(五)焼けなかったもの
◆ 作戦終了報告
夜明け前。
魔王城の作戦室に、吸血侯が戻った。
黒い布に包まれた聖剣の台座。
焼け残った写本の一部。
神託の間の碑文片。
勇者認定の祭具の破片。
それらが、卓上に置かれる。
吸血侯が報告する。
「中央神殿強襲、完了。神託の間は沈黙。写本庫の勇者関連記録は焼却。聖剣は台座ごと封印。勇者認定の祭具は破壊。大神官は生存。施療院への被害は軽微」
竜将が不満げに言う。
「神殿そのものは残った」
現魔王は答える。
「残してよい」
「再建されます」
「再建には時間がかかる。神託の間は沈黙し、聖剣はない。勇者認定もできぬ。今必要なのは永遠の破壊ではない。勇者が育つ時間を奪うことだ」
死霊宰相がうなずく。
「東の封鎖と合わせれば、従来勇者の発生経路は大きく断たれました」
記録官が書き留める。
対勇者戦略、第二段階。
神託および聖剣経路、遮断。
現魔王は、黒い布に包まれた聖剣を見る。
「これで、神殿から勇者は出ない」
その判断は、魔王軍の記録に正式に残された。
中央神殿は残った。
信仰も残った。
祈りも残った。
だが、神託を受け、聖剣を授かり、勇者として認定される道は途切れた。
現魔王の対策は、正しく機能していた。
◆ 焼けなかったもの
中央神殿から遠く離れた地方に、小さな神殿があった。
立派な聖堂はない。
大理石の階段もない。
神託の間も、聖剣庫も、勇者認定の祭壇もない。
あるのは、古い木の扉。
雨漏りを直した跡のある屋根。
村人が持ち寄った花。
何度も磨かれて丸くなった床板。
そして、小さな書棚だった。
その神殿は、中央神殿とは少し違っていた。
神を祀ってはいる。
しかし同時に、土地の精霊、水の精霊、森の精霊、火の精霊、石や風や獣に宿る小さなものたちも祀っている。
中央から見れば、信仰が混じっている。
正統ではある。
だが、中心ではない。
そのため、この神殿には中央からの財政的な恩恵もあまり入ってこない。
高価な祭具もない。
写本を何人も雇う余裕もない。
神官は畑を手伝う。
村人は祭りの日に神殿の屋根を直す。
子どもたちは、掃除のついでに古い本をめくる。
それでも、この神殿の者たちは、それで十分だと思っていた。
神は大事である。
しかし精霊もまた、大事な存在である。
大きなひとつの光だけが、世界を支えているわけではない。
水が流れ、風が運び、火が温め、土が受け止め、草木が育ち、獣が駆け、人が祈る。
そうした小さな働きが重なって、世界は保たれている。
小さな書棚に、古い物語の本が置かれていた。
その本は、中央神殿の神託記録ではない。
勇者認定の写本でもない。
聖剣を授ける儀式書でもない。
ただ、精霊たちが世界を支え合う物語である。
誰もそれを神託とは呼ばない。
神官も、村人も、子どもたちも、ただの古い物語だと思っている。
だから、焼かれない。
その夜、中央神殿の神託は焼かれた。
神託の間は沈黙し、写本庫の記録は灰になり、聖剣は神殿から消えた。
勇者を送り出すための儀式は、そこで一度途切れた。
中央神殿から、従来の勇者はもう出ない。
けれど、神託と呼ばれるものは、初めから神殿の奥にだけあるわけではなかった。
ある言葉は、師の教えに残る。
ある知恵は、旅人の記録に残る。
ある物語は、誰も重要だと思っていない田舎の書棚に残る。
それらはまだ、神託とは呼ばれていない。
だから、誰も焼こうとはしなかった。
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