E115115
馬締課長は、持ち運ぶには若干重そうな大きさの黒いノートPCを大事に抱えていた。
「こっちの広い席に、どぞー」
先ほどのやる気のなさそうな店員さんが奥の六人掛けのテーブルを手のひらで指し示す。
いや、あの、別に仲良しこよしのグループじゃないんですけど……そう口に出すよりも早く堅岡とマダムが自分のカップを手に立ち上がった。
馬締課長が六人掛けのテーブルの最奥に着席をしたタイミングで隣にマダムが座り、その隣に堅岡が座った。
もう抗いようがない、立ったままの三人で顔を見合わせて、一番奥、馬締課長の向かい側に市役所の女性、隣に静香、通路側に真紀が座った。
目の前に座る堅岡が、何も言わずに空になったカップを真紀に差し出した。……これは、持って来いってことだろうか、くっそ図々しい。
ついでなので馬締課長と受付の彼女にも、コーヒーでいいか確認して、トレイに三つ並べて席へ持っていった。
「榎本さん、すみません。私と席を交代しましょう、私がそちらに座ります」
静香の申し出を片手で制して、先ほどと同じ席順のままで座った。年齢のせいか最近トイレが近い。通路側の席の方が気兼ねがなくていい。
先ほど四人で行った自己紹介のくだりを繰り返して、無事『三十八歳』であるというセンシティブ情報を開示できた。
もっとも別に誰も真紀の年齢など気にしている様子はなかったけれども。
市役所の受付の女性の名前が、山田さんと分かったので、その後の呼びかけはスムーズになった。
山田さんがまとめサイトで噂になっている『呪い』や『祟り』について説明すると、奥側の年長者三人、馬締課長、ハゲ、マダムが笑い飛ばした。
そんな令和の時代に『呪い』や『祟り』なんてあるわけがないと。
そして昔の映画の話……、湖に逆さまになって死体が見つかる話で盛り上がった。
三十八歳の真紀はギリギリ『八つ墓村』の話だと分かったが、若い二人が理解できたかどうかは分からなかった。二人はつまらなそうな顔をしながら、年寄りの話を聞いていた。
◻︎ ◻︎ ◻︎
そして、午前二時になり、今日もやはりあのメロディーが流れた。
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ
店内の客も、やる気がなさそうな店員も一様にキョロキョロと視線を動かした。
真紀たちは耳を澄ました。
市役所の向かいのファミレス、この距離で聞くと分かりやすい。自宅で聞いた時は、海沿いの工場の方から、県立高校の方から、大年寺山の方から聞こえてきたと思ったメロディー、『間違いなく市役所から聞こえてきている』全員がそう感じた。
自宅のマンションで窓を開けて聞いた時は、大年寺山の方から聞こえていると思ったけれども、市役所のすぐ近くで聞くとやはりここが音の発生源だと改めて思った、音量が段違いだ。一体どういうことなんだろう?
担当者である山田さんは深夜二時に設定はしていないといい、馬締課長もそんな設定はされていないと言っていた。
それなのに、こうして市役所の近くで聞いたら、やはり市役所のスピーカーから流れているとしか言いようがない。
メロディーが流れ終わった後、店内のざわめきは落ち着いた。
でも、もしかしたらこの瞬間にも、誰かが亡くなろうとしているのかも知れない。もうすぐ二時半になる。静香がガタガタと震え出す。
「いや……おかしい」
馬締課長がノートPCを覗き込みながら口にした言葉に、マダムが食いついた。
「あら、おかしいって何が『おかしい』っておっしゃるの? 詳しく教えてくださらない? お願いシルブプレ」
「防災無線の設定ページにアクセスログが残っている」
「なんだよ、その齷齪労働ってのは」
堅岡のその言葉は全員が無視した。
過労死ってことか、などわめいているのをほったらかしたまま、静香が馬締課長に尋ねた。
「内部の人間のいたずらですか? それともハッキングなどの犯行なのでしょうか?」
静香の問いには答えず青い顔をした馬締課長に、山田がさらに詰め寄った。
「課長、アクセスログには、ログインIDも残っていますか?」
「ああ、……『E』で始まっている」
「E?」
馬締課長の『E』という発言の意味が分からず、真紀が首を傾げた。
「パートさんやアルバイトさんなんかの時給制のスタッフの場合、Hから始まる社員番号なんです。もちろんアクセス権限はないですけど。Eから始まる場合はEmployee、正社員の社員番号ですね」
首を傾げた真紀に向かって説明をした後、山田さんが馬締課長のノートPCを自分の方に向ける。
「E115115……これって、結城さんの社員番号です。彼女は私の指導係で、私の社員番号が出る前にシステムの説明してくださる際に『イイコイイコ』っておっしゃっていたから、間違いないです」
「結城さん……?」
「っかぁーーーー、そのユーキとかいう社員がふざけてたってことかよ」
「ちょ、堅岡さん、落ち着いてくださいな。ノン、ふざけているとかではなく、もしかしたら誰かがそのユウキさんって方の社員番号を悪用している可能性だってありますでしょ?」
興奮する堅岡さんをマダムがなだめる。
そのマダムの言葉に、馬締課長と山田さんが静かに首を振った。
「結城さん、退職なさってます。社員番号も失効してるはずなんです」
「でもアクセスログが彼女の社員番号だ……明朝、情報システム部に解析を依頼します」
「お二人とも、すごく顔色が悪いですけど、大丈夫ですか」
真紀が尋ねると二人がポツリポツリと語り出した。
退職済みだというその『結城さん』という女性職員のことを。
「結城さん、初めてのお子さんの誕生を楽しみになさっていたんです」
「彼女が産休に入ってすぐ、ご主人が亡くなってしまったんです。工場で夜勤の最中でした。僕もお葬式に参列させてもらったんだけど、彼女、大きなお腹を抱えたまま気丈に振る舞っていました」
「そうでしたね、私にも『仕事で何か困ってることはない?』なんて気遣ってくれて」
「僕にも『産休と育休が終わったらすぐ復職します。この子のためにも働かないと』なんて言ってた。だから僕も復職を前提として社員番号もそのまま保持してたんですけれども……」
さっき『退職済みで、社員番号も失効している』って言っていたのに、真紀の胸の中に疑問が湧き上がった。
二人の口が重い。馬締課長が冷めたコーヒーをぐいっと飲み干す。
「いえ、すみません。これ以上は公務員として守秘義務に違反しますので」
「そうですね。すみません。私たちはこれで、……市役所に戻って設備担当者に確認をします、基幹システムの問題の可能性もあるので、情報システム部にも問い合わせてみます」
そして馬締課長は二人分のドリンクバーの代金をきっちりテーブルの上に置いた。
「あら、いいですよ。ワタクシがまとめて……皆様ワタクシの、モナぁミ、お友達ですもの」
「いえ、贈収賄罪になりますので」
どこまでも真面目な馬締課長だった。
二人が去った後、四人でもう一杯ずつコーヒーを飲んだ。
「市役所の職員さんなら産休・育休の後、普通は復職しますよね。ご主人が亡くなってしまってシングルマザーで小さいお子さんを抱えて、仕事を探すなんて大変だし。慣れた職場への復帰が一番いいと思うんです。市役所なら福利厚生もしっかりしてるし、絶対その方がいいと思う。でも『退職済み、社員番号は失効』って言っていましたよね」
真紀が疑問を口にした後、隣で静香がスマートフォンの操作を始めた。
そしてすぐに、『これじゃないですか?』テーブルの真ん中にスマホを出した。
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『宮城県仙石市小峠町・市役所勤務の女性、入浴中の溺死。自殺か?』
センセーショナルな見出しだ。
記事には、彼女のご主人が数週間前に病死したこと、ショックを受けた彼女が早産し、未熟児で生まれた赤ちゃんも死亡してしまったことが書かれていて、失意のどん底での自殺に違いないとも書かれていた。
彼女のご主人が夜勤中に倒れた時、工場内には大勢の社員がいたはずだが、彼が倒れたことには誰も気がつかなかった。
おそらく倒れたのは深夜二時頃。死亡推定時刻は深夜二時〜三時、つまり倒れた時点で救急車を呼ぶなどの適切な措置がされていれば、亡くならなかった可能性もあった。
そしてそれを耳にした彼女がショックで早産したのは深夜二時、数日後、脳に重い障害を負ってしまった赤ちゃんが息を引き取ったのは深夜二時半
ご主人と、ご主人が会えなかった愛娘が、同じ時間に息を引き取った。
ご主人が寂しくてお子さんを迎えに来てしまったんではないか、と隣近所で噂になったという。
彼女が入浴中に溺死した時刻も、深夜二時半。一般的に入浴するような時間ではない。
おそらく彼女は『彼女の意思』で二人の後を追ったのだろう。
お空の上で、ご主人と娘さんと会えただろうか、と結ばれていた。
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復職を前提として社員番号はそのまま残していたけれども、ご本人が亡くなってしまったので、退職扱いになり社員番号は失効したということだろうか?
それなのに今日の時点で、その失効したはずの社員番号でシステムへログインができている、ということか?
E115115……彼女の社員番号でアクセスログが残っている。
一体どういうことなのだろう?




