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勇者の条件  作者: KEI
第31話 水の精霊王は来ない

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(二)古い堤

◆ 水番の記録


水番の家は、村の端にあった。


石垣の上に建てられた古い家で、壁には黒い灰が染み込んでいる。


家の奥に、板帳と石板が残っていた。


今の当主は、もう水番ではない。


だが、水番の末裔として、古い記録を守っていた。


「読めるものは少ない」


水番の末裔は、そう言って板帳を開いた。


板は古び、文字はところどころ薄れている。


それでも、いくつかの記録は読めた。


雨季に水を溜める。


火山灰が流れすぎないように調整する。


水門を開ける時刻を決める。


赤い沢には近づかない。


黒い谷へ水を流す時は、下流を空ける。


堤を切る時は、三度鐘を鳴らす。


堤の下には避難してはいけない。


ロアンは板帳を見た。


「水の精霊王じゃなくて、堤の水?」


ミルカは記録を読んでいる。


「文献を書いた人が見たのは、山から落ちてくる大量の水だったのかもしれない」


ガルドが首をかしげる。


「水なら、水だろう」


ミルカは首を振る。


「火山灰と混じると、水だけじゃない。泥、石、熱、蒸気も一緒に来る」


エナが小さく言った。


「それ、人が近くにいたら助からないですね」


ロアンは頷いた。


「だから、先に退かせる必要がある」


水番の末裔が古い石板を出した。


そこには、簡単な線が刻まれている。


村。


沢。


黒い谷。


山腹のくぼ地。


堤。


水路。


ロアンは地図と見比べた。


「この黒い谷、火山拠点の外郭の下を通ってる」


ミルカが頷く。


「だから、文献では砦が沈んだ」


「火山の上に、水を溜める場所がある?」


「あるなら、見に行く必要がある」


ガルドが聞く。


「堤はまだ使えるのか」


水番の末裔は首を振る。


「分からない。もう何十年もまともに見ていない。水路も埋まっているはずだ」


エナが言う。


「誰も見に行かないんですか」


「昔は水番が行った。今は山の上まで行く者がいない。危ないし、役目も失われた」


ミルカは板帳をさらに読む。


「堤を切る時は、三度鐘を鳴らす……」


ロアンが聞く。


「切るための堤なんですか」


「普段は水を止める。でも、危ない時は流す」


水番の末裔は答えた。


「水を溜めすぎると、勝手に崩れる。だから、切る場所と時を決めて、流す」


ガルドが腕を組む。


「壊す場所を決めて壊すのか」


ロアンは頷いた。


「戻る場所を決めて進むのと似てるな」


ミルカが少し笑った。


「何でも戻るに寄せる」


「でも似てるだろ」


「似てる」


エナは山の方を見た。


「見に行きましょう」


ロアンは頷く。


「行こう。堤が残っているか確かめる」


水番の末裔は、しばらく黙った。


それから、古い鍵を手に取った。


「案内する。私の家の役目だったものだからな」


◆ 古い堤


山腹へ向かう道は険しかった。


熱い風が吹く。


岩の裂け目から蒸気が漏れている。


足元の石は黒く、ところどころ赤茶けている。


古い水路は、山肌に沿って残っていた。


ただし、ほとんどが埋まっている。


火山灰。


崩れた岩。


枯れ枝。


泥。


かつて水が通った跡だけが、地形としてわずかに分かる。


工兵の一人が言った。


「これを使うのか」


ミルカは水路を見下ろす。


「そのままでは無理」


ガルドが聞く。


「斬って通せるか」


「水路は斬るものじゃない」


「岩なら斬れるかもしれない」


「斬らないで。崩れる」


ガルドは少し残念そうに手を離した。


「崩れるならやめる」


「賢い」


「最近、賢いと言われる」


ロアンが言う。


「多分、止まる判断が増えたからだ」


「止まると賢いのか」


ミルカが答える。


「少なくとも、危険な時に止まれる人は賢い」


「なら俺は賢い」


「今だけ」


「今だけか」


ロアンは笑った。


やがて、一行は山腹のくぼ地へ着いた。


そこに、堤はあった。


完全な形ではない。


石積みは崩れている。


木の水門は腐り、支えも歪んでいる。


流路には火山灰と岩が詰まっている。


だが、堤は完全には死んでいなかった。


奥のくぼ地に、濁った水が溜まっている。


風が吹くと、水面が鈍く揺れた。


ミルカが低く言う。


「残ってる」


ロアンも水を見た。


「使える?」


ミルカはすぐには答えなかった。


水路。


堤。


流れの跡。


火山拠点の位置。


村の方向。


黒い谷。


全部を見比べている。


「そのまま壊したら、どこへ流れるか分からない。まず、流れる道を戻さないと危ない」


水番の末裔が頷いた。


「昔の水路は黒い谷へ落ちる。だが今は半分埋まっている」


ロアンは地図を広げた。


「黒い谷は、火山拠点の外郭の下を通ってる」


ミルカが言う。


「流れを黒い谷へ戻せれば、防衛線を崩せる」


ガルドが水を見た。


「水の精霊王ではないな」


エナが静かに答える。


「でも、下から見たら、そう見えるかもしれません」


ロアンは堤を見た。


古い。


壊れている。


忘れられている。


でも、水は残っていた。


昔の人間が山に残した水が、まだそこにあった。



※第31話「水の精霊王は来ない」は全六回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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