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勇者の条件  作者: KEI
第21話 小さな精霊たちの話

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(七)足りないなら、誰かに頼める

◆ 足りないなら


その日の昼前、ロアンはエナの父に呼ばれた。


祈りの間の横の小さな部屋だった。


神官は、古い帳簿を閉じてロアンを見る。


「君は、あの物語をどう読んだ」


ロアンは困った。


「どう、と言われると……」


神官は急かさなかった。


ロアンは少し考えた。


難しい教義として読んだわけではない。


精霊信仰について深く理解したわけでもない。


ただ、絵本を読んだ。


でも、残ったものはある。


「一人で全部できなくても、いいんだと思いました」


神官はうなずく。


「それだけか」


「あと、足りないのは悪いことじゃないのかなって」


神官の目が少し細くなった。


「足りないのは、悪いことではない?」


ロアンはうなずいた。


「足りないと、誰かに頼めるので」


神官は黙った。


ロアンは少し不安になる。


「変ですか」


「いや」


神官はゆっくり息を吐いた。


「簡単な言葉ほど、時々難しい」


「俺、難しいこと言いました?」


「君が言うと、簡単に聞こえる」


「それは褒めてますか?」


神官は少し笑った。


「半分」


ロアンは苦笑する。


「最近、半分が多い」


「もう半分は、まだ分からない」


「それは正直ですね」


神官は窓の外を見た。


エナが庭で薬草を干している。


ミルカが布の湿りを確認している。


二人が何か話し、エナが笑った。


神官は静かに言った。


「エナには、力がある」


ロアンは黙って聞いた。


「だが、あの子は世界を知らない。自分の力の扱い方も、まだ知らない。私はここであの子を守れる。だが、外の世界までは見せられない」


ロアンは少し考えた。


「俺たちも、外の世界を全部知ってるわけじゃないです」


「だろうな」


「はい。すぐ迷います」


「そこは力強く言うところか」


「最近、迷う前に聞くことは覚えました」


神官は笑った。


「それは大事だ」


ロアンも少し笑った。


神官はもう一度、エナを見た。


「足りないなら、誰かに頼める、か」


その言葉は、ロアンに向けられたものではないようだった。


神官自身の中で、何かを確かめている声だった。


ロアンはそれ以上、踏み込まなかった。


分からないことを、無理に答えにしない。


それも、少しずつ覚えてきたことだった。


◆ 腹痛用です


出発の準備をしていると、エナが小さな薬包を持ってきた。


布に包まれた、軽いものだ。


「これを」


ロアンは受け取る。


「薬ですか」


「腹痛用です。旅先で変なものを食べた時に」


ロアンは薬包を見て、顔を上げた。


「俺、変なもの食べそうに見えます?」


ミルカが即答する。


「見える」


エナも少し遅れて言う。


「少し」


ロアンは肩を落とす。


「少しでも二人そろうと強いな」


ミルカは薬包を見る。


「ありがたいです。たぶん使います」


「使う前提?」


「旅先では何があるか分からない」


エナが真面目に説明する。


「知らない木の実は食べないでください」


ロアンはうなずく。


「はい」


「知らない茸もだめです」


「はい」


「知らない草も、よほどのことがなければ」


ミルカが横から言う。


「よほどでも、まず聞く」


「はい」


エナは少し考えた。


「知っている草でも、似ている別の草があります」


ロアンは薬包を握った。


「食べ物、難しいな」


ミルカが言う。


「だから食べる前に聞く」


エナもうなずく。


「聞ける人がいない時は、食べない」


「二人とも、俺が食べる前提で話してません?」


ミルカとエナは顔を見合わせた。


「少し」


「少し」


「そこは合うんだ」


エナはさらに小さな布を取り出した。


「薬草も少し入れておきます。湿気に弱いので、布をもう一枚」


ミルカが受け取る。


「詳しいんだね」


エナは少し照れた。


「ここでは、薬草を長持ちさせないと困るので」


「助かります」


ロアンも頭を下げた。


「ありがとう。ええと、変なものは食べません」


ミルカが言う。


「本当に?」


「本当に」


エナがじっと見る。


「豆は大丈夫です」


「豆だけ許された」


「豆は火を通してください」


「条件付きだった」


神官が入口から声をかける。


「ロアン君」


「はい」


「腹痛の薬は、飲みすぎるな」


「そこも?」


ミルカが言う。


「薬も食べ物も、量」


エナも言う。


「豆も」


ロアンは薬包を荷にしまいながら言った。


「旅、覚えることが多すぎる」


ミルカが答える。


「だから一人で全部覚えなくていい」


ロアンは少しだけ目を丸くした。


エナは柔らかく笑う。


小さな精霊たちの話は、もう少しだけ三人の間に残っていた。


◆ 村からの知らせ


ロアンとミルカが荷を背負い、神殿の石段を下りようとした時だった。


村の方から、一人の少年が駆け上がってきた。


息を切らし、雨上がりの坂で何度も滑りそうになりながら、神殿の前に飛び込んでくる。


「神官様!」


エナの父がすぐに立ち上がった。


「どうした」


少年は膝に手をつき、息を整える。


「鍛冶師のおじさんが、倒れたって。熱が、また上がって、奥さんが呼んでこいって」


エナの顔が変わった。


ロアンはミルカを見る。


ミルカもすでに荷を下ろしかけていた。


神官は短く言った。


「行く」


エナも薬箱を取ろうとする。


父は一瞬、娘を見た。


昨日、老人の腕を癒やした時の光。


夜の会話。


古い絵本。


足りないもの。


頼ること。


迷い。


それらが、神官の中で一瞬重なった。


「エナ」


エナは少し身構えた。


「はい」


神官は静かに言った。


「来なさい」


エナは驚いたように父を見る。


「いいんですか」


「薬箱を持って」


エナはすぐに頷いた。


「はい」


ロアンが言う。


「俺たちも手伝います」


ミルカも続ける。


「荷物運びでも、水汲みでも」


神官は二人を見る。


危なっかしい若者たち。


だが、何もしないより、何かをつなごうとする者たち。


「頼む」


ロアンは荷を置き直した。


「行こう」


ミルカが言う。


「足元」


エナも言う。


「石段、まだ滑ります」


ロアンは一歩目を慎重に下りた。


「足元の真理、今日も有効」


「毎日有効です」


エナは薬箱を抱え、少しだけ緊張した顔で笑った。


三人と神官は、村へ向かって急いだ。


その本は、神託ではなかった。


中央神殿の奥で授けられた言葉でもなかった。


聖なる光に包まれて開かれた書でもなかった。


寂れた神殿の古い本棚に置かれていた、子ども向けの物語だった。


火の精霊は、燃やしすぎた。


水の精霊は、流しすぎた。


風の精霊は、散らしすぎた。


土の精霊は、固めすぎた。


どの精霊も、世界を一人では作れなかった。


だから、補い合った。


ロアンは、その話を読んだ。


難しい教義としてではなく、ただの物語として読んだ。


けれど、その物語は彼の中に残った。


一人で全部できなくていい。


足りないことは、悪いことではない。


足りないなら、誰かに頼める。


誰かの足りないところを、自分が少しだけ埋められることもある。


後に、人々はこの日のことを大げさに語るかもしれない。


神の言葉を受けたのだと。


精霊が道を示したのだと。


だが実際には、雨上がりの田舎神殿で、若い旅人が古い絵本を一冊読んだだけだった。


それでも、その一冊が、彼の進む道を少し変えた。



作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yuusha-no-jouken-top/

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