『風の行方』 第五話 風に乗せて
依音が必死になって作り上げた舞台。
少女の本当の想いを知った今だからこそ、少年が少女に救いの言葉をかけることは少女の生き様に対しての冒涜になる。
少年は、あまりにも無力だった―――
「俺は華音が好きだった―――」
伝えたいことが沢山あったけれど、本人を目の前にすると何も言えなくなって、いつだって樹は自分の中にある疑問は疑問のままで、答えなど出はしなかった。
心の中で樹は答えが出ることを、真実を知ることを恐れていた。
「俺は、儚げにそれでいて強い意志を覗かせる華音の笑顔を見るのが一番好きだった」
触れてしまえば壊れてしまいそうな華音を、ふと魅せる華音を手放すことなど考えられないくらい樹は華音を愛していた。
盲目的と言っていい程に、樹は華音の姿しか捉えていなかった。
「けど、和臣さんに真実を告げられた時、俺は気づいた…」
「………」
「あれは依音だったのだと―――」
依音が安らかな眠りについた次の日教えられた、依音の悲しいまでの道化という名の優しさを知って樹が気づいた事実。今まで目を逸らして見ようともしなかった現実。
あの日気づいた時、今気づいた事実を語ろうとしているこの瞬間、叫びだしたくなる激情を堪える為に樹は固く拳を握り締めていた。
「あの時、真実を知って前に進むことを決意した華音の姿を見た時、華音ではなかったのだと知った」
同じ遺伝子を持つ双子でも、あまりにも違う表情をする二人の姿に、樹は自分が目を奪われたのは華音ではなく依音だったのだと理解した。
全く違う雰囲気を与える二人に、樹は依音の何も見てなどいなかったのだと思い知らされていた。
「俺はあいつの上辺だけしか捉えていなかった。いつだって俺は、あいつの優しさに甘えていた」
華音を愛していると思っていた。
人の心を理解しようとすらしない化け物から愛しい華音を護るのだと、悲しい想いをさせない為に護るのだと樹は自分自身に誓っていた。
だからこそ、勝手に己の理想を華音に押し付けて、依音に化け物であることを樹は気づかないうちに強請していた。
「…それを俺に伝えて、樹君は何がしたいんだ?」
今までの自分の行いを後悔していると語る樹に対して、和臣はあの時みんなの前で依音に伝えるわけでもなく、今ここで自分に懺悔するのは何故かと尋ねた。
自分の幸せよりも彼らの幸せだけを望んで死んでいった依音を知っている和臣だからこそ、自己満足のためだけに犯した罪を懺悔するのなら、依音がこの世界で唯一人愛した樹であったとしても許さないと和臣は考えていた。
依音の願いが彼の幸せだったとしても、依音の最期を見取った和臣にとって依音をもう一人の娘と思っていた和臣にとって、依音を侮辱することは許せない行為だからこそ。
「ただ、知ってもらいたかったんだ。あの時、あの場で依音を受け入れることは、道化を最後まで演じていたあいつに対する冒涜になると思ったから」
本人に想いを伝えることはもう出来ないから、だから依音の協力者であった和臣に対して樹は己の本音をぶつけた。
己の感情すら押し殺して、己の幸せではなく自分達のことだけを祈って去って逝った依音に敬意をはらって、樹は最後に依音と話したこの時間のこの場所だからこそ和臣に本音を伝えた。
「俺は…依音を愛している―――」
決して知られてはいけない感情。もう二度と、伝えることの許されない激情。
真に少女を想うのならば、絶対に言葉にしてはいけない心の奥底に隠しておかなければならない想い…
「愛していたからこそ憎かった。愛していたからこそ恨んでいた」
「………」
この想いは決して同情なんかじゃないと、涙を堪えながら叫びだすのを押し止めながら語る樹に対して、和臣はただ無言で樹の姿を見ていた。
失って初めて気づいたことに何度も何度も後悔したことがあるからこそ、和臣は樹の言葉に口を挟んだりはしなかった。
「華音を好きだという想いに嘘はないけれど、愛していたのはあいつだった」
失ってから初めて気づいた、本当に大切な人は誰だったのかということに。
どうして気づいてあげることが出来なかったのかと、樹はもうこの世のどこにもいない依音に対して涙した。
「今更こんなことを言っても、あいつは俺のことを恨んでいるだろうけど…」
「…それでも依音は、樹君を恨んでなどいなかったさ」
最後の最後まで拒絶した自分を恨んでいるだろうと呟く樹に、今までずっと無言で樹を見ていた和臣は樹の言葉を否定した。
依音が最後の瞬間まで、二人の幸せを祈っていた姿を見ていたからこその否定だった。
もし彼がこの時間にこの場所へと来たのならば、ありとあらゆる意味で真実を教えようと和臣は決めていた。
これ以上の真実を告げることは、依音の為にならないことも自分の自己満足の為でしかないのだということを理解していても、和臣は激しいほどの感情を押さえる術など知らなかった。
「俺は…この時間にこの場所へと樹君が来たら、君に伝えようと思っていたことがある」
ありとあらゆる意味で依音の一番側にいた和臣だからこそ気づくことが出来た真実。依音が共犯者である己に対しても隠していた…親友であった暁にすらも教えることのなかった感情。
依音にとって、己の生死よりも大切に心に秘めていた想い。
「依音は、君のことを愛していたよ」
「なっ…」
「依音は君を愛していたからこそ、自分の想いを伝えるのではなく君の幸せだけを願っていた」
自分の幸せよりも、愛する人の幸せを…想いを伝えて苦しめるよりも、愛する人の気持ちを優先させて依音は逝ったのだと、和臣は樹に教えた。
同情や哀れみでなく、本当に依音を愛していたのだと感じることが出来たから、これから先いつかきっと樹が苦しむことになるとわかっていても、和臣は黙っていることは出来なかった。
「…俺は最後の最後まで、あいつを傷つけていたんだな…」
和臣の言葉に、最後に依音と話した会話の内容を思い出して樹は後悔していた。
自分の想いとは比べようがないほどの依音の優しさに、どれだけ自分は依音を傷つけていたのかと、樹は己の気持ちとは正反対に晴れ渡った空を見上げながら呟いた。
「たとえ傷ついたとしても、愛しているからこの嘘を貫き通すと依音は言っていた」
もし樹がこの時間にこの場所を訪れなければ、この真実を墓の中まで持っていこうと和臣は考えていた。
それほどの想いだった。
「本当は教えるつもりなどなかったんだがな―――」
知らないことの方が幸せな時もある。だからこそ依音は樹に対する想いも、暁に対する信頼も全て隠して持って逝った。
大切な人だからこそ、伝えることが出来ないものがあった。
「依音のことを本当に想っているのなら、依音を過去にするのではなく、思い出にしろ」
過去を後悔するのではなく、思い出として依音のことを忘れないでやって欲しいと和臣は樹に願った。
自分のことを忘れないで欲しいと心の底では願いながらも、自分のことで傷つかないように悲しんだりしないようにと、全てを偽って去って逝った依音のために。
「依音が生きた証を忘れないで欲しい」
『悪魔の子』として拒絶されることを恐れ、どんな感情でもかまわないから自分を自分として認めて欲しいと願っていた依音が何よりも愛おしいから。
風に乗って自分達のこの想いが、依音に届けばいいと―――
辛く苦しい過去を後悔するのではなく、思い出として忘れないで欲しい。
後悔ばかりでは先には決して進めない。けれど、辛く苦しいからといって全てを忘れてしまったら、再び同じ後悔を繰り返すかもしれない。
だから忘れないで欲しい。
いつかきっと訪れる幸せのための布石として、思い出を積み重ねて生きて欲しい…
この話で、『そして君は風になる』は完結です。
epilogueである『風の行方』は、あまりにも主人公に救いがないんじゃ…と思って書いた話だったりします。正直、和臣の行動が依音に対しての救いになるのか疑問だったりしますが…
ここまで話を読んでくれて、ありがとうございました。