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ヤマト奇談集  作者: flat face
奈良時代
62/65

阿礼

阿礼はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/147871220)


   一


 大河のおかげで肥沃な土地が広がる(しん)(たん)(中国)は人口が多く、集落が幾つも生まれ、互いに争って食料を奪い合った。

 集落は集会で戦争の指導者を選出し、指導者は平時にも祭祀を司って集落の一体性を維持した。

 大集落である都市が小集落たる農村を支配する都市国家が出現すると、指導者は都市国家の王となり、市民である士の第一人者とされ、公共事業としての土木建築も手掛けた。


 沢山の集落を支配する都市国家は、(かん)()を使って情報を伝達し、広大な領土を統治する領域国家へと成長した。

 領域国家は様々な問題に対処しなければならなくて興亡を繰り返し、中央集権体制を施いて国家の安定を図った。

 そうして王に権力ばかりか宗教的な権威も集中し、自由市民の士は官僚へと姿を変えていった。


 最終的に震旦の全土を支配する世界帝国が誕生し、王は専制的な皇帝となった。

 皇帝は律令という法体系によって帝国を支配し、それは天命を受けたものとされ、漢字により正史を編纂して正統化した。

 世界帝国を築いて震旦が超大国になると、近隣諸国もその国家組織を模範としていた。


 ()(しま)(本州・四国・九州)に土着の()(じん)を代表する()(こく)も、文明国たらんとして震旦を模倣した。

 倭国は八洲の諸国が連合した政権で、盟主である大和(やまと)(おう)(けん)(おお)(きみ)を君主としていた。

 大王の一族たる()()(うぢ)でも学問的な天才であった(うまや)(どの)()()が倭国の中央集権化に知恵を貸し、正史の編纂にも取り組んだ。


 彼は西(せい)(れき)の紀元後六二〇年、政界の長たる()(がの)(うま)()(うま)()と共に『(おお)(きみの)(ふみ)』・『(くに)(ぶみ)』・『(おみ)(むらじ)(ともの)(みやつこ)(くにの)(みやつこ)(ももあまり)()()(とものを)(あわせて)公民(おおみたから)(どもの)(もとつ)(ふみ)』を編纂した。

 『大王記』は阿毎氏の系譜、『国記』は大王の説話、『臣連伴造国造百八十部幷公民等本記』は豪族らの系譜や説話だった。

 それらの歴史書は蘇我氏によって保管されたが、馬子の息子たる()(がの)毛人(えみし)毛人(えみし)が政争に敗れ、邸宅に火を放って『大王記』と『臣連伴造国造百八十部幷公民等本記』は焼失した。


 『国記』だけは編纂を手伝った(ふねの)()(さか)()(さか)により持ち出されて(かづら)(きの)(おお)(きみ)に献上された。

 倭国が更に集権化し、国号が(ひの)(もと)へと改称され、大王の称号も(おお)(きみ)に改められると、葛城大王の弟である(おお)海人(あまの)(おお)(きみ)が『国記』などを参照させて六八一年、『(すめらみことの)(ふみ)』と『(ふる)(こと)』を編纂させた。

 『帝紀』は皇室の系譜、『旧辞』は天皇の説話で、それらの編纂には豪族の系譜や説話を記録する(うぢ)(ぶみ)なども役立てられた。


 また、大海人天皇は各地の語り部が記憶する古伝を(さる)(めの)(きみ)に暗誦させた。

 彼は(けん)(きよう)に傾倒しており、祆教は西(さい)(いき)(中央アジア)などにいた()(じん)に信仰され、震旦の(どう)(きよう)と習合して八洲にも渡来した。

 祆教を国教とした()()(こく)(ササン朝)では皇帝が妻の話す物語を聞いて楽しんだ。


 震旦の正史たる()()(せん)()()』も巷間で語られる歴史講談を取り入れていた。

 猿女君は(さる)()の長で、猿女は宮中に出仕して口承を伝える巫女だった。

 こうして正史が編纂され、文明国に相応しい都城や律令も大海人天皇の正妻たる(さら)(らの)(おお)(きみ)によって完成させられた。


 ところが、讚良天皇の孫である()(るの)(おお)(きみ)が震旦の唐に(けん)(とう)使()なる使節を派遣して国交を回復すると、制度を修正する必要に迫られた。

 (から)(くに)(朝鮮)を巡る戦争で唐と断交していた間、日本は震旦についての情報を更新できていなかった。

 時代遅れの知識で中央集権化していたのだ。


 遣唐使は唐が初の女帝たる()(そく)(てん)の下、一時的に()(しゆう)という王朝に替わっていたこともあり、関係を清算するのに成功した。

 しかし、倭国から日本への改称を日本による倭国の併合と勘違いされるなど混乱も見られ、文明化は未だ道半ばであると痛感させられた。

 そこで、当時の元号に因んだ「(けい)(うん)の改革」が行われ、()()(奈良市)に都を遷し、律令の改修も進められた。


 『帝紀』と『旧辞』も七一四年から改訂が始まり、猿女君が暗誦する古伝も改編され、筆録されることとなった。

 もっとも、猿女君は年老いていたので、猿女の(ひえ)(だの)()()()()が代役を務めた。

 筆録は(おおの)(やす)()()(やす)()()が担当した。


   二


 (ひえ)()(うぢ)()()()()(うぢ)の庶流で、芸能の女神である(うづ)()の末葉とされた。

 そうした一族の生まれたる阿礼は人並み外れて記憶力が良かった。

 それゆえ、膨大な古伝を暗誦でき、猿女君の代役を任された。


 彼女は愛嬌のある娘で、頬は薔薇のように紅く、丸い瞳は無垢な童女のごとく爛々と煌めいていた。

 美貌に恵まれてもおり、乳房の豊かさは衣を着ていてさえはっきりと分かった。

 細腰から伸びる見事な曲線からは匂い立つような色香が漂っていた。


 阿礼の暗誦を筆録する安麻呂は(おおの)(ほん)()(ほん)()の息子だった。

 (おお)(うぢ)は戦闘の記録を職掌とする一族で、そのために従軍もした。

 安万侶も()()(ちん)(とう)(しよう)(ぐん)()(せの)()()()()(せい)(えち)()()()(しよう)(ぐん)()(えきの)(いわ)()(いわ)()による毛人(えみし)の征討に従軍し、(あら)()(ばき)(おう)(こく)との戦闘を記録していた。


 (みち)(のく)(東北地方)を治める荒覇吐王国は、()(がるの)(くに)(青森県)を中心とする毛人の国であって日本と対立した。

 倭国が海外へ進出するのに失敗し、八洲の統一を志向するようになった日本は、度々、道奥に軍を送って荒覇吐王国と戦いを繰り返した。

 毛人は文明国たらんとする日本から野蛮視された。しかし、安万侶はそれに疑問を覚えた。


 記録者の一族であるからか彼は理知的で、探究心に富んでいた。

 身体能力は高くなくて従軍するのに苦労したが、そのことに不甲斐無さを感じ、観察眼を磨くことで役に立とうとした。

 そうした安万侶の目から見て毛人の文化は現地の環境に適応したもので、決して野蛮なものではなかった。


 寧ろ日本の謳う文明化こそ毛人の文化を破壊する野蛮ではないか。

 中央政府たる朝廷は征討の軍備を(あづまの)(くに)(関東地方)や北陸(くぬがの)(みち)(北陸地方)に負担させ、それらの国々を疲弊させてもいた。

 討伐が終わって都に帰った安万侶は、提出した記録を評価され、阿礼の暗誦する古伝を筆録するよう命じられた。


 明るくて積極的な仕事の合間にも安万侶と他愛のない会話を交わした。

 それぞれ記憶と記録を職掌とする二人は話が合い、安万侶は阿礼に惹かれ、阿礼も安万侶に恋をした。

 宮中では職場結婚も珍しくはなく、安万侶と阿礼は夫婦となった。


 阿礼の体を寝台に運んだ安万侶は、彼女の下肢を押し開いて手を差し伸べた。

 彼は暫く手を動かしてから阿礼の上に身を乗せ掛けて彼女と媾合(まぐわ)った。

 阿礼は情熱的な身振りで安万侶を迎え入れると、身も世もあらんばかりの声を上げ、彼は彼女の反応に気を昂ぶらせて果てた。


 七一二年、安万侶と阿礼は阿礼が暗誦して安万侶が筆録した『(ふる)(こと)(ふみ)』を()(への)(おお)(きみ)に献上した。

 阿閇天皇は讚良天皇の異母妹にして珂瑠天皇の母だった。

 各地の古伝を選録した『古事記』は、表向きは天皇を中心とした日本の歴史を語りつつ、まだ天皇は大王で、日本は倭国であった遠い過去しか扱わず、敗者に同情を寄せていた。


 その手法を安万侶は司馬遷に学んだ。

 司馬遷は『史記』を著し、都市国家の自由市民たる士が領域国家に吸収され、都市市民の自由の精神が世界帝国に圧殺されていくのに挽歌を捧げた。

 毛人の征討に疑問を覚えた安万侶は、『古事記』で(いづ)()(しん)()など敗者から見た物語を大きく取り上げていた。


 そもそも、多氏もまた敗者と言えた。

 安万侶の父である品治は「壬申の乱」という内乱で大海人天皇を助け、「壬申の功臣」とされたことから一族の躍進を期待し、息子の(うぢ)()(おお)(うぢ)とした。

 ところが、律令を制定するため、それに習熟した官人たる律令官人が台頭すると、「壬申の功臣」は没落していった。


 皇室さえも律令官人の筆頭である(ふぢ)(わら)(うぢ)に絡め取られつつあった。

 阿閇天皇もそのことに危機感を抱いていたので、『古事記』の歴史観を嘉し、『帝紀』と『旧辞』の改訂に安万侶を加わらせた。

 安万侶は阿礼との間に子宝を授かり、平城(ならの)(みやこ)の左京に屋敷を構え、その生活は順風満帆かと思われた。


   三


 『帝紀』と『旧辞』の改訂は両書を『日本(やまと)(ふみ)』なる国史にまとめる方向で進められていた。

 『日本書』の編纂は舎人(とねりの)()()が総裁し、(はん)()(かん)(じよ)』を模範とした。

 舎人親王は大海人天皇の庶子だった。


 『漢書』は『史記』ともども()(かん)と並び称され、客観的に歴史を叙述することに重きを置き、今ある国家は、どのようにあるべきかという未来を見据えていた。

 『日本書』は文明国たらんとする日本の向上心を支えるよう潤色しつつ、精読すれば実情が察せられるように記されており、矛盾する史料を併記して結論を保留することさえあった。

 史書は諸氏族の利害が反映されており、『日本書』を総裁する舎人親王は、政界の均衡を保つことを期待された。


 彼は皇親の長老として重責を担い、その手腕は高く評価されていたが、余りの多忙さに鬱憤が溜め、激しやすくて憂さ晴らしの漁色も酷かった。

 ところが、安万侶はそのような舎人親王にも率直に意見し、『日本書』は勝者に阿っていると批判した。

 舎人親王は内心で激怒しつつ、『日本書』の完成を優先して取り合わなかった。


 『日本書』は本紀の『日本(やまと)書紀(ぶみ)』と表の「(けい)()」が珂瑠天皇の姉である()(だかの)(おお)(きみ)に献上された。

 『史記』や『漢書』は主に帝王の年代記たる本紀、年表や系譜である表、分野別の重要事項をまとめた志、臣下の伝記たる列伝から構成されていた。

 『日本書』の志は七一三年から編集が始まる諸国の()()()に、列伝は各氏族の氏文に委ねられた。


 舎人親王は『日本書』の完成を喜んだが、安万侶への怒りを忘れていなかった。

 それは安万侶が(ひつじ)()(ゆう)を弁護したことで噴き上がった。

 羊太夫は韓郷の新羅(しらぎ)から帰化した豪族で、(こうづけ)()(くに)(群馬県)の()(ごの)(こおり)(高崎市・藤岡市)で羊を飼育していた。


 彼は倭人の従者である()(つかの)()(はぎ)()(はぎ)に朝廷との仲立ちを頼んでいたのだが、小脛が亡くなったことで誤解が生じ、謀叛の疑いを掛けられて自害した。

 その際に安万侶は毛人の征討で知り合っていた羊太夫を庇った。

 それは司馬遷が敗軍の将たる()(りよう)を弁護したことに倣ったのだが、舎人親王は安万侶を羊太夫と同じ叛徒として指弾した。


 彼はその政治手腕を買われて()(だい)(じよう)(かん)()に任命され、異母弟である(にい)()(べの)()()()()(えい)(および)(じゆ)(とう)舎人(とねり)()となり、兄弟で政軍の頂きに立った。

 また、(ふぢ)(わらの)()()()()()()()()とも手を結んだ。

 武智麻呂は藤原氏の嫡男で、(とう)(ぐうの)()として珂瑠天皇の息子にして皇太子たる(おびとの)()()の師傅を務めていた。


 病弱な彼は社交的でこそなかったが、それ故の沈思黙考によって陰謀に長けた。

 武智麻呂の狡知を見抜いていた舎人親王は、阿閇天皇や氷高天皇と違い、律令官人と組むことが皇室のためになると考えていた。

 安万侶は皇親勢力と律令官人を敵に回して投獄され、阿礼が夫の命を助けてくれるよう舎人親王に嘆願した。


 舎人親王は安万侶の助命と引き換えに阿礼を女奴隷として性的に奉仕させた。

 彼は権力にものを言わせ、貴重な媚薬を集めると、それを惜しげもなく阿礼に用い、恐ろしく性欲を刺激された彼女は、物狂いのようになってしまった。

 舎人親王は阿礼の乳房の谷間に顔を埋め、彼の股間の(をの)()が猛り狂ったように踊り、彼女の体内に入った。


 阿礼の胸の膨らみが舎人親王の腕に押し潰され、彼は吠えるように唸って咆哮し、彼女も甘美な悲鳴を上げた。

 悦楽感が信じられないほど急速に高まった阿礼は嗚咽を洩らし、それが更なる昂奮を呼んだ。

 彼女は絶頂に戦慄して舎人親王に脚を絡めた。


 安万侶は獄死したけれども彼と阿礼の子供たちは氏名を多氏に戻させられ、一族の格を下げられるだけで済んだ。

 阿礼は舎人親王との息子である(おお)(いの)(きみ)を出産させられ、丁度、舎人親王の正妻たる(たい)(まの)(やま)(しろ)(やま)(しろ)が死産していたため、大炊王はその子と取り替えられた。

 舎人親王は阿礼との性行為中に腹上死し、武智麻呂も疫病で亡くなった。


 阿礼は舎人親王から解放された。

 しかし、阿礼が飲んだ媚薬には女性にだけ利くという「人魚の肉」もあった。

 彼女はその効果で性の渇きに絶えず襲われるようになり、若返って不老長寿の体を得た。


 「人魚の肉」でそうなった女性は他にもいた。

 彼女たちは不老を悟られぬよう出家して故郷を捨て、()()()()()なる尼僧の結社を作り、互いに助け合いながら娼婦として各地を旅した。

 阿礼も寿命が尽きるまで春を売りながら諸国を遍歴した。



   註


*倭国から日本への改称が日本による倭国の併合と勘違いされる:『新唐書』

*阿礼が女性とされる:平田篤胤『古史徴開題記』

*稗田氏が宇治土公氏の庶流で、鈿女の末葉とされる:『斎部氏家牒』

*品治が安万侶の父とされる:「多神宮注進状」

*『日本書紀』の編纂に安万侶が加わる:『日本書紀私記』

*安万侶が平城京の左京に居住する:太安万侶墓誌

*多胡郡で羊が飼育される:多胡碑

*羊太夫が謀叛の疑いを掛けられて自害する:『羊太夫栄枯記』


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