(二)よく戻せ
◆ 田舎道場
道場は、隣村の外れにあった。
立派な門はない。
大きな看板もない。
風で少し傾いた木札に、流派の名が彫られている。
板張りの稽古場。
土の庭。
壁に掛けられた木剣。
古い防具。
ところどころ補修された床。
そこにいるのは、貴族の子弟ではなかった。
村の若者。
自警団の男。
荷運び。
猟師の息子。
農家の次男。
皆、暮らしの中で必要だから剣を習っている者たちだった。
ロアンは稽古場を見回した。
「思ってた道場と違う」
ミルカが聞く。
「どんなのを想像してたの?」
「もっとこう、広くて、掛け声がすごくて、壁に強そうな言葉が書いてある感じ」
エナが壁を見る。
「強そうな言葉、ありますよ」
ロアンも見る。
壁の端に、墨で書かれた板が掛かっていた。
> よく戻せ
ロアンは少し黙った。
「思ってたのと違う方向に強い」
ミルカが言う。
「今日のロアンに必要な言葉」
「刺さる」
道場の奥から、年配の剣士が出てきた。
背は高くない。
だが、背筋はまっすぐで、目が鋭い。
紹介状を読むと、師範はロアンを見た。
「新しい剣を受け取ったそうだな」
「はい」
「見せてみろ」
ロアンは剣を抜いた。
師範は刃を見て、柄を見て、鞘を見た。
「いい剣だ」
ロアンは少し嬉しくなる。
「はい。鍛冶師さんに打ってもらいました」
「よく考えられている。旅の剣だ」
ミルカが頷く。
「鍛冶師さんも、そう言っていました」
師範はロアンに剣を戻させた。
「構えてみろ」
ロアンは中段に構えた。
師範はしばらく見ていた。
「悪くはない」
ロアンは少し安心した。
師範は続ける。
「だが、戻りが甘い」
ロアンは首をかしげる。
「戻り?」
「斬った後、次に動ける形へ戻ることだ。旅では一振りで終わらん」
ミルカが小さく言った。
「ほら」
ロアンは少し肩を落とす。
「今日、戻りって何回言われるんだろう」
エナが真面目に言う。
「戻れるのは強いことです」
「いい言葉なのに、俺に向くと課題になる」
師範は木剣を手に取った。
「剣は振るより、戻す方が難しい。振るだけなら勢いでできる。戻せなければ、次で死ぬ」
ロアンの背筋が少し伸びた。
「はい」
「ちょうどいい者がいる」
師範は外へ声をかけた。
「ガルド!」
道場の外から返事があった。
「師範、薬草置いとくぞ」
入ってきた男は、薬草籠を背負っていた。
二十五歳くらいだろうか。
肩は広いが、威圧感はない。
服は少し汚れていて、靴には土がついている。
木剣を肩に引っかけ、空いた手で籠を下ろした。
いかにも、村の気のいい兄貴分という雰囲気だった。
師範が言う。
「ちょうどいい。ガルド、見本を見せろ」
男は首をかしげた。
「見本? 何の?」
「斬った後の戻しだ」
ガルドは木剣を持ち直した。
「普通にやればいいのか」
「ああ。普通に」
ロアンは軽い気持ちで見た。
ミルカも腕を組み、観察する。
エナは、なぜか半歩下がった。
ガルドが中段に構える。
その瞬間、道場の空気が少し変わった。
大きな殺気ではない。
威圧でもない。
ただ、隙がなくなった。
次の瞬間、木剣が振られた。
いや、振られた、はずだった。
ロアンには、途中がほとんど見えなかった。
気づいた時には、ガルドは最初と同じ中段に戻っていた。
木剣の先が、静かにこちらを向いている。
ロアンは思わず言った。
「今、振りました?」
ガルドは不思議そうな顔をする。
「振ったぞ」
ミルカが小さく言った。
「速すぎる」
ガルドは首をかしげた。
「いや、これは普通だろ」
エナは半歩下がったまま、薬草籠を抱えていた。
「普通、なんですか?」
ガルドはさらに不思議そうにする。
「普通に振っただけだ」
ロアンはミルカを見る。
ミルカは無言で首を横に振った。
普通ではない、という意味だった。
※第23話「田舎道場の神速」は全七回です。
続きます。
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