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勇者の条件  作者: KEI
第29話 人魚はいなかった

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(四)海底の門

◆ 海底の門


海底の門が開いたことで、隠されていた潮の道が現れた。


通常の船では入れない。


大きな軍船も通れない。


だが、小型船と潜入部隊なら進める。


各国の海上部隊。


沿岸兵。


潜入班。


漁村の船乗り。


治療師。


魔術師。


それぞれが動き出した。


灰の一団は、入口を開いた。


だが、深海拠点を単独で攻略するわけではない。


ロアンは海図を見て、撤退用の目印を確認する。


「戻る時の灯りは?」


船乗りが答える。


「白い布を張った小舟を三つ。風が変わったら位置をずらす」


「夜になったら?」


「火は使いすぎると魔物を寄せる。小さく、低く」


ミルカは拠点入口周辺の魔法陣を観察し、危険な符号を伝える。


「この符号、警報かもしれない。触らない方がいい」


魔術師が頷く。


「迂回できるか」


「潮が引く瞬間なら」


エナは戻ってきた負傷者を手当てした。


海での怪我は、陸と違った。


冷え。


塩水。


息切れ。


切り傷。


打撲。


水を飲んだ者。


彼女は医療班と一緒に、順番を決める。


「この人は先に温めてください。こちらの人は意識がはっきりしています。少し待てます」


ガルドは岩場に立ち、海から上がってくる魔物を止めた。


「こっちへ上げるな」


海上部隊の兵が叫ぶ。


「了解!」


戦いは海の中と岩場で続いた。


灰の一団だけでは、深海拠点に入ることすらできなかった。


海女たちの口伝がなければ、門は開かなかった。


漁村の船がなければ、潜入部隊は近づけなかった。


海を知る兵がいなければ、潮の道を渡れなかった。


ロアンはそれを見ていた。


「俺たちだけじゃ、絶対に無理だったな」


ミルカが答える。


「だから、聞きに来た」


エナも言った。


「海のことは、海の人が一番知っていました」


ガルドが頷く。


「人魚はいなかったが、海に強い人間はいた」


それが答えだった。


人魚の導きとは、海を知る者たちのことだった。


息を数え、白い岩を探し、潮が弱い朝を待ち、海底の石に触れる者たち。


文献の中では、人魚になった。


けれど実際には、人間だった。


息も切れる。


体も冷える。


足もつる。


それでも、海を知っている人間だった。


◆ 人魚はいなかった


深海拠点は落ちた。


完全に消えたわけではない。


残骸も、逃げた魔物も、まだ残っている。


けれど、魔王軍の海路補給は大きく乱れた。


南の大陸へ向かう航路も、一部開かれた。


海上部隊の隊長が言った。


「これで南へ船を出せる」


ロアンは海を見た。


波はまだ荒い。


空も明るくはない。


それでも、道は開いた。


漁村では、若い海女が英雄扱いされそうになっていた。


本人は非常に嫌がっていた。


「潜っただけだよ」


村の者たちは笑う。


年配の海女は腕を組んで言った。


「潜っただけで済むなら、誰でも潜る」


若い海女は黙った。


ロアンは彼女に言った。


「その潜っただけが、俺たちにはできませんでした」


海女は少し照れた顔をする。


「なら、そういうことにしておく」


ガルドが真面目に言った。


「俺も潜れない」


ミルカが答える。


「鎧なしでも危ない」


「剣が錆びる」


「そこ?」


エナは若い海女へ温かい飲み物を渡した。


「まだ冷えています。今日は休んでください」


「休むよ。さすがにね」


海女は湯気の立つ杯を受け取った。


ロアンは浜辺を見た。


干された網。


傷だらけの船。


潮を読む目。


歌。


息の数。


白い岩。


人魚はいなかった。


けれど、何もなかったわけではない。


むしろ、本当に必要なものはそこにあった。


現地で生きてきた人たちの技術。


口伝。


度胸。


戻るための知恵。


勇者文献は、それを人魚と書いた。


たぶん、書いた者は海を知らなかった。


あるいは、海を知る女たちを見て、それ以外の言葉を持たなかった。


でも、ロアンたちは知った。


人魚はいない。


いたのは、海を知る人間だった。


そして、その人間が門を開いた。


◆ 南へ向かう船


深海拠点攻略の後、各国の混成部隊が南の大陸へ向かうことになった。


灰の一団も、その船に乗る。


船は大きかった。


だが、安心できるほど大きくはない。


兵士。


神官。


治療師。


船員。


工兵。


商人。


連絡役。


荷。


水樽。


薬箱。


予備の帆。


いろいろなものが詰め込まれている。


海は穏やかではなかった。


エナは少し船酔い気味だった。


ロアンが心配そうに聞く。


「大丈夫?」


「大丈夫です。たぶん」


ミルカが薬草袋を見る。


「船酔いの薬、先に飲んで」


「はい」


ガルドは甲板で剣を抜こうとして、船員に止められていた。


「ここで振るな!」


ガルドは真面目に答える。


「船でも剣は振れるのか、試そうとした」


船員は顔をしかめる。


「試すな!」


ミルカが遠くから言う。


「振らないで」


ガルドは剣を戻した。


「船では駄目か」


ロアンは船員から航路の話を聞いていた。


潮。


風。


浅瀬。


岩礁。


消えた船の記録。


海の道は、陸の道より見えにくい。


けれど、確かに道だった。


この船には、中央神殿から派遣された一人の女性も乗っていた。


白い旅装。


目立たない護衛。


穏やかな声。


彼女は自分を、神殿の記録係だと名乗った。


エナは最初、その女性を普通の神殿関係者だと思った。


ただ、少しだけ不思議な感じがした。


穏やかなのに、遠くを見ているような目をしている。


疲れているのではない。


けれど、何かを見すぎた人のようだった。



※第29話「人魚はいなかった」は全五回です。

続きます。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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