(三)神託の間、沈黙
◆ 写本庫
写本庫では、年老いた写字生たちが記録を運び出そうとしていた。
神託記録。
勇者認定録。
過去の勇者の出立記録。
夢告の年代記。
聖剣授与に関する記録。
写字生たちは、それが何を意味するか知っていた。
本を失うことは、記憶を失うことだ。
通路の先に、死霊術師が立った。
小鬼兵たちが棚へ走り、札を貼っていく。
焼却対象。
搬出対象。
残置対象。
写字生の一人が叫んだ。
「それはただの紙ではない!」
死霊術師が答える。
「だから焼くのです」
小鬼兵が火を入れる。
ただし、写本庫全体を燃やすのではない。
神託記録の棚。
勇者認定録の棚。
聖剣授与記録の箱。
夢告年代記の保管棚。
対象だけが焼かれていく。
薬草記録は残る。
施療院の治療記録は残る。
各地の井戸や田畑に関する古い記録も残る。
老写字生が、燃える紙片を素手で拾おうとした。
小鬼兵が一瞬ためらう。
死霊術師が言う。
「触らせるな。殺す必要はない」
小鬼兵は、老写字生を引き離した。
「離れてください。死にます」
老写字生は、涙と怒りで顔を歪めて叫んだ。
「死ぬより悪い!」
小鬼兵は答えられない。
彼には、それが本当かどうか分からなかった。
紙は燃える。
文字は灰になる。
魔王軍にとっては、機能破壊だった。
神殿にとっては、記憶の破壊だった。
◆ 神託の間
神託の間の扉が、音もなく開いた。
若い巫女が、水盤の前に立っていた。
大神官もいる。
神殿騎士が二人、吸血侯を止めようと前へ出る。
影が床から伸び、彼らの足に絡む。
次の瞬間、騎士たちは壁へ押しつけられていた。
吸血侯は巫女を見る。
「そこを退きなさい。あなたを殺す命令は受けていません」
巫女は震えていた。
それでも、退かなかった。
「ここは神託の間です」
「知っています。だから来ました」
大神官が前に出る。
「神託を恐れるか、魔王は」
吸血侯は微笑む。
「恐れているからこそ、対策するのです」
大神官が杖を掲げる。
床の星図が淡く光る。
四方の碑文が応じる。
天窓から落ちる月光が、水盤へ集まる。
結界が展開された。
吸血侯はすぐには破らなかった。
床を見る。
天窓を見る。
水盤を見る。
四方の碑文を見る。
「水盤、天窓、四方の碑文、足元の星図。なるほど。言葉を降ろすための装置ですか」
大神官が目を細める。
「装置ではない。祈りだ」
「機能する祈りなら、装置と呼んで差し支えないでしょう」
吸血侯は影を伸ばした。
まず、天窓が黒く覆われる。
月光が消える。
次に、四方の碑文に亀裂が走る。
水盤の水が黒く濁る。
巫女が叫んだ。
「やめて!」
大神官が最後の結界を張る。
吸血侯は低く命じた。
「殺すな」
配下たちが動く。
巫女は押さえられた。
大神官も床へ膝をつかされる。
吸血侯は水盤に手を触れた。
水盤そのものは壊さない。
内側に刻まれた細い文字だけを、影の爪で削っていく。
水が震える。
黒く濁った水面に、何かの光が一瞬だけ浮かんだ。
それは言葉のようにも見えた。
ただの揺らぎのようにも見えた。
吸血侯は最後の一文字を削り取る。
水盤は沈黙した。
神託の間は残った。
しかし、神託を降ろす仕組みは壊れた。
吸血侯は告げた。
「神託の間、沈黙」
※第4話「神託を焼く」は全五回です。
続きます。
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