(一)次は海
◆ 次は海
転移ゲートの同時破壊は、成功した。
すべてのゲートが壊れたわけではない。
外れた推定地もあった。
壊し損ねた小型ゲートもある。
負傷者も出た。
それでも、魔王軍が広い範囲へ一気に兵や物資を動かす道は、大きく損なわれた。
各国の軍は、少しだけ息をついた。
商人たちは、止まっていた街道の一部を動かし始めた。
神殿は、負傷者の移送路を組み直した。
灰の一団は、その知らせを聞いた宿場を出て、さらに南へ向かっていた。
けれど、戦いが終わったわけではない。
むしろ、次の問題が見えてきた。
海である。
魔王軍が転移ゲートを失ったことで、海沿いの拠点と海路補給を重視し始めている可能性があった。
各国側も、南の大陸へ進むには海路を確保しなければならない。
だが、問題の海域では船が消えていた。
漁船も、連絡船も、軍の小型船も、戻らないものがある。
押収資料の中には、深海拠点らしき符号があった。
地図上には存在しない。
海図にも載っていない。
けれど、古い勇者文献には似た記述があった。
> 人魚の導きにより、海底の門は開かれた。
ロアンはその一文を見て、しばらく黙った。
それから言う。
「また、ずいぶん不確かな話だな」
ミルカは資料を広げている。
「でも、転移ゲートの資料と、船が消える海域が重なってる」
「人魚と?」
「人魚と、深海拠点と、消える船。どれも不確か。でも、重なっている場所は同じ」
エナが少し不安そうに聞いた。
「人魚、本当にいるんでしょうか」
ガルドは真面目に考えた。
「いたとして、どう頼むんだ」
ロアンは腕を組む。
人魚。
海底の門。
勇者文献。
言葉だけなら、絵本の中の話みたいだった。
けれど、これまでにもそういうことはあった。
国境洞窟の時、必要だったのは強い剣ではなく、反対側へ知らせることだった。
転移ゲートの時、必要だったのは自分たちで全て壊すことではなく、できる人たちへ情報を届けることだった。
なら、今回も同じかもしれない。
ロアンは資料を畳んだ。
「まず、漁村で聞こう。海のことは、海の人に聞く」
ミルカは頷く。
「伝承より、現地の話ね」
エナも静かに頷いた。
「はい」
ガルドは少し考えてから言う。
「人魚がいるかどうかも、漁師なら知ってるか」
「たぶん」
ロアンは答えた。
「少なくとも、俺たちよりは知ってる」
そうして、灰の一団は海へ向かった。
◆ 海から離れるほど
海沿いの漁村に着いた時、まず匂いが変わった。
潮の匂い。
干された網の匂い。
魚を焼く匂い。
濡れた木の匂い。
浜辺では、男たちが船底を修理していた。
女たちは貝を選別し、網を直している。
子どもたちは波打ち際を走り、年寄りたちは日陰から海を見ていた。
ロアンは少し足を止める。
「海だ」
ガルドもうなずく。
「広いな」
エナは波の音を聞いている。
「ずっと動いていますね」
ミルカは風を見る。
「潮が混ざると、風の読み方も変わる」
村長は日に焼けた老人だった。
ロアンたちが人魚について尋ねると、老人は怪訝そうな顔をした。
「人魚?」
「はい。古い文献に、人魚の導きで海底の門が開いたと」
村長はしばらくロアンを見た。
それから、近くにいた漁師に目を向ける。
漁師は肩をすくめた。
「人魚? 知らんな」
別の漁師が言う。
「内陸の連中が好きそうな話だ」
網を干していた女も笑った。
「海に長くいるが、そんなもん見たことはないよ」
ロアンは少し困った。
「人魚、いないのか」
ミルカが低く言う。
「少なくとも、この村では信じられていないみたい」
村の老婆が言った。
「歌に出てくることはあるよ。でも、あれは子どもを海に近づけすぎないための話だろう」
エナは首を傾げる。
「怖い話なんですか」
「海は怖いからね。きれいな声が聞こえても、近づくなってことさ」
ガルドは真面目に言う。
「人魚はいないのに、歌にはいるのか」
老婆は笑った。
「歌には何でも出るよ。魚もしゃべるし、岩も怒る」
漁村で聞ける人魚の話は、驚くほど少なかった。
人魚を見た者はいない。
信じている者もほとんどいない。
あるのは、子ども向けの歌や、内陸から来た商人が喜びそうな話だけだった。
ところが、少し内陸へ行くと話が変わった。
街道沿いの小さな集落では、人魚の話はずっと華やかになった。
「昔、勇者を人魚が海底へ導いた」
「銀の髪の女が波間に消えた」
「人魚が歌って、海の門が開いた」
「選ばれた者だけが、深い海へ入れる」
海から離れるほど、人魚は美しくなった。
歌声は澄み、髪は銀になり、腕は白く、波は光る。
ミルカは集落を出てから言った。
「海から離れるほど、人魚が増える」
ロアンも頷く。
「なら、漁村の話の方が正確かもしれない」
エナは少し考えた。
「近い人ほど、話が地味ですね」
ガルドが言う。
「地味な方が本当っぽい」
ミルカは少しだけ笑った。
「そういう時はある」
ロアンは海の方を見た。
文献に書かれた人魚。
内陸で語られる人魚。
漁村で笑われる人魚。
どれが本当か。
たぶん、どれも完全には本当ではない。
けれど、何か元になったものがある。
ロアンたちは漁村へ戻った。
本当に聞くべき相手は、海から離れた語り部ではない。
海を見て、海で働き、海で戻ってくる人たちだ。
※第29話「人魚はいなかった」は全五回です。
続きます。
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