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勇者の条件  作者: KEI
第31話 水の精霊王は来ない

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(六)空の目

◆ 水番の末裔


作戦後、水番の末裔は壊れた堤の前に立っていた。


堤はもう使えない。


今回のために補強し、今回のために切った。


完全な復旧ではない。


一度だけ、正しい方向へ壊すための修復だった。


水番の末裔は静かに言った。


「役目を終えたんだな」


ロアンは少し考えてから答えた。


「終わったんじゃなくて、残ったんだと思います」


水番の末裔がロアンを見る。


「残った?」


「水路の記録も、堤の場所も、切り方も。全部、誰かが覚えていたから使えました」


ミルカが続ける。


「完全に同じものは戻せなくても、記録があれば、次に何かを作れます」


水番の末裔は古い板帳を抱えていた。


迷っているようだった。


軍の記録係が近づく。


「その記録を、王国と各国の工兵にも写させてもらえないだろうか」


水番の末裔は板帳を見た。


「持っていくのか」


ロアンがすぐに言った。


「原本は村に残した方がいいと思います」


記録係が頷く。


「写しで構わない。原本は村へ」


水番の末裔は、少し安心したように息を吐いた。


「なら、写せ」


エナは微笑んだ。


「また使うためですね」


水番の末裔は山を見た。


「できれば、二度と切りたくない」


ミルカが言う。


「切らないための記録にもなります」


「そうか」


ガルドが真面目に言った。


「壊すために直したが、次は守るために直せる」


水番の末裔はガルドを見て、少し笑った。


「若いのに、変なことを言うな」


ミルカが小さく言う。


「たまに良いことを言います」


ガルドは頷く。


「今日は多めか」


ロアンが笑った。


「多めだと思う」


水番の末裔は、古い板帳を記録係へ渡した。


ただし、手を離す前に言った。


「写すだけだ。持っていくな」


記録係は深く頷いた。


「約束する」


ここでも、知識は奪われなかった。


残され、写され、共有された。


土地の記憶は、土地に残る。


それを必要な人たちが、写して持っていく。


灰の一団は、またその間をつないだ。


◆ 空の目


火山拠点は落ちた。


深海。


深森。


火山。


主要な地上拠点が、次々に崩れていく。


だが、まだ大きな問題が残っていた。


空である。


火山拠点から押収された資料には、天空要塞に関する記録があった。


空から広域を監視する、魔王軍の要塞。


地上拠点の位置。


補給路。


部隊の移動。


それらを空から見下ろしている。


文献では、勇者は天空要塞を攻略したとされていた。


そのため、各国軍の一部は次の標的を天空要塞だと考えた。


「次は空だ」


「空を落とせば、魔王軍の目を潰せる」


「文献でも勇者は天空要塞を攻略している」


しかし、火山拠点攻略で各国軍は疲弊している。


兵站も薄い。


工兵も魔術師も負傷者も多い。


空を飛ぶ要塞を攻略する余力はなかった。


ミルカが資料を見て言った。


「正面から落とすのは無理」


ガルドが空を見上げる。


「届かない相手は斬れないな」


ロアンも空を見た。


雲の向こうに何かがあるような気がする。


見られている。


そう思うと、背中が少し冷えた。


エナが小さく言った。


「でも、見られている気がします」


ロアンは考える。


天空要塞を落とさなければ進めないのか。


それとも、見つからずに進む道があるのか。


勇者の物語なら、次は空を落とすのだろう。


でも、灰の一団は勇者ではない。


ロアンは、まだ空を見上げていた。


「落とせないなら、避ける道を探す」


ミルカが頷く。


「空の目を避ける方法ね」


ガルドが言う。


「見られなければ斬られない」


「斬る話から離れよう」


エナは空を見て、少し不安そうに言った。


「見られない道、あるんでしょうか」


ロアンは答えた。


「まず、空を見て暮らしている人に聞こう」


ミルカが少し笑う。


「次は、空の人?」


ガルドが真面目に言う。


「鳥か」


「人に聞こう」


エナが小さく笑った。


火山の熱風が、灰色の外套を揺らす。


水の精霊王は来なかった。


導きの石は作り直した。


人魚はいなかった。


それでも道は開いた。


なら、空にもきっと道はある。


見上げるだけでは届かない。


けれど、見つからずに進む道ならあるかもしれない。


灰の一団は、次の問題へ向かった。


◆ 水の精霊王は来ない


水の精霊王は来なかった。


火山の上に現れた大精霊はいなかった。


祈りに応じて、炎の砦を沈めた神秘の王もいなかった。


あったのは、古い堤だった。


雨季の水を溜めるための堤。


火山灰を抑えるための水路。


村を守るための記録。


堤を切る時に鳴らす鐘。


下流を空けるという約束。


それらを、火山の麓の人々が覚えていた。


堤は壊れていた。


水路は埋まっていた。


記録は古びていた。


それでも、完全には失われていなかった。


石工が積み直した。


工兵が掘り返した。


水番の末裔が流れを読んだ。


ミルカが水圧と蒸気を見た。


エナが時を待った。


ガルドが狭い岩道を守った。


ロアンが戻る道を残した。


そして、水は流れた。


黒い谷を走る水は、下から見れば王のようだった。


白い蒸気をまとい、火山灰を抱え、炎の砦を沈めた。


だから、後の者はそう呼んだのかもしれない。


水の精霊王、と。


だが、そこにいた者たちは知っている。


水を流したのは、精霊王ではない。


昔の人間が山に残した水だった。


その水を、今の人間がもう一度通したのだった。


火山拠点は落ちた。


けれど、空にはまだ目があった。


見下ろす要塞。


届かない砦。


勇者の物語なら、次は空を落とすのだろう。


だが、灰の一団は勇者ではない。


だから彼らは、別の道を探す。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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