表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の条件  作者: KEI
第31話 水の精霊王は来ない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
171/224

(五)水は王のように

◆ 堤を切る


作戦当日。


空は灰色だった。


山から熱い風が吹く。


火山拠点の外郭では、各国軍が正面に圧をかけている。


魔王軍は乾いた谷に兵を配置した。


そこで迎え撃つつもりでいる。


山腹では、ロアンたちが堤の最後の固定を外す準備をしていた。


水番の末裔が、古い印を見る。


その手が震えている。


「本当に切るのか」


ロアンは静かに聞いた。


「切った後、止められますか」


水番の末裔は首を横に振った。


「止められない」


「なら、全員が下がってからです」


エナは山の下を見ていた。


「まだです」


誰も急かさなかった。


ミルカは水路を確認する。


「黒い谷へ向いている。でも、最初の流れは少し暴れる」


ガルドは岩道の下を見る。


「魔物が寄ってきたら止める」


ロアンは頷く。


「お願いします」


遠くで、角笛が鳴った。


一つ。


二つ。


三つ。


下流の避難完了を知らせる合図。


エナが息を吐く。


「今なら」


ミルカも頷く。


「水路は黒い谷へ向いてる」


ロアンは水番の末裔を見る。


「切ってください」


水番の末裔は、古い栓に手をかけた。


石工が支えを落とす。


工兵が最後の土嚢を切る。


最初は細い流れだった。


水が、割れ目から滑るように出る。


次に、堤の一部が崩れた。


低い音が、山の腹に響く。


水が動いた。


濁った水が、黒い谷へ走り始める。


水番の末裔は、呆然とそれを見ていた。


「まだ、流れるのか」


ロアンは答えた。


「残っていました」


ミルカが言う。


「下がって。ここも危ない」


全員が後退する。


水は細い流れから太い流れへ変わり、火山灰を巻き込み、石を抱え、黒い谷へ落ちていった。


◆ 水は王のように


水はただの水ではなかった。


火山灰を巻き込み、砂礫を抱え、黒い谷を下る。


熱い岩に触れ、蒸気を上げる。


白い霧が立ち上がる。


轟音が火山の腹に響いた。


下から見れば、それは巨大な白い獣のようにも、腕を広げた水の王のようにも見えた。


火山拠点の外郭にいた兵の一人が叫ぶ。


「水の精霊王だ!」


別の兵も声を上げる。


「文献の通りだ!」


ミルカは山腹からそれを見て、小さく言った。


「違う」


ロアンも言う。


「堤の水だ」


だが、そう見える理由は分かった。


黒い谷を満たした水と泥は、魔王軍の防衛線を崩していく。


乾いた沢に築かれていた柵が流される。


火山灰の斜面が崩れる。


落石用の足場が沈む。


熱風の通り道に蒸気が満ちる。


魔王軍の外郭防衛線が乱れた。


ガルドが低く言う。


「水は強いな」


ミルカが答える。


「だから怖い」


エナは谷を見下ろしている。


「まだ、近づかない方がいいです」


ロアンは頷く。


「第一波は待つ」


下では、兵士たちが今にも前へ出そうになっていた。


指揮官が怒鳴る。


「待て! まだだ!」


水と石と泥が暴れている。


そこへ入れば、敵味方なく飲まれる。


水は味方ではない。


道を作って、時を選んで、ようやく使える。


ロアンは谷を見つめた。


水の精霊王は来なかった。


けれど、文献を書いた者がそれを王と呼びたくなる気持ちは、少し分かった。


◆ 突入


第一波は待った。


水と石が暴れ、谷を削る。


火山灰が流れ、黒い泥が柵を押し倒す。


魔王軍の防衛線は崩れ始めていたが、近づける状態ではなかった。


第二波で、泥と蒸気が広がる。


視界が白くなった。


兵士たちが焦る。


「今か?」


「見えないぞ」


「敵も混乱している」


ロアンは手を上げて止める。


「まだです」


ミルカが風を見る。


「まだ」


ガルドは剣を握っている。


動きたそうだが、動かない。


エナは目を閉じた。


胸の奥の冷えを感じ取っている。


「もう少し」


ロアンはその声を待った。


今まで何度もそうしてきた。


橋。


森。


海。


船。


エナが止める時は、止まる。


少し待つ。


ただそれだけで、変えられることがある。


やがて、蒸気が一瞬だけ薄くなった。


風が切れた。


谷の向こうに、崩れた柵と岩場の隙間が見える。


エナが目を開く。


「今です」


ミルカが続ける。


「風が切れた。行ける」


ロアンは号令を出した。


「進め!」


多国籍軍の軽装兵と工兵が突入する。


重装兵は後ろで支える。


魔術師が視界を確保し、神官が負傷者の退避路を守る。


灰の一団は先頭に近い位置で道を開いた。


ガルドは泥に足を取られた兵を庇いながら、岩場に残った魔物を斬る。


「大盾を捨てろ! 戻れなくなる!」


兵士が盾を手放す。


その直後、泥が盾を飲み込んだ。


兵士の顔が青ざめる。


「助かった!」


ミルカは足場が崩れそうな場所を小さな魔法で固める。


「ここ、踏んで。右は崩れる」


エナは負傷者を尾根側へ誘導する。


「黒い谷へ戻らないでください。尾根側です。こちらへ」


ロアンは撤退路を確認しながら前へ進む。


「進む部隊は谷沿い。負傷者は尾根側。合図が鳴ったら全員引く準備!」


火山拠点の外郭は崩れていった。


水が道を開いた。


人が、その道を使った。


◆ 炎の砦


外郭が崩れたことで、火山拠点の防衛線は機能しなくなった。


主力は各国軍が担った。


灰の一団は、堤を使う作戦を通し、突入路を開いた。


拠点内部では、工兵が魔法陣を破壊する。


兵士が補給庫を押さえる。


神官が負傷者を運ぶ。


魔術師が熱を遮る結界を張る。


魔王軍は撤退していった。


黒い谷にはまだ泥と水が流れている。


火山の熱で、湯気が立っている。


火山拠点の外郭は、確かに沈んでいた。


神官の一人が呟いた。


「文献は、間違っていなかったのかもしれません」


ミルカが答える。


「見たものを、そう書いたんでしょうね」


ロアンも谷を見た。


「水の精霊王は来なかった。でも、あの水を残した人たちはいた」


エナがうなずく。


「見えないところで、助けてくれたんですね」


ガルドが言う。


「昔の人間は強いな」


水番の末裔は、壊れた堤の方を見ていた。


その顔には、悲しさと安堵が混じっている。


長い間、使われなかった堤。


忘れられていた水路。


それが最後に、役目を果たした。


指揮官がロアンたちへ言った。


「火山拠点は落ちた。だが、君たちだけで落としたわけではない」


ロアンは頷いた。


「はい」


「それでいいのか」


「はい。道を開けられたなら、それで」


ミルカが言う。


「全部自分たちでやろうとしたら、たぶん失敗していました」


ガルドが頷く。


「水は斬れない」


エナが言う。


「でも、流すことはできました」


ロアンは谷を見た。


水は、まだゆっくり流れている。


王のように見えた水。


精霊のように語られた水。


けれどそれは、昔の人間が山に残した水だった。


そして今の人間が、もう一度通した水だった。



※第31話「水の精霊王は来ない」は全六回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ