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歴史テスト前夜に寝落ちしたら、ポンコツ偉人たちのコンサルタントになっていました 〜JK歴女が偉人たちに歴史的決断をさせるまで〜  作者: 牧野ハル


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第20話:湯漬けを食らえ、いざ出陣!

「陣貝を吹け。具足を持て。……出陣じゃ」


織田信長の一声が清洲城の広間に響き渡った瞬間、それまで魔法にかけられたように凍りついていた空気が、文字通り爆発した。


「ほぉおおおおーっ、ほぉおおおおーっ!」


城のあちこちから、腹の底を揺らすような陣貝の重低音が鳴り響く。


続いて、ドンドンドンッ! と急を告げる陣太鼓の音が、夜明け前の清洲城を激しく震わせた。


先ほどまで「軍議を開いてくれ」と悲痛な顔で懇願していた柴田勝家や林秀貞たちは、突如として放たれた総大将の出陣命令に一瞬だけ呆然とした。


だが、すぐに我に返る。


「殿がご出陣なされるぞ! 何をしておる、すぐに馬を引け!」


「武器庫を開け! 槍を持て! 弓を持て! 各隊の者を叩き起こせ!」


広間から武将たちが雪崩を打って駆け出していく。


怒声。


足音。


甲冑が激しくぶつかり合う金属音。


城内は一瞬にして、極限の混乱と熱気が入り混じる戦場そのものの喧騒に包み込まれた。


その凄まじい混乱の中心で、信長さんだけが、嵐の目の中にいるように奇妙な静けさを保っていた。


彼は広間の上座にどっかりと腰を下ろしたまま、傍らを慌ただしく走り抜ける小姓に向かって、短く命じた。


「湯漬けを持て。今すぐじゃ」


「は、はいぃっ!!」


小姓が転がるようにして奥へ走り、ほどなくして朱塗りの椀を両手に捧げ持って戻ってきた。


椀の中に入っているのは、豪華な膳ではない。


出陣を祝う立派な料理でもない。


飯の上から、熱い湯をかけただけの、あまりにも質素な湯漬けだった。


湯漬け。


現代でいうなら、お茶漬けのもっと素朴なものに近い。


冷えた飯や固くなった飯に、湯や水をかけて柔らかくし、短い時間でかき込めるようにした食べ方だ。


米を噛む時間すら惜しい時。


体を温めたい時。


すぐに腹へ入れて動き出したい時。


湯漬けは、戦国の武士にとって、ものすごく実用的な食事だったのだと思う。


出陣前なら、本来は縁起を担ぐ儀式や、酒を交えた作法もあったはずだ。


けれど、信長さんはそんなものに一切目を向けなかった。


今、彼に必要なのは、儀式ではない。


胃に入る飯。


体を温める湯。


そして、一刻も早く馬に乗るための時間。


ただ、それだけだった。


信長さんは椀をひったくるように受け取ると、箸を使うことすらもどかしいというように、椀に直接口をつけた。


「ズズッ、ズズズッ!」


熱い湯と米が、喉の奥へ流し込まれていく音が広間に響く。


彼は味わっていなかった。


噛んでいるようにも見えなかった。


ただ、これから死地へ向かうために、体の中へ熱と米を叩き込んでいる。


ものの十秒も経たないうちに、一杯目の椀は空になった。


「もう一杯じゃ」


信長さんが空の椀を差し出す。


小姓は震える手で、二杯目の湯漬けを差し出した。


それもまた、一瞬で飲み干される。


私は広間の隅から、その異様な食事風景を息を呑んで見つめていた。


すごい。


これが、出陣前の食事なんだ。


お祝いでも、楽しみでも、落ち着くための食事でもない。


これから命を削るために、体へ無理やり火を入れる作業。


信長さんは、湯漬けを食べているのではない。


戦うための体を、強引に起こしているのだ。


「ぷはぁっ!!」


二杯目の湯漬けを飲み干した信長さんは、乱暴に口元を手の甲で拭った。


そして、ガタンと音を立てて立ち上がる。


その瞬間、広間の空気がさらに張り詰めた。


信長さんは、床に置かれていた黒漆塗りの胴当てを、自らの手で素早く身につけ始めた。


普通なら、小姓に手伝わせて時間をかけて着込むものなのだろう。


けれど信長さんは、そんな悠長なことをしない。


必要なものだけを身につける。


動けるだけの装備にする。


余分なものは削ぎ落とす。


その姿は、まるで戦場へ飛び出すために研がれていく一本の刃のようだった。


「殿! お待ちくだされ!!」


そこへ、再び広間へ駆け戻ってきた柴田勝家さんが、血相を変えて叫んだ。


顔は汗にまみれ、息も荒い。


「殿! 城内の兵を叩き起こし、隊列を組ませておりますが、皆まだ支度が整っておりませぬ! 武器の支給も、馬の準備も、まだ完全ではございませぬ!」


勝家さんは、信長さんの前に膝をついた。


「現在、すぐに出立できる者は、殿の馬廻りのごくわずかな者たちのみ! 全軍が整うまで、もうしばらくお待ちを!」


「待たん」


信長さんは、腰の太刀を差しながら、一刀両断に言い捨てた。


「なっ……! 待たぬとは!? その人数で、どこへ行かれるおつもりですか!」


「熱田へ向かう」


信長さんは、勝家さんを見下ろした。


「遅れる者は置いていく」


「お、お待ちくだされ! 兵を揃えねば、戦になりませぬ! 殿がわずかな供だけで飛び出せば、途中で敵の物見に遭遇しただけでも危ううございます!」


勝家さんが必死にすがりつこうとする。


けれど、信長さんは揺らがなかった。


「権六」


その声は静かだった。


だからこそ、逆らえない重みがあった。


「戦の勝敗を決めるのは、兵の数だけではない」


信長さんは、少しだけ開いた障子の向こう、黒雲が渦巻く空を見た。


「刻じゃ」


勝家さんが、言葉を失う。


「勝てる刻は、こちらの支度が整うまで待ってはくれぬ。敵の油断も、空の機嫌も、同じ場所に長く留まるものではない」


信長さんは広間の出口へ向かって歩き出した。


「全軍が綺麗に揃うのを待つ暇などない。わしは先に行く。追いつける者だけ、勝手にわしの背中を追ってこい」


「殿ォッ!!」


勝家さんの絶望的な叫びを背中で受け流し、信長さんは広間から中庭へと飛び出した。


中庭には、すでに信長さんの馬が引かれていた。


馬は鼻息を荒くし、蹄で地面を掻いている。


空はまだ完全には明けきっていない。


東の端が、ほんの少しだけ白み始めているだけだ。


雨はまだ降っていない。


けれど、風は湿り、空気は重い。


尾張の空が、何かを溜め込んでいるのが分かった。


信長さんは鐙に足をかけ、身軽な動作で馬の背へと飛び乗った。


その所作には、もう迷いがない。


「出陣じゃ!! 行き先は、熱田社!!」


信長さんが手綱を強く引くと、馬はいななきを上げた。


そして、凄まじい勢いで清洲城の城門へと向かって駆け出す。


彼に従うのは、本当にわずかな馬廻りだけだった。


総大将が、軍勢を整える前に、少数の供だけを連れて南へ向かう。


常識で考えれば、あまりにも危うい。


あまりにも速すぎる。


けれど、私は分かっていた。


信長さんは、焦っているのではない。


勝てる瞬間を逃さないために、誰よりも早く動き出したのだ。


「と、殿ォォォッ!! 行ってしまわれた!!」


勝家さんが頭を抱え、半狂乱になって叫ぶ。


「ええい、何をしておる! 殿をお守りせよ!! 具足が間に合わぬ者は、槍だけでも持て! 走れる者から追え!!」


総大将が勝手に飛び出していったことで、清洲城の混乱は限界を突破した。


整列も隊形もあったものではない。


武士たちも、足軽たちも、ただひたすらに「殿に追いつけ!」と叫びながら、ばらばらに城門へ走り出していく。


だが、そのばらばらの疾走が、結果として織田軍の動きを驚くほど速くしていた。


完璧な隊列ではない。


美しい軍勢でもない。


けれど、速い。


恐ろしく速い。


信長さんの背中に引っ張られるように、清洲城そのものが南へ流れ出していくようだった。


「史花様! オラたちも行くぎゃ!!」


広間の隅で固まっていた私を、藤吉郎くんが力強く引っ張り起こした。


「殿は行っちまった! オラたちもモタモタしてたら置いてかれちまうだわ!」


「……ええ! 行くわよ!」


私は風呂敷の結び目を締め直し、借り物のわらじの紐が解けていないか確認した。


ほんの数時間前、暗い部屋の隅で「怖い」と震えていた青年は、もうどこにもいなかった。


敦盛で自分の恐怖をねじ伏せた。


湯漬けで体に火を入れた。


家臣の制止も、常識も、整った隊列すらも振り切って、死地へ向かって飛び出していった。


その迷いのない背中は、紛れもなく、自らの手で未来を切り開こうとする大将のものだった。


「待ってなさい、信長さん!」


私は藤吉郎くんと共に、大混乱に陥っている清洲城の中庭を駆け抜けた。


「未来の助言役が、ここで置いていかれるわけにはいかないわ!」


開け放たれた城門から外へ飛び出す。


外の空気は、夜明け前の冷たさと、妙な湿り気を含んでいた。


ぽつり。


頬に、小さな水滴が当たった。


けれど、それは雨というより、空が決壊する前にこぼした最初の雫のようだった。


「……降るのかだわ?」


藤吉郎くんが、空を見上げて呟いた。


「ええ」


私は息を弾ませながら、前方の道を睨みつけた。


遥か前方、砂埃を上げて駆け抜けていく信長さんの馬の影は、すでに小さくなっている。


「でも、本当に降るのは、まだ先よ」


信長さんが読んだ雨。


尾張の空が溜め込んでいる、決戦のための雨。


それが本当に牙を剥くのは、今ではない。


きっと、もっと先。


義元が油断し、織田軍がその喉元へ近づく、その時だ。


「走るわよ、藤吉郎くん! 熱田社まで、止まらないで!」


「おうさ!! オラ、足の速さだけは誰にも負けねえぎゃ!」


私たちは、泥を跳ね上げながら、織田軍の最後尾にくっつくようにして全力で走り出した。


息が上がる。


足の筋肉が悲鳴を上げる。


それでも、不思議と恐怖はなかった。


信長さんのあの背中を見ていると、絶対に追いつかなければならないと思えた。


空は黒い。


風は湿っている。


まだ本降りにはならない。


けれど、尾張の空は確かに決戦へ向けて重く沈み込んでいた。


人間五十年。


その短くも苛烈な夢幻の舞台へ向けて、織田信長は走り出した。


そして私たちも、その背中を追って、清洲城を飛び出したのだった。

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