第3話:未来のコンサルタント、爆誕
しんと静まり返った御殿の広間に、柴田勝家の荒い息遣いだけが響いていた。
勝家の放つ殺気は本物だった。
体格の良い彼の身体から発せられる威圧感だけで、私の肌にはピリピリとした痛みが走る。
さすがは後世に『鬼柴田』と称される猛将だ。
私はジャージの袖の中で、冷たくなった両手をぎゅっと握りしめた。
「おい、小娘。いま、殿に向かって何と申した」
勝家が低く地を這うような声で問い詰めてくる。
その手は、腰の刀の柄にかけられていた。
いつでも私の首をはねる準備はできていると言わんばかりだ。
私はごくりと唾を飲み込んだ。
やばい、調子に乗りすぎた。
いくら最推しの情けない姿にキレたからって、ここは一言で首が飛ぶ戦国時代だった!
活発でコミュ力が高いのが私の長所だけれど、空気を読み間違えれば命はない。
知的な女子高生らしく、ここは冷静に、かつ大胆に切り抜けなければ。
私が次の言葉を探していると、それまで畳にへたり込んでいた織田信長が、涙目のまま呆然と声を漏らした。
「こん、さる……たんと? 異国の言葉か? それに、未来を救うとはどういうことじゃ」
信長は鼻水をすすりながら、落とした短刀を見つめ、それから私を凝視した。
その瞳には、恐怖だけでなく、奇妙なものを見るような強い好奇心が混ざり合っている。
私はこれ幸いと、勝家の視線を無視して信長に向き直った。
「そうよ、信長さん。私は未来の知恵を持つ者。コンサルタントっていうのは、悩める指導者に進むべき道を気づかせ、成功へと導く臨時の軍師みたいなものよ」
「軍師だと? そのような妙な衣服をまとった小娘がか! 殿、惑わされてはなりませぬ。やはり今川の放った妖術使いの類いに違いありませぬ。今すぐ成敗いたします!」
勝家が刀を抜き放とうとする。
金属の擦れる不快な音が広間に響いた。
「待ち、待て、権六! 刀を収めよ」
信長が慌てて手を振って勝家を止めた。
彼はにじり寄るようにして私との距離を詰めてくる。
「未来の知恵と言うたな。ならば、わしが今、何に怯えているか分かるか」
私は内心で小さくガッツポーズをした。
歴史オタクの私に向かって、そんなクイズを出すなんて愚策の極みだ。
私はフッと不敵な笑みを浮かべ、あえてもったいつけるように言った。
「駿河の太守、今川義元。彼が率いる二万を超える大軍が、この尾張に向かって進軍していること。織田家の兵力はかき集めても二千かそこら。まともに戦えば十倍の兵力差で圧殺される。降伏しても命が助かる保証はないし、籠城しても干からびるだけ。だからおっ母の言う通り自分はうつけだと絶望して、いっそひと思いに腹を切ろうとしていた。――違いますか?」
信長が大きく目を見開いた。
「な、なぜそれを……! わしが母上に言われた言葉まで、なぜ知っておる!」
「殿、やはりこ奴は密偵! 織田家の内情を調べ上げておるのです!」
勝家が再び激昂するが、信長はそれを完全に無視して私のジャージの胸元を掴み上げようとした。
しかし、私の両手が後ろ手に縛られているのを見て、はっとしたように手を止める。
「権六、この女子の縄を解け」
「しかし殿!」
「良いから解けと言うておる!」
信長の一喝に、勝家は苦渋の表情を浮かべながらも、私の後ろ手に回された縄を小刀で切り落とした。
自由になった両手首をさすりながら、私はジャージの懐に手を入れて、中に隠していた特製の歴史まとめノートの無事を確認した。
よし、破れていない。
これさえあれば、私はこの時代の誰よりも「未来」を知っている。
本来の歴史、すなわち私の知っている正史では、信長はこの今川来襲に対して驚くほど冷静に対処するはずだった。
誰も寄せ付けないカリスマとして、家臣の前では泰然自若としていたはずなのだ。
なのに、目の前にいる本物の信長は、ただのビビリで心配性な青年だ。
歴史の教科書がどれほど彼を美化していたかがよく分かる。
でも、だからこそ私の胸には、オタクとしての、loving な情熱が灯っていた。
この人は今、圧倒的な現実の恐怖に押しつぶされて、本来持っているはずの天才的な発想力を閉ざされちゃっているんだ。
だったら、私が引き出してあげる。
このポンコツな推しを、後世に語られる最高の『第六天魔王』にプロデュースしてあげるわ!
私は床に転がっていた自分のリュックサックを拾い上げ、肩に担ぎ直した。
そして、信長の目を真っ直ぐに見つめた。
「信長さん。確かに今川の軍勢は強大よ。でも、戦いは数の多さだけで決まるわけじゃないわ。未来の歴史書にはね、あなたがこの危機を乗り越えて、天下にその名を轟かせるって書いてあるの」
「わしが……天下に……?」
信長は夢でも見るかのように、その言葉を繰り返した。
「ええ。ただし、あなたが今切腹したり、戦う前に諦めたりしたら、その未来は一瞬で消えてなくなる。あなたのせいで、私の明日の歴史テストの点数までゼロになっちゃうのよ! だから、私をあなたのそばに置きなさい。答えは教えないけれど、あなたが正しい決断を下せるように、私が最高のヒントを出してあげるから」
「ふん、大きく出たものじゃな」
信長はそう言うと、ようやく涙を拭い、泥だらけの私のジャージとリュックを興味深そうに眺めた。
「未来の巫女か、それともただの狂人か……。面白い。権六、この女子の処刑は取りやめじゃ。清洲城の離れに部屋を与えよ。わしの命があるまでは、一歩も城から出すな」
「殿! 本気でございますか! このような素性の知れぬ者を!」
勝家が信じられないといった様子で声を荒げるが、信長はすでに元の座へと戻り、短刀を鞘に収めていた。
その表情には、ほんの少しだけ生気が戻っているように見えた。
「今の織田には、神仏の加護でも未来の知恵でも、使えるものは何でも必要なのじゃ。二万を超える大軍を相手にするのじゃぞ。権六、お前も他に妙案がないのなら、わしの決定に従え」
主君としての威厳をかろうじて絞り出した信長に、勝家はぐっと言葉を詰まらせた。
そして、私をこれ以上ないほど鋭い目つきでにらみつけた。
「……小娘。もし殿に万一のことがあれば、その時は貴様の首を胴体から叩き切ってやるからな。覚悟しておけ」
「はいはい、了解です。鬼家老さん」
私はわざと明るく手を振ってみせた。
勝家はフンと鼻を鳴らし、乱暴に部屋を出て行った。
一人残された広間で、信長は再びため息をつき、私に視線を向けた。
「おい、コンサルタントとやら。わしは本当に、今川義元に勝てるのか」
その弱気な問いかけに、私は小さく微笑んだ。
「それは、これからのあなた次第よ、信長さん」
こうして、私は歴史を書き換えるためではなく、歪みかけた歴史を、私の知っている本来の流れへと導くため、織田信長の専属コンサルタントとして戦国時代を生き抜くことになったのだった。




