は首を横に振った。
「今の軍には、天空要塞を落とす力はない。なら、選べる者に選ばせる」
エナは空を見た。
ミルカは地図を見た。
ガルドは剣を確かめた。
ロアンは静かに頷いた。
「行きます」
※第32話「空の目を避けて」は全六回です。
続きます。
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